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195勝

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日本大学第二高等学校 硬式野球部は、昭和5年(1930年)第16回夏の選手権東京大会に初めて出場した。

初出場以来、夏の選手権東京大会<予選>通算勝利数は、今日まで (2014年夏)

195勝

195勝は、先輩・後輩選手たちの一勝一勝の貴重な積み重ねで成し遂げたものだ。

汗と涙と笑顔で、築き上げた勝利。

 甲子園で活躍した年代。

甲子園を目前に敗れ去った年代。

甲子園を遥か遠くに敗れ去った時代。

まさかの、敗戦に涙した年代。

それぞれの年代の選手たちの結晶が、「194勝」に込められている。

また、「195勝」は、選手だけのものでない。

 ベンチでスタメンの戦況を見つめるもの。

スタンドで、声をからして応援する選手。

 大切な青春の時間を高校野球に賭けた、女子マネジャーたち。

 さらに、真夏の炎天下、母校の選手の活躍に応援してくださった応援団・ブラスバンド、在校生、卒業生の人々。

父母・教職員・関係者の方々の応援があった。

そして、名門野球部に一旦は入部しながら、諸事情で、ひと足早く,野球部を卒業していった先輩・後輩の選手たち。

 名門野球部に入りたくても、入部さえ叶わぬ者もいた。

それぞれの思いと、汗と涙が凝縮した

195勝」。

そして今、新たな母校野球部の歴史が始まる。

野球部のOB・OG、 一千人の心はひとつになって。

 まずは、夏の選手権東京大会(西東京)通算 200勝を勝ち取りたい。

そして 明年の創部80周年から、創部100周年へ目指して戦いの駒を進めてまいりたい。

その暁には、秋国体以来の、甲子園全国制覇の道筋が見えてくる。

それぞれの思いが詰まった「195 勝」

   新たな、歴史が今はじめる

1_6_7

(写真 田辺 晃選手 夏の甲子園 池田高校戦)

http://jp.youtube.com/watch?v=8gLulH_bjgI

(西東京決勝 日大三高戦 )

http://jp.youtube.com/watch?v=1z_APqOW4Fs&feature=related

<雨の甲子園 ~ 雨の中の大応援~>

【夏4回 春2回 甲子園出場 国体全国制覇 1回】

http://jp.youtube.com/watch?v=G3MnzGnvoL0&feature=related

<甲子園で勝利 ~校歌~>

夢力

 わが母校出身の偉大なエース神山修先輩をご紹介したい。

先輩は、3年の夏の地区大会決勝(東京代表は1校)で、日大三高と戦い2-0の完封勝利し、甲子園へ駒を進める。

甲子園での初戦は、春の選抜優勝高の岡山東商業の平松投手(後プロで大活躍)と投げ合う。

試合は、雨のノーゲームとなり、翌日再戦となる。

 先輩は、次の日、選抜優勝高を、4-0で完封する。

日大三高、選抜優勝の岡山東商業を連続完封した。

 先輩は、その後、ドラフト会議で、プロに指名される。

プロには行かず、大学進学。

東都大学野球リーグの春・秋の連続優勝を成し遂げる。

ここからが、すごい。

なんと大リーグへ挑戦するのだ。

当時、日本の球界に(今とは違う)大リーグへ挑戦するという選択肢などなかった。

野茂投手や、イチロー、松井選手、松坂投手に、先駆けて、アメリカに渡ったのだ。

アメリカ・ロサンジェルスドジャースのテストを受ける。

一次・二次テストは、合格。

惜しくも最終テストで、不合格。

無念、挫折。

ここで、先輩の挑戦は終わらない。

 その瞬間から、あらたな挑戦を開始する。

アメリカに残り、語学の勉強を本格的にはじめる。

アルバイトの皿洗いをしながら・・・・・・

   ニューヨーク州 イサカカレッジ在籍

体育学部 4年に編入

大学院 修士課程入学

5月 修士号取得 論文「力の遂行時における気合の効果」“Effects of Shouting on Force Production" が「気合」に関するアメリカにおいて初の研究であった為大変注目を浴びる。 これ以降、全米中の大学で研究・実験の一環として「気合の効果」が検証されている。
 

