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決勝戦

第90回 夏の甲子園は、北大阪代表の大阪桐蔭高校が優勝した。

北大阪大会 7試合で、与えた失点は、2。(準決勝 1点。準々決勝1点)

大阪桐蔭高は、決勝も含め、地方大会は 5試合を完封勝利する。

守りの、リズムが完璧に出来上がっていた。

 昨年秋の大阪府大会で、PL学園に0対9のコールド負けをする。

その際、西脇監督は

「誰が打ったとか、誰が迎えたとは関係ない。全員で勝ち抜こう」と全選手に伝えた。

全部員の野球日誌に目をとうし、影の存在の部員にもメッセージを送り続けた。

 選手たちが決めた目標は、「足と声を徹底すること」

ボテボテのゴロでも、全力疾走する。

声をかけて一体感を生む。

粘り強く、泥臭い野球を実践しぬいた。

 今年の大阪桐蔭の前評判は、決して高くはなかった。

戦いの基本 「守る時間は、短く、攻撃の時間は、長く」

 そして、大技小技をからめ、繋げる野球で、全国の頂点に立った。

一方、準優勝の静岡の常葉菊川高校は、決勝戦に燃え尽きた。

予選では、最速141キロのエース戸狩投手は、左肘痛のため、この日の最速も

120キロ台の投球。

サイドからの投法でだまし、だまし、決勝戦まで来たが、かわしきれなかった。

 守りのリズムの狂いは(長い守り時間)は、攻撃にも響いた。

常葉菊川高校のエースの怪我との戦い。

 2番手 3番手の 投手の重要性。

学ぶ点が、多いこの夏の決勝戦だった。

※ 『甲子園』(週間朝日2008.8.10増刊号 地方大会の記事を参照しました)

