修学旅行
「蒼島さんは、修学旅行に、行かなかったんですよね」
と、母校野球部のコーチに、ふと、声をかけられた。
彼は、母校野球部の現役コーチだ。
「そうだったね。でも、よく覚えていたね・・・・」
僕は、高校2年の夏の修学旅行(九州・長崎など)に、行かなかった。
中学で痛めた怪我の箇所が、再発していた。
「また、中学と同じで、野球ができなくなる」
そう思うと、まだ2年の夏なのに、3年生のような気持ちになり、現役が終わるような
追い込まれた気持ちになっていた。
誰にも、相談せず、自分で出した結論は
(修学旅行には行かず)、東京に残り、信頼するトレーナーの治療を受ける(東京・中目黒にある、元巨人軍の小守トレーナー)と決めた。
前日、監督に 、修学旅行に行かないことを告げると、
(こっぴどく、)叱られた。
「修学旅行に、行って、気分を変えてみるという、考えにならないのか」
「お前だけ、東京に残って、どうする」と、
叱られた。
練習には、出てはならない、ということだった。(が、しかし、毎日、お呼びがかかり、遠征の準備含めを、1年生のまとめ役として、チームに、同行していた。)
同級生が、修学旅行に行く、前日のこと。
明日の試合前の準備を、同期の野球部員と、していた。
試合球の用意担当は、同級生のファーストの左のTだ。
しかし、なんと、Tが、ボールを積み忘れて、修学旅行に旅立った。
しかし、カンのよかった僕は、夜中フトンの中で、ファーストの左のTが、「試合球を、遠征の車に、積み忘れているのではないか」と思ったのだ。
遠征先に、早く行って確認すると、案の定 積み忘れていた。
「おい、おい・・・・!」
昨夜中に、遠征先の スポーツ店(無理がきく)所を、調べておき、あらかじめお金を、もってきていて、開店まえに、試合球を購入させていただいた。
しかし、試合開始、先頭打者に、危険球になるくらい、の母校の先発・先輩投手が、ヘルメット直撃のデットボールを投げる。
どうやら、いつもと試合球のメーカーがちがくて、指先から、すべるのだという。
早朝 用意した 試合球はミズノのボール。
若干、皮が、いつもの他のメーカより、皮の表面が、たしかに硬い。
「ファーストの左のTは、九州で今頃・・・・・、おい、おい!」
と思いながら、遠征に同行したことを思い出した。
何から、何まで、青春の無茶な選択、決断と実行の日々だった。
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