ニューヨークコロンビア大学大学院、研究室にて運動生理学を研究

体育主任としてニューヨーク日本学校勤務 体育を通じて日米の架け橋になるよう努める

それ以来、アメリカに在住し、青少年育成に携わる。

  地区予選、決勝で、日大三高に完封勝利し、甲子園では選抜優勝高をまた完封。

東都大学野球でリーグ連続優勝。 メジャーに挑戦し、惜しくも最終テストと通らずも、

語学を学び、アメリカの大学院へ編入。

現在でも、日米の青少年の教育に携わる偉大な先輩。

母校にこのような、偉大な先輩がいるということは、僕らの誇りだ。

神山修先輩のホームページ http://www.jawellness.com/director.htm

【野球に学んだ大切なこと】

挑戦につぐ、挑戦。

 挫折。そしてまた、挑戦の生き様を教えてくれた。先輩に感謝

 ~挫折を突き抜け、挑戦してますか~

 

東大和高校とOB戦

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第60回大会  西東京大会で決勝を戦った、都立東大和高校とのOB戦の日程がきまりました。

日時 2009年 10月25日(日)

    午前10時集合

場所 日大二高立川グランド  

 試合は、ダブルヘッダーを予定しています。

第1試合 第60回大会 西東京の決勝のメンバー中心

第2試合 第61回大会 準々決勝のメンバー中心

 試合後 懇親会を企画しています。

メンバーは、第60回・61回・62回の3世代のメンバーが中心になっての試合とな

今回も、二高・田中監督の様々なご配慮があり、OB戦が実現いたします。

 みなさん、応援よろしくお願いいたします。

熾烈な真夏の決勝戦

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太陽が燦燦と輝く、真夏の神宮第一球場。

7月28日灼熱の太陽が眩しい。

母校が13年ぶりに甲子園に戻ろうとした夏だ。

決勝の相手は、都立高校として初めて、悲願の甲子園出場を

目指す、都立東大和高校。

春大会の成績で、東大和高校が第一シード。

母校は、第二シードで、抽選は、双方の高校が両端に位置していた。

 第一シードと第二シードの、決勝戦は順当のように思える。

しかし、波乱のずくめの西東京大会であった。

優勝候補の一角、日大三高が、都立高校に初戦で敗れ、早くも姿を消す。

さらに、三年連続夏の出場を目指す、桜美林高校も、大会の序盤戦で姿を消した。

 堀越高校や東亜学園、創価高なども、都立高校にまさかの敗退。

初優勝を狙う 国学院久我山高校も、ベスト8で都立東大和高校の前に敗れた。

 

 他球場の試合経過のアナウンスのたびに、「うぉー」と、まさかのどよめきが、絶えない大会でもあった。

 現在の都立高校の大躍進が、まさしく始まった大会でもあった。

超満員の神宮球場。

 一塁側の、東大和高校。

球児のこころをつかむ、佐藤道輔監督が率いる。

全国の無名の球児を励ます『甲子園の心を求めて』(報知新聞社)を著されている。

 この決勝戦、佐藤監督を慕う選手が、一丸となって、全都立高校の夢を背負って、甲子園を目指し戦いに挑む。

 

一方、母校は、2年ぶりの決勝戦だ。

13年間、甲子園を離れている。

この13年間、様々な試練があった。

一昨年の夏は、西東京の決勝で、逆転サヨナラ負け。

昨年の夏も、予選で準決勝敗退。

秋大会は、選抜大会の補欠高校にもなったこともある。

いずれも、優勝目前、紙一重の敗退だった。

 

さらに、今から数年前には、秋大会に部員が9名にまで減ってしまう、部の存続の危機、まさに冬の時代もあった。

 勝てなければ、周囲の雑音を多くなる。

苦境の時代を経験しての決勝戦だ。

「宇宙戦艦ヤマト」のテーマ曲に乗って、

東大和高校のスタンドの大応援が鳴り響く。

 