甲子園ベスト4

この夏の甲子園 準決勝。

 第一試合 

浦添商業対常葉菊川高

第二試合

大阪桐蔭高対横浜高校

 常葉菊川高校と大阪桐蔭高校は、青年監督が率いる。

一方、横浜高校と浦添商業は、ベテラン監督が采配を振るう。

監督の世代が大きく2つに分かれる。

 青年監督が、この大一番 どういう采配をふるうか。

また、浦添商業、横浜高校は、集大成の采配になるのではないか。

戦力的には、それぞれ 事情はある。

それを、踏まえて、ハイレベルのベスト4の戦いが今始まる。

 春夏連続

夏の甲子園、南神奈川代表の横浜高校が、準決勝に進出した。

昨秋の神宮大会に優勝し、優勝候補として挑んだ春の選抜大会。

思わぬ初戦敗退。

 そこから、立ち上がってきた横浜高校。

エース土屋投手が、ほぼ一人で投げ抜いてくる。

 特に、今年のチームは、繋げる細かな野球を、選手が心得ているように思える。

大味な部分が、一切ない 野球。

 連戦で挑む準決勝。

横浜高校野球部の参謀 小倉部長がいかなる作戦をさづけるか。

ハイレベルな、準決勝になるのことは、間違いない。

継投

この夏の甲子園 準々決勝。

浦添商業対慶応高校。

 慶応高校は、従来の先発田村投手ではなく、只野投手を先発する。

一方、浦添商業は、疲労の伊波投手を右翼手に回し、この夏初登板、上地投手を先発させる。

 浦添商業の先発、上地投手は、3回1/3を1失点に迎える。

2番手は、伊波投手でなく、この夏初登板島根投手。

島根投手は、沖縄大会は、不調で、ベンチ入りしていない。

甲子園で、ベンチ入りした島根投手が、2回2/3を無失点に迎える。

 最後、エース伊波投手が、踏ん張り、辛勝する。

いよいよ、ベスト4。

疲労感がある伊波投手を、2人の投手がカバーできるか。

常葉菊川の強打線との戦いが始まる。

全国制覇

「先輩、信じられないですよ・・・」

と大学野球部の1学年下の後輩が話かけてくる。

彼は、神奈川の名門 横浜高校出身。

後輩といっても、彼は2年浪人しているので、年齢は、ひとつ上。

先輩・後輩を超えた、野球を通じてできた生涯の親友のひとりだ。

 「なにが?」と聞くと

彼は「大学の同期の野球部員が、高校時代の母校の監督の悪口や批判を言うのが、僕には信じられないんですよ」というのだ。

 「ほう・・・」と僕がいうと、

「だって、僕には、お世話になった監督さんの悪口や文句なんか言う奴、絶対信じられませんよ」

彼の紹介で、一度 横浜高野球部の渡辺監督に、横浜高校グランドでお会いさせていただいたことがある。

当時の部長から、横浜高校の野球部についてじっくりお話を聞くこともできた。

また、彼は、ここが、選手の合宿所なんですといって、宿舎と記念展示の場所を案内してくれた。

そこには、春夏の甲子園大会優勝の記念展示があった。

 後輩の彼は、高校3年生の夏予選まで、ベンチに入っていたという。

神奈川大会地区予選、決勝で横浜商業を下し、優勝そして甲子園大会へ。

甲子園のメンバーには、多数の1年生が入り、彼はベンチ入りから外れた。

アルプススタンドからの応援となる。

本来なら、監督に対して、少なからず、文句や愚痴のひとつは、吐き出したいところでもある。

しかし、彼には、そんな気配は微塵もない。

「監督さんが、追浜球場の合宿の選抜メンバーに入れてくれたんです」

「春大会は、○○番の背番号をくれたんです」

「監督さんが・・・」など、感謝の言葉が尽きず、感謝の言葉しか出てこない。

 彼だけが、そうなのか、チーム全体がそうなのか、そこまで確認しなかった。

ただ、卒業されプロ野球でも活躍する横浜校OBの選手たちの言動を見ても、

 後輩の彼が言っていたように、監督への無限の信頼、監督との間に、とてつもない信頼関係があると強く感じた。

 レッドソックス松坂投手の年代、奇跡の連続優勝などは、この目には見えない、監督と選手のとてつもない信頼関係の積み重ね力が、原動力になっていたのではないか。

渡辺監督は、今の選手が求めるものに心を砕き、30年間に4回、指導方針を大きく変えた(進化させた)という。

選手の心を、つかんで離さない 神奈川横浜高校 野球部・渡辺監督は、まさしく常勝の名将である。

 http://jp.youtube.com/watch?v=1L3V9uum5CM&feature=related

0対10大敗を乗り越えて

 2001年、夏の西東京準決勝、神宮球場。

日大三高対創価高校の試合を、バックネット裏より、観戦する。

 日大三高の監督は、小倉監督。

日大三高OBで、大学時代は、母校の学生コーチ、卒業後、関東一高で、監督として、甲子園出場に導く。(選抜大会準優勝)

