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君へ(最上級生)

052_3

君へ

 君も、最上級生になった

君の目指す

 君だけの頂点を 見つめて

  戦いが はじまる

 君も 僕も

   今の自分を超える

     魂の戦いが続いていく

http://www.youtube.com/watch?v=mo3pav9Ux7k

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いよいよ夏の大会。二高野球部に入部して、全てこの時・この瞬間の為にあります。グランドで流した汗・涙の結集です。残念ながら最後の夏にベンチ入り出来なかった3年生。本当に悔しく・辛いことだったでしょう!ただ参考までに、二高野球部ОBでも最後の夏にベンチ入り出来なかったにも関わらず、首都大学でエースとして活躍した先輩もいます。野球は高校野球で終わりではありません。ベンチ入りした選手20名は、背負っているものが大きいと思いますが、母校の勝利のため、他の部員のため、親のため色々ありますが、対戦相手を倒すため、一球・一瞬を大事に笑顔で高校野球を終わることを切に願っています。

 檜山が打った打球はファーストゴロ。無常にもゲームが終わってしまった。試合後、最後のバッターとなってしまった檜山の父は3年生部員一人一人に[申し訳ない…]と目に涙を浮かべて謝っていた姿が今でも鮮明に覚えている。
負けた瞬間から、二高野球部は選抜に向けての戦いが始まった。立川に戻りランニング等の練習が始まり、甲子園に向けての挑戦が幕を開けた。打線は主力5人が残り、投手陣の整備が大きな課題となる。秋季ブロック大会4試合は猛打が爆発して、全てコールドド勝ち。本大会も城西・帝京大帝京をホームラン・長打が随所に見られ、これで6試合連続でコールド勝ちをおさめ、選抜をかけた準決勝。相手は早実。荒木大輔を擁し3季連続甲子園に出場している強豪。大チャンギャルも多数観戦に訪れ神宮第二球場には立ち見が出る程満員。2回裏、5番檜山がライトに先制ホームランを放つ。これはいける。と二高関係者は誰もが感じとっていた。しかし、二高投手陣が打たれ、これまで投球練習をしたことが無い田辺がマウンドに上がった。彼は1年生夏から3番を打ち野球センスは抜群。昨年の秋季大会でも荒木からホームランを放つなど、プロ関係者も注目している選手だ。試合は9回表を終わり、6対7で早実が1点リード。二高は先頭打者が倒れ、一死から、田辺の変わりにセンターに途中から入っていた片岡。ここで片岡がレフトにホームランを放ち7対7の同点に追いつく。10月末の神宮第二球場は夕闇が迫っていた。11回裏、二高先頭打者が3塁打を放ち、無死3塁。早実の荒木・松本バッテリー満塁策をとる。押せ押せムードの3塁側スタンド。ここで荒木が踏ん張る。何と3者連続三振。引き分け再試合のアナンスが無常にもながれた。
 翌日、二高には投手が居ない。1対8の7回コールド負け。厚い厚い壁。ベスト4から先に進めない状況が、4季大会連続で続いてしまった。

 もう一歩、が届かない。昭和53年夏第60回記念大会に13年振りの甲子園出場してから、何度も二高野球部の目の前にそびえたつベスト4の壁。超えられない…。
甲子園から帰ったきた新チーム。秋のブロック決勝で拓大一高に0-2で惜敗。
春の大会ではシードを獲得し3回戦で選抜帰りの修徳をコールド寸前にまで追い込みながら、まさかの逆転負け。チームは沈み、監督と胸の中をわだかまりをぶつけ会って、チームの心が一つになって臨んだ第61回大会。ところがエースが怪我で登板出来ない事態になってしまう。
二高野球部初の連続優勝に向け懸命の戦いが始まる。打線が爆発し、順当にベスト8まで勝ち進む。投手は二番手の中原。エースの怪我を一人で背負いながらの渾身の投球。
準々決勝相手は昨年の決勝戦相手、都立の星である東大和。佐藤監督をはじめ部員も昨年のリベンジに燃えている。今大会登板の無い、二瓶投手が当然登板すると思っていた東大和はスタメン発表時に、舐められた…と感じていた。試合はなんとか6-4で二高の勝利。
準決勝の相手は選抜出場の国学院久我山。序盤はお互いに持ち味出し、一進一退が続く。エースの二瓶が今大会初めての登…。追加点が久我山に入っていく。三番手はライトを守っていた並木が登板、試合は5-11の敗退。
たら、れば、は野球をはじめ勝負事には禁物であるが、このチームは昭和52年のチームと同等の選手層があった。甲子園に出場すれば勝ち進むチームであった。
 翌々年のチームは3季連続でベスト4で破れていく。秋は荒木大輔を擁する早実に敗れ選抜補欠校。春はあと2死までこぎつけて、日大三高の福王に逆転サヨナラ満塁ホームランを浴び敗退。夏は国学院久我山に1-3で敗退。このチームは相馬捕手を中心としながらも、二年生が5人もレギラーとして臨んだ
大会であった。9回2点リードされながらも、3年生が作ったセフティーバンド・死球のチャンス。
打席には2年で3番の檜山。二死満塁。打席に向かう檜山に4番相馬が声をかける[頼む、俺まで打席を廻してくれ…。]
檜山が打った打球はファーストゴロ。相馬は今大会、腰痛に悩まされ、初戦は控えに廻っていた。甲子園出場を決め神宮球場で泣く予定であった相馬は廻りの記者の目を気にせず号泣。