一方の、母校のスタンドからは

「ああ紺碧の空の下、

 覇者の冠 飾るべく

戦わんかな

 時 来る 」

の母校の応援歌が鳴り響く。

母校の先攻。

「プレイボール!」のサイレンが、真夏の神宮球場の上空に、鳴り響く。

 3時間半におよぶ、壮絶な夏の決勝戦が始まった。

                

 母校が、13年ぶりに、夏の甲子園に戻るチャンスが来た。

決勝戦に挑む、3年生の部員は8名。

苦労に苦労を重ねた先輩たちだ。

夏の大会は、1年生の時、決勝で、2年生の時は、準決勝、甲子園を目前で敗れた。

夏のベンチ入りの大半は2年生だった。

 昨年秋の新チーム結成の時。

新チームのキャプテンは

「俺たちは、先輩(準優勝・準決勝進出)のような力はないかもしれない。

 だから、どんな相手でも、都立高校だろうと全力で戦うのみだ」と叫んだ。

 とにかく、練習では、人が見ていなくても、手抜きをしないし、チームワークが

抜群だった。

そして、キャプテンの予告どうり、そのとうり、最後の夏の決勝戦は、都立高校との対戦になった。

 新キャプテンの強い思いが、新チームの結束の軸となった。

新チームの秋のブロック戦は,辛勝の連続で、本大会へ。

 本大会1回戦(ベスト16)、神宮第二球場で、早稲田実業高校に、大敗した。

東京の秋大会は、早稲田実業が優勝する。

早稲田実業のエースでキャプテン、左腕の前に、打線が沈黙し、中軸の打線をいつものように迎えることができなかった。

キャッチャーは、一学年下で、好リードをする。

後に、彼は、早稲田実業に、監督・指導者としてもどり、悲願の夏、全国制覇を成し遂げる。

 新チームの強みや、補うべき課題が明確になった試合であった。

この秋の大敗から、実質的な新チームのスタートが始まった。

本来持っている、新チームの強みを伸ばすことと、そして、足りないものを埋める厳しい戦いが始まった。

 冬の間の練習には、今までにはない特別なトレーニングも導入された。

  いよいよ、その成果を試す、春が来た。

新2年生になる長身の右腕が、マウンドに戻って来た。

昨年夏に、ベンチ入りするも、大会直前に体調を崩し、治療に専念する。

昨年の夏と秋は マウンドに立てなかった。

 その彼が、帰ってきたのだ。

デビュー戦は、神宮第二球場、修徳高校戦。

 初先発で、1対0の衝撃の完封勝利。

この春は、準決勝で,選抜大会から帰ってきた帝京高校に、同数安打を打つも、大敗する。

 リズムのいい投球を重ねる帝京高校の背番号「1」。

制球力がある。

そして、キャプテンの好リードが冴える。

そのリズム感のある投球術と強打の打線、そして機動力の伝統は、今の後輩たちも継承している。

、帝京高校の新しい歴史は、この時から、すでに始まっていた。

縦じまのユニフォーム、帝京高校が、他を抜く圧倒的な力で、春の東京大会を制した。

 東東京の強豪との対戦を経験もでき、夏への強みと課題が見つかった春大会。

収穫も大きかった大会であった。

そして、迎えた夏の大会であった。

 西東京大会4回戦からの 登場で、初戦の都立石神井高校戦に大苦戦する。

結局2対0で勝利する。(油断を廃し、挑んだ試合、センターの超美技がチームを救った)