 小倉監督の、理想の試合は「10対0で勝つ野球」を掲げる。

守りのイメージの日大三高の野球に、強打のイメージをプラスさせる。

 一方、創価高校は、片桐青年監督が指揮を執る。

創価高校OBで、現役時代、甲子園でホームランも放つ。

創価大学から、社会人野球を経て、近藤前監督の後、創価高野球部監督に就任。

 「守りから、リズムをつくる野球」を掲げ、準決勝に挑む。

初回、創価高校が、攻める。

 一人ランナーをおいて、四番サード、キャプテンの左打席。

日大三高バッテリーが、警戒する打者だ。

日大三高の近藤投手のストレートをとらえる。

 もしや、というあたりも、打球があがり過ぎて、ライトフライに倒れる。

一方の、日大三高は、初回、たたみかける攻撃で、先取点。

 結果的には、一回の攻防が、明暗を分ける。

終わってみれば、10対0で、日大三高校の5回コールド勝ち。

日大三の近藤投手は、5回参考記録ながら、ノーヒットノーランを達成。

 ベンチでなす術のない、創価高・片桐青年監督。

日大三高は、決勝で、東亜学園を破り、甲子園へ。

 そして、破竹の勢いで、夏の全国制覇を果たす。

一方、0対10の創価高校は、その6年後に、同じく神宮で、リベンジを果たし、12年ぶりに甲子園出場。

 0対10の大敗を、最大の教訓として、立ち上がってきた。

【野球に学んだ大切なこと】

 大敗から、何を得たのか

    今後、常勝できるかの分岐点がある

      ~リベンジしますか~

都立校の初甲子園

 大学野球部の1年の夏、部からアルバイトとして読売新聞の高校野球担当スコアラーをすることになった。

 担当は、西東京の予選を担当。

1回戦から決勝まで、都立国立高校の試合のスコアーを、バックネット裏よりつける。

 都立国立高校は、小さな大投手、市川投手を擁し、一戦一戦勝ちあがる。

準々決勝、佼成学園との試合は延長18回 引き分けで、再試合で勝利する。

 国立高校には勝ちパターンがあった。

・対戦する強豪が、侮る。(ぱっと、みると、失礼だが、外見が少年野球のチームのように見える)

・いつでも、打てるピッチャーに思える。 サイドハンドからの、120キロ台のストレートとカーブ。

・5回くらいまで、走者を出すも、得点を許さない。

・味方打線が、少ないチャンスで得点をあげる。

・対戦高校は、終盤焦り、チャンスに凡打。そしてゲームセット。

準決勝、強豪の堀越高校を2対0の完封勝利。

決勝も駒大高校を2対0 連続完封勝利する。

 都立高校として、はじめての甲子園出場を果たす。

国立高校は、予選全8試合に、一度もコールド勝ちは、なかった。

失点は、8試合で 6点。(一試合平均 0.75失点)

得点は、8試合で 28点(一試合平均 3.5得点)

甲子園への道のりは、いろいろある。

 市川投手は、1年浪人して、東京大学にも合格し、六大学野球のマウンドにも立つ。

文武両道を極めたような投球術が、今でも印象に残る。

 【野球に学んだ大切なこと】

  文武両道

    試合には流れがあり、勝ちパターンがある

~勝ちパターンはできていますか~

立ち上がれ

 平成17年7月28日 気温30度 湿度39%

真夏の神宮球場に足を運ぶ。

西東京大会の準決勝だ。

 春の関東大会の覇者・優勝候補筆頭の日大三高対早稲田実業の事実上の決勝戦。

バックネット裏から、観戦する。

 早稲田実業の先発は、2年生 斉藤祐樹投手。

体は細いが、アウトコース低めのストレートを決め球に、投げ込んでくる。

 気持ちが、強すぎぐらい、闘志がマウンド上に現れる。

大先輩、星野投手のような、気持ちを出すタイプの投手だ。

 日大三高の1番打者を無難に打ち取る。

しかし、2番・3番が神宮ヒット(叩きつけたサードごろが、レフト前へ)