 13年ぶりの甲子園の時代のお話ありがとうございました。
あの時も、長かったトンネルを、抜けた感がありました。

キャッチャーは、佐藤さんは2年生で、3年生の内林さんが、マスクをかぶっていたと思います。

秋は、帝京に、ブロックで敗退したのではないかと記憶します。

いずれにしても、高校野球は、終わって観ないと、何が起こるかわかりません。だから、どこの学校にも、チャンスがあります。

13年ぶりの、2年後は、都立の初甲子園とつながります。

母校野球部の活躍、ワクワクしています。

日大二高野球部は昭和51年春季東京大会で桜美林を決勝戦で破り、初優勝を飾り、
春季関東大会に出場した。11年振り3回目の甲子園を身近に部員が感じはじめていた。
西東京大会は勿論、第一シードとして望み順当に決勝戦まで駒を進めた。決勝の相手は
春季東京大会で破っている桜美林。エース松本(明治大学→埼玉栄監督→千葉経済大
付属現監督)を軸にまとまっており、春季関東大会では優勝している好チームである。
一方、日大二高は同姓の松本(日大二中卒)がエースを死守し、捕手佐藤(後に首都大学ベスト9)
大学ベスト9)・ショートには五十嵐(現日ハム二軍監督)・センター小林(慶應大学で盗塁の六大
学記録保持者)・ライトには現二高監督の田中が固めていた。昭和51年7月29日、7回表まで、3-1
でリードしていたが、まさかの9回サヨナラ負け。翌日の新聞には桜美林の選手が、喜び勇んでホーム
を踏む姿が掲載され、同新聞にはロッキード事件が大きく報道されていた。
新チームになり、選抜を目指した戦いが始まるが、夏の脱力感が抜けきれぬ二高野球部は、秋季ブロ
ック大会初戦で国学院久我山に破れ、選抜はおろか、春季と大会の道も閉ざされてしまった。
昭和52年夏、第59回西東京大会が始まり、ノーシードから勝ち上がり、準決勝第一試合で宿敵桜美林が
決勝に駒を進めた瞬間を二高ナインは見つめていた。心は打倒桜美林。今日の相手ははノーマークの
明大中野。完全に気持ちは明日の決勝に向けられていた。
試合が始まり、四死球、エラー、外野からのボックホームの球が相手の選手バットに当るなど不運も重なり
よもやのコールド負け。主力選手が前年から多数残り、監督をはじめ学校関係者も昨年に続き大きく落胆
した。
翌年、戦力は前年とは大きく落ちたが、秋季大会は早稲田実業に破れベスト16。春季大会はベスト4と結果を
残し、夏の西東京大会は第二シード。準々決勝まで対戦チームを0点に押さえ、日大桜ヶ丘、都立東大和を破り
13年振り3回目の甲子園を勝ち取った。
甲子園出場とは、実力は勿論、運も大きく左右される。

原さん、応援ありがとうございました。

チーム32の,真心の応援をいただき、夏の
3年生の開幕戦を勝利することが出来ました。

 僕は、指導者というより、選手やマネージャーのお兄さん的な役割だと思います。

 決してお淑やかな指導者ではなく、気取らず、いつも、選手より、声をだし(笑)、やる気を見せるスタイルは、なかなか変えられませんが・・・・・。

いままでも、今も、これからも、母校野球部の応援よろしくお願いいたします。

おめでとうございます。

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