 その試合を契機に、一気に決勝まで勝ち進む。

迎えた大一番は、決勝の相手は、都立の雄 東大和高校であった。

東大和高校の先発は、背番号「10」の3年生投手。

「奇襲」か「予定」なのか。

 準々決勝を、抑えで登板し、準決勝は投げていない。

東大和高校を、決勝戦まで、つないできた、 もうひとりのエースが神宮のマウンドに立つ。

 決勝の対戦相手である、東大和高校は、昨年の秋、東京大会にはベスト8まで進出している。

この春選抜大会に初出場した帝京高校に、延長10回2-3で敗れた。

 春の東京大会では、同じく、決勝で、帝京高校と対戦した 

昨秋と同様、帝京高校が振り切リ、優勝する。

昨秋と今年の春の時点では、母校の戦力より、東大和高校のほうが、勝っていた。

 春から、夏へ、更なる練習で、どこまで第一シードの東大和高校に、母校の戦力が追いついているのかが問われる試合でもあった。

 決勝に向かう、春から夏にかけて、週末は、練習試合を神奈川や千葉の強豪高校と行ってきた。

 千葉の全国制覇の経験のある、名門銚子商業とも、練習試合を行った。

グランド側には、全国優勝記念館があった。

母校にも、一日も早く全国優勝の記念館をつくりたい。

 夏の東京予選に向けて、夏合宿を6月に立川グランドで行った。

「練習は嘘をつかない」との箴言もある。

しかし、実際には、時に練習は嘘をつく。

その練習の中身、質、目的や目標、イメージがただしく伴わない練習は、時に嘘をつく。

 だが、この夏の母校には「練習が嘘をつく」ことは許されなかった。

この夏は、とくに灼熱の太陽の日差しが激しく、選手を照らし、時に選手を苦しめた。

7月28日、東京の200校以上の中から、東西の東京予選を勝ち抜いた高校は、わずか4校にまで絞られた。

神宮第一球場での決戦となる。

西東京の決勝は、

東大和高校対 母校。

東東京の決勝は、翌日に控える

帝京高校対早稲田実業高校。

 この春、帝京高校と早稲田実業高校が選抜大会に出場した。

早稲田実業は、春季の東京大会にはベスト8で、城西高校に敗れている。

夏の準々決勝では、その城西高校を下しての、決勝進出だった。

東東京大会、第一シード、選抜出場の両校の決勝は順当のように思える。

しかし、特に早稲田実業高校の決勝までの道のりは平坦ではなかった。

初戦で 野球では全く無名な学校に、絶対絶命の敗北のピンチに追い詰められた。

早実の攻撃、最終回 2アウト まで劣勢。

内野の平凡なファールフライ。

捕れば「ゲームセット!」

誰もが、「早実 まさかの 初戦敗退」と思われた。

 ところが、勝利を意識しすぎたのか、内野手が、凡ファールフライを、まさかのエラー落球。

ここから、奇跡的に、早実が息を吹き返し、10対9で、初戦を奇跡の逆転勝ちをした。

「初戦は、怖い」

絶対に、最後まで油断は、できない。

初戦の大苦戦を、乗り越えての早稲田実業の決勝進出だった。

母校も、この夏の大会では、初戦の都立高校に、大苦戦をしいられた。

 逆に、これが、後の試合に、いい意味での油断の戒める好材料にもなった。

、壮絶な決勝戦は、西東京だけでなく、東東京でも繰り広げらる。

 灼熱の太陽の下で、繰り広げられる、東西の決勝。

選手たちは、すでに限界を超えたところで戦っていた。

 この夏の東京の東西の決勝戦は、やがて歴史的な決勝戦と語り継がれるようになる。

西東京の頂点を決める、決勝の試合が遂に始まった。

東大和高校の先発は、準々決勝と、準決勝に先発した、背番号「1」ではない。

 東大和高校の先発は、背番号「10」の3年生投手。

先発は、今朝、佐藤道輔監督から告げられた。

 準々決勝は、リリーフで登板。

準決勝は、背番号「1」が、完投した。

 一方、母校は、左腕エース・背番号「1」が先発する。

後には、長身の大型右腕 背番号「18」が控える。

 この決勝の大きなポイントは、投手の「継投」だ。

どこで、それぞれの、もうひとりのエースに「継投」するのか。

 監督の采配で、一番難しいのが継投のタイミングだ。

 東大和高校の、背番号「10」の3年生投手は、登板感覚としては、恵まれていた。

準々決勝、準決勝に先発した、背番号「1」を先発させないのは、佐藤道輔監督の、奇襲なのか?