リズムを、完全に崩す。

 4番のレフト前の流し打ち、早くも先制点。

初回いきなり3点を失う。

「気持ちが強すぎる投手」

 センターオーバーのあたりでも、利き腕の右腕を伸ばして取ろうとするしぐさを何度かする。

4イニング3分の2を投げ、11安打を浴び、失点は8という大惨敗だ。

 1対8 7回表終了。コールドゲーム。

早稲田実業は、なす術もなく、敗れ去った。

しかし、斉藤祐樹投手は、このままでは終わらなかった。

この敗戦を、原点として、生まれ変わったのだ。

すぐムキになる力任せの投球は、影を潜めた。

日大三高の大敗から、観察力と修正力をかな備えた、頭脳的な投球術を体得したのだ。

 一年後の斉藤祐樹投手は、この大敗を原点として、全国制覇を成し遂げる。

【野球に学んだ大切なこと】

 大敗から、何を学んだか

  優勝への因は、負けの中にある

~ 負けから、何を学びましたか~

雨の甲子園

 夏の甲子園大会。

4年ぶりの甲子園出場だ。

今年こそ、全国大会を勝ち抜くために甲子園に戻ってきた。

選手は、浮ついた気持ちなど、誰一人もっていない。

バックネット裏から、選手の動きを追う。

初戦は、福岡県の代表校。

福岡県代表校には、4年前に、押せ押せの試合を、わずかひとつのミスで0-1で惜敗する。

そのかりは、必ず返す。

序盤から、攻撃のリズムをつくる。

ヒットとバントで、得点を重ねる。

攻撃のリズムはできた。

 しかし、守りのリズムがつくれない。

内野に、守備の乱れがでて、逆転を許す。

 監督からの伝令が走る。

チーム一番のムードメーカーが、激励に走る。

 選手の表情には、冷静さがある。

リードを許した試合。

中盤に差し掛かる前に、甲子園に雨が降リはじめる。

 甲子園上空を、灰色の雲がおおう。

雨が土砂降りになる。

アルプススタンドの二高応援席は、雨の中の大応援となる。

試合が中断になる。

ブラスバンド、チアーリーダーの応援は、雨の中でも続いている。。

バックネット裏の関係者は、球場通路内にほとんど引き下がる。

ひとり、バックネット裏に、傘もささず ずぶぬれになる。

ずぶぬれになりながら、ずぶぬれの選手たちと監督・部長とアルプスの選手を見守る。

監督も選手も、アルプススタンドの選手も、皆ずぶぬれになって、緊張感を緩めず甲子園で戦う。

先輩たちの前々回、夏の甲子園出場と同じく、雨天ノーゲームが宣告される。

歴史は繰り返えす。(前々回の夏の甲子園出場の時、春の選抜優勝校・岡山東商業と対戦、負けていた試合が雨でノーゲーム。再戦で勝利する。)

 応援団も、アルプススタンドを引きあげる。

土砂降りの雨の中の甲子園、選手も監督も、アルプススタンドの選手、応援団、在校生、卒業生、父母等も、みなの心はひとつになり、逆転を信じ燃えていた。

 雨のノーゲーム。

修整すべき点は、わかっている。

 宿舎に帰り、全選手が、今日の試合のビデオを見ながら、仕切りなおす。

今日のゲームの良かった点と、修正すべき点が明確になった。

明日は、あらたな気持ちで再び戦うのだ。

http://jp.youtube.com/watch?v=1z_APqOW4Fs&feature=related

 【野球に学んだ大切なこと24】

 雨の中の甲子園

   歴史は繰り返す

 ~ 新たな歴史をつくりませんか~

甲子園出場病という病

 僕の母校は、甲子園大会に夏4回春2回出場 甲子園ベスト8 国体は全国制覇を経験している。

コーチは、<甲子園出場>を果たした選手を前に、こう言った。

 
 「甲子園出場の病にかかってはならない」と・・・・・

甲子園出場の病とは、「燃え尽きた感覚(バーンアウト)だ」

 当面の目標を達成した後、再スタートが切れない、燃え尽きてしまった感覚。
モチベーションがあがらない。

甲子園に出場の夢を果たした者やチームに、この病にかかる可能性が大きいというのだ。

モチベーションの喪失と低迷。

 そして、甲子園出場病の病は、慢心も併発する。

 とても、やっかいな病だというのだ。

甲子園出場病の病を治すには、「もう一度、生まれ変わった」ぐらいの決意で野球や、人生の課題に取り組むしかない。

 【野球で学んだ大切なこと8】
  

 謙虚さを忘れず、目的を目指し、あらたな人生の挑戦を

~今のモチベーションはどうですか~