NEWプロフィール
《NEW ☆ プロフィール》
蒼島 俊男 といいます。
日本大学第二中学校~日本大学第二高等学校~明治大学Ⅱ部商学部産業経営学科卒
【座右の銘 】
”How you think is everything” 「全ては思いによって決まる」
(by 神山 修)
【取得免許】
メンタルアドバイザー <SBT スーパーブレイントレーニング JADA認定>
NPO日本食育インストラクター・プライマリー認定
高校社会科2級教員 中学校社会科1級教員免許
【ベースボール】
小学・中学・高校・大学と野球やっていました。
怪我が多く、プレッシャーにも弱く、体から力みが抜けない、硬さの残る選手、ほとんど活躍・結果を出せない選手でした。
苦い思い出の多い、野球生活・過去は振り返りたくなかったのです。
ですから、同窓会・同期会は極力避け、苦い野球の思い出は、遠ざけていました。
◆ 甲子園大会は 夏2度出場 (2年の夏、背番号は13と、大学3年で学生コーチ)
◆ 大学は、一応、東京六大学野球リーグに加盟する大学野球部に、セレクションで入りました。
◆ 3大会連続 高校硬式野球部で助監督としてベンチ入り
しかし、ここまでで、その上にはいけませんでした。
自分の目指す、ベスト、頂点へ 行くことが出来なかったのです。
大いなる挫折の連続でした。
ほとんど、中学・高校・大学と、怪我だらけ、監督・コーチとのプレッシャーに、押しつぶされそうな現役生活でした。
反面、常に、どうやったら、メンタルが強く、怪我しづらい選手になり、結果がだせるのか、そればかり考えていました。
その苦い体験を乗り越え、今、社会人になり、現役の選手に、励ましのアドバイスを急に送りたくなったのです。
野球を遠ざけた日々から、一大転機が訪れます。
☆
それは、悲しい話ですが、生涯の親友の死でした。
彼は、横浜高校野球部出身で、2浪して、明治大学野球部に入部しました。
通い野球部時代は、2年間、同じの下宿部屋に住んでいました。
生涯の親友、平川憲彦君です。 (明治大学野球部時代は、背番号は『3』)
僕の現役引退試合は、僕とバッテリーを組んでくれましたね。
3年前、神奈川の病室のベットで、話も出来ない、ほとんど意識のない彼でした。
そんな彼に、僕はバックから持参したボールをとりだし、握らせました。
すると、彼はニッコリ笑ってくれました。
そして、一筋の涙を流してくれたのです。
「平さん、しゃべれないけれど、うなづけないけど、わかっているんだ!」
神奈川の病室での、平さんとの、キャッチボールが、今世での、最後のキャッチボールになってしまいました。
「平さん、今でも 大好きだよ」
そして
「 平さん(平川憲彦君)と、一緒に野球をやってきて、感じたこと、気づいたこと、教えてもらったことを、平さんに変わって、次世代の選手に、伝えていこうと思ったんだ。」
その瞬間、急に、今まで遠ざけていた、野球のスイッチが、僕の中で再び入ったんだ!
ブログを書いているときは、今でも、平さんと、対話しているつもりで・・・・・。
平さん 、これからも、天空から(宇宙の片隅から) 僕(たち)見つめていてね。
☆
☆
『夢があるから、顔晴(がんば)れる!
明日に、輝け!!
ワクワク魂で
目指せ、君だけの頂点
君だけの ベスト
君だけの 大優勝旗!』
by 蒼島 俊男
生涯の親友
明治大学野球部OB
故 平川憲彦君に 捧ぐ
青春を
君と一緒に
走りぬく
光輝の一球
永遠に輝く.
歌手熊木杏里さんの、映画バッテリーの主題歌『春の風』を聴くと、平さんを思い出します。
この曲が、世に出たと同じ時に、彼は 天空(宇宙)にかえっていきました。
この曲の,詞と同じような、生き方を平さんは、僕たちに見せてくれました。
「平さん、ありがとう・・・ 」
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