 それとも、何かエースに異変がおこったのか?

母校の先発左腕の3年生投手は、2年の秋から、野手から投手に転向した。

 秋から春へ、そして、最後の夏に照準を合わせてきた。

 初戦からの毎試合の登板で、左の肩とひじは、限界を超えていた。

 西東京の決勝は、「継投」をいかにするかに、焦点があった。

一方、東東京の決勝までの、戦いは、対極的な戦いでもあった。

 両校エースが、準々決勝、準決勝、決勝と、先発完投する試合運びだ。

両校は、ともに背番号「1」に、すべてを託し、バックが援護するとい戦いが、東東京の頂点までの戦いの特徴であった。

 「完投」か「継投」か。

そのタイミングは、いかに。

いずれにしても、それぞれのエースたちは

 肉体的にも、精神的にも ぎりぎりの極限なところで、戦っていた。

いや、すでに限界を超えた、ただ自分との戦いだけをしていたのだ。

.真夏の灼熱の太陽の下で、

暑くて、熱い 決勝戦の火蓋(ひぶた)は、始まったのだ。

 西の頂点の戦いは、序盤から試合が動く。

母校の2回表の攻撃。

9番の2年生遊撃手が、レフトスタンドに、先制ツーランホームランを放つ。

さらに、2点を加え、4点を先取する。

 序盤から、4点の先制は、母校の有利な試合運びと思われた。

しかし、その裏 、東大和高校の打線も黙っていない。

下位打線8番打者が、満塁からの走者一掃の三塁打などで、4点上げ、一挙に同点に追いつく。

2回途中、ここで、母校の監督は、はやくも、投手を交代、「継投」に出る。

背番号「18」の長身の右腕に、勝負を託す。

 東大和高校も、次の3回の途中で、背番号「1」の継投を決断する。

 満員の神宮球場、全都立高校の球児の夢が、全国の都立高校のファンの思いが、

背番号「1」に託される。

西東京の決勝は、序盤戦から、時間を重ねるごとに、さらに激しさをましていく・・・・・・。

真夏の神宮球場の西東京の決勝戦は、思わぬ展開となってきた。

3回までに、両チーム 4点を失う展開だ。

 投手が、中盤以降、いかに立ち直るか。

都立の雄、東大和高校は、エースを投入する。

彼は、投げるばかりでなく、打つほうでも4番を任されチームを引っ張る。

 精神的にも、重圧がかかり、ギリギリのところで、マウンドで、ひとり戦っていた。

母校の2番手は、今大会、2回からのロングリリーフは、初めてだ。

しかし、両チームの打撃に勢いを、両チームの、もう一人のエースが、迎えることができない。

 長打も飛び交う。

母校が点をとれば東大和高校が、取り返す。

 戦いは、7回の終盤を迎える。

スコアーは 8対6で、母校が2点リードで、いよいよ7回の攻撃。

西東京の頂点の戦い。

 母校の円陣では、選手を座らせ、監督の指示が 出る。

「ここからが、勝負だ」

会の抽選が決まれば、目の前の一戦のことだけに集中していく。

優勝といっても、具体的には、この積み重ねしか、方法はない。

  試合は、一球の流れ(運)が、試合を大きく、動かす。

西東京の真夏の決勝戦は、壮絶な打撃戦となる。

後攻の、東大和高校は、点をとられても、すぐに取り返す。

驚異的な、粘りを見せる。

 しかし、逆転へのもう一点が、どうしてもとれない。

母校の投手陣の粘りの投球で、逆転だけは許さない。

東大和高校の攻撃、塁上にランナーを置き、ライトへの一打。

満員の一塁側スタンドから、大歓声が沸く。

この一打を、 母校の右翼手がダイビングキャッチ。

 東大和高校が、最大のチャンスをつぶす。

 この一球の好捕が、その後の試合の流れを大きく変えていく。

戦いは、7回に入り、大きな山場を迎える。

 2回表と同様に、母校の打線が、火を噴く。

好投手を、伝統の強打の打線が援護する。

長打とバントの揺さぶり、鍛え上げたベースランニングで、一挙 4点をあげる。

 戦いの終盤で、貴重な4点だ。

この試合、東大和高校の犠打2に対して、母校の犠打の数は8に達していく。

強打と犠打の数が圧倒的多い、そして、足を絡めた機動力で、相手の守備をかく乱させてきた。

そして、その裏の、7回の東大和高校の、追撃を0点に抑える。

 試合は、7回終わって、 12対6の、壮絶な打撃戦。

6点差は、決して安全圏ではない。

 東大和高校の全員野球が、残された2イニング、母校の投手陣に襲いかかる。

 真夏の試合も、開始から3時間になろうとしている。

肉体的には、両校の選手も、限界の域に達していたかもしれない。

 ただ、選手の胸にある、勝利への執念は、時間がたつごとの、さらに赤々と燃えていく。

都立の勇者、東大和高校は、さわやかな、マナーのいい、精神力を

かな備えたチームだ。

佐藤道輔監督、吉沢保年コーチが、手塩のかけたチーム。

今大会、第一シードとして、堂々の戦いを繰り広げてきた。

 精神力も、内に秘めた強さ。

私立学校のような、荒々しい、表面だったものではない。

3年生部員は23名。

 スタンドとベンチが一体の全員野球が東大和高校野球部の真骨頂だ。

エースで4番の背番号「1」が、この一年間、チームの原動力になった。

サードキャプテンは、100名近い大所帯のメンバーを、まとめ上げてきた。

 内野陣は、無失策、全員安打で、投手を援護する。

一番バッターは、俊足巧打の左バッター。

バットのグリップエンドを、2つくらいあけて、ミート打法に徹する。

細いからだから、痛烈な当たりを放ち、快速で塁上を駆け巡る。

最終回も、驚異の粘りの打撃で、ライトフェンスまで、放つ。

 俊足を飛ばし、途中 倒れそうになりながらも、堂々の3塁打で、ランナーを迎え入れる。

一塁側スタンドは、総立ちで、拍手でランナーを迎え入れる。

両チームあわせて、26安打、四球は15、残塁は18。

試合時間は、開始から3時間半になろうとしている。

 この試合、これだけの乱打戦になりながら、東大和高校の失策は、わずか1。

その失策1も、太陽の視線や、神宮球場特有のバウンドの変化があった、不運な失策。

  東大和高校の鍛え抜かれた守備、それを支える精神力が証明された試合でもあった。

その後も、東大和高校のみならず、全都立高校に、いや全国の無名の高校球児に

「やれば、できる」ことを、事実の上で証明してみせた。

 最終回も、俊足トップの左打者の一打で、1点を返し、全員野球で、最後まで、執念の戦いに徹する。

全野球部員で、もぎとる、最終回の1点。

攻撃は、さらに続く。

東大和高校の全員野球は終わらない。

真夏の壮絶な決勝戦。

もう、そこには、勝者とそうでない者の、区別を超越した青春の熱き戦いだけががあった。

西東京大会 の決勝 7月28日。

真夏の神宮球場での熱戦は、3時間半にも及んだ。

 閉会式にのぞむ両チームの選手は、その短い間だったが、立っているのが精一杯だ。

全身に疲労を覚えた。

15対10の、壮絶な試合だった。

 しかし、たった一球、ひとつのプレーが、試合の全体の流れを決定づけた。

まさしく、勝負の一球だった。

この一球が、それぞれの 野球人生、その後の人生に、大きな影響与えた。

苦楽をとどめた、精神的な財産となる一球だった。

母校は、13年ぶりに、夏の甲子園に戻る。

3年生を、抜群のチームワークと若い2年生がつづく。

指導者陣の熱意で鍛えあげたチームだ。

 敗れた都立東大和高校の佐藤道輔監督は

「試合の結果は、「準優勝」でしたが、これからの人生で「優勝」してくれることを祈ります」

と、報道陣に応えた。

全員野球の都立東大和高校の分まで、甲子園にでて戦うんだ。

それぞれの、新たな 戦いが始まった。

後記 日大二高 15対10 東大和高校

日大二 041210412  -  15 ☆☆☆ 東大和 040200031  -  10

後に、都立東大和高校野球部佐藤道輔監督は著書『続甲子園の心を求めて』(報知新聞社)の中で綴られた。

「決勝は、名門日大二高との勝負であった。

神宮球場に舞台を移し、熾烈な戦いであった。

(中略)この試合 、この時を語る適切な言葉を私は知らない。

それを知るのは、私たちの汗のしみこんだ校庭のグランドの土だけであろう。」

そして

「甲子園の心、それは、豊かな心と、人生の賛歌です。

甲子園の心は、強い意志とやさしい気持ちを併せ持った豊かな心である。

それが青年に宿った時、甲子園の心は豊かな人生になって飛躍する。」

さらに

「国際化が叫ばれる現代社会にあって、私たちはこの地球という星に住む地球人として、世界のあらゆる人々と、共に生きる喜びを求めていかねばならないであろう。

毎日練習に励む高校野球のグランドからも、世界を展望しなければならないであろう。

選手たちは、紛れもなく21世紀を生きる主役なのである。」

佐藤道輔先生

「ユニフォーム、持ってきたか?」

僕が高校野球の現役を引退した夏、8月 都立東大和高校野球部グランドの佐藤道輔監督ところへ挨拶に伺った。

前年2年の夏は、西東京大会の決勝で、この夏は、準々決勝で、都立東大和高校と対戦した。

その対戦相手の選手でライバル関係でもある僕に対して、佐藤監督を訪ね、そこで、間髪入れずおっしゃられたのが

ユニフォーム、持ってきたか?(東大和の新チームのメンバーと、一緒に練習しないか)」

という言葉だった。

 僕自身、高校野球の夏を終え、区切りがつき、人生の新たなスタートの立った時、尊敬する都立東大和高校野球部・佐藤道輔監督にどうしても挨拶に行きたかった。

「佐藤先生 有り難うございました」 と僕は、佐藤道輔監督の瞳を見ながら挨拶した。

「この夏の、二高の主戦投手は、東京の宝だったのに・・・・、残念だったな」とも言われた。

(この夏、母校のエースは、故障で、西東京大会に、1イニングしか登板できなかったことに対して述べられた)

佐藤道輔監督の心には、都立東大和高校の選手、対戦したライバル高の選手という垣根はなかった。

スケールの大きさを感じる人柄だった。

佐藤道輔監督が、生涯にわたって『甲子園の心を求めて』いく姿を青年たちに示してくださった。

佐藤道輔監督の著書『続甲子園の心を求めて』(報知新聞社)の中で綴られた。

「決勝は、名門日大二高との勝負であった。

神宮球場に舞台を移し、熾烈な戦いであった。

(中略)この試合 、この時を語る適切な言葉を私は知らない。

それを知るのは、私たちの汗のしみこんだ校庭のグランドの土だけであろう。」

そして

「甲子園の心、それは、豊かな心と、人生の賛歌です。

甲子園の心は、強い意志とやさしい気持ちを併せ持った豊かな心である。

それが青年に宿った時、甲子園の心は豊かな人生になって飛躍する。」

さらに

「国際化が叫ばれる現代社会にあって、私たちはこの地球という星に住む地球人として、世界のあらゆる人々と、共に生きる喜びを求めていかねばならないであろう。

毎日練習に励む高校野球のグランドからも、世界を展望しなければならないであろう。

選手たちは、紛れもなく21世紀を生きる主役なのである。」

佐藤道輔先生 、本当に有り難うございました。

永遠たれ

 『高校野球の汗と涙とともに 〜甲子園の心を求めて』

   永久に 全員野球 

            佐藤道輔 先生

※ 佐藤道輔先生は、東京都高校野球連盟理事長を努められました。

そして 本年2009年6月16日 ご病気にでお亡くなりになりました。

 佐藤道輔先生のご冥福をお祈りいたします。

http://www.youtube.com/watch?v=dfzZN9kKNVM

電車の中で

 もうだいぶ前のことだけれど、忘れることのできない出会いがあった。

 夜の電車のなかでの出来事。

ビジネスの世界で、仕事の没頭する日々の中で、偶然、隣の席に、母校の野球部員が腰をかけた。

 秋から冬にかけての練習を終えて、夜も遅い時間だった。

ハードな練習を終えて、家路につく途中だったと思う。

彼は、席に着くと、バックから、一冊の本を取り出して、読み始めた。

その本は、僕も、かつて読んで感動した、あるボクサーの挫折と栄光の生き方について書かれた、ノンフィクションの本だった。

高校生には、難しい本ではないかとも思った。

当時の母校野球部は、東京大会ベスト4のからの戦いに、しのぎを削っていた。

 彼の左手を見たとき、親指の付け根のスイングのマメと、また、右手をみて、どれだけ練習を重ねているが一目でわかった。

また、彼が、どれだけの思いで、これからの真剣勝負に戦い挑もうとしているのか、彼の手と、真剣に「挫折と栄光」の本を読んでいるその姿で感じた。

母校野球部に、もう見えなくなってしまったとも思った、伝統の力が伝わっているのを

再確認できた瞬間でもあった。

電車の中で、選手のふとしたしぐさに、選手が大会に挑もうとしている本音がでる時がある。

また、選手がほんとうの意味で、どれだけ、教育と指導をうけているか、指導者の目の見えないところに、でてくるものだ。

あえて、彼には声をかけなかった

彼に、心の中で、言った

「 ありがとう、 これからも、頼むぞ」 と・・・・・

http://jp.youtube.com/watch?v=RoyvrxqMcFM&feature=related

2.99対3

明年の春の選抜をかけた、母校野球部が、優勝候補の国士舘高校に挑んだ。

国士舘高校は、ブロック予選は、一試合平均得点10点、失点0で、本大会に乗り込んできた。

 母校野球部は、先発の1年生横山投手が、国士舘打線を3点に迎える。

攻撃では、2点をもぎ取り、3点目も、目前で、取り逃した。

今まで、公式戦は一点差で、惜敗してきた。

この試合は、2.99対3まで、チームを成長させることが出来たと思う。

一点差ではなく、0.01のところまで、チーム力が上がってきた。

新体制で挑んだ3年前の秋、神宮第二球場での、本大会の初戦は、1対16で大敗した。

3年間、指導者、選手の努力で、ここまで、母校野球部を強化することができた。

 日進月歩、母校野球部は、着実に進化している。

レギュラーも、準レギュラーも、マネジャー、そして、母校野球部の全選手が、この秋から、新たな挑戦を重ね、明年の春、夏に、また、その勇姿を見せてください。

日大二 000 001 100=2
国士舘 002 010 00X=3

   一球の

     流れでつかむ

          甲子園

     ( 秋、神宮第二球場での活躍に、感謝)

      

ベスト24

 この秋、母校野球部が、本大会(神宮)へ。

5季連続で、戦いの駒を進めた。

左右の投手陣は、春からマウンドの経験をもつ。

打線の中軸も、春夏の東京大会を経験している。

本領発揮、突き放す野球で、強豪校を打ち破れ。

Nitidaini2

朝練習

「 お願いします! さあ 来い!!」

母校野球部の、朝練習の風景。

選手の真摯な姿勢、監督のシートノックが 、飛び交う。

 投手陣は、女子マネージャーが、タイムを計り、ランニング、ダッシュを繰り返す。

この秋 、背番号「1」の投手が、いの一番、練習を止め、丁寧にあいさつしてくれる。

彼は礼儀も正しい。

母校野球部の背番号「1」は、技術的なものだけではない。

エースナンバー「1」は、投手陣、さらに、チームの精神的な支柱でもあるのだ。

これからが、ほんとうに成長が楽しみな、選手の一人だ。

 監督さんに、急ぎの相談があり、朝練習の場、学校(杉並区)へ、向かった。

在校生と、同じ時間帯に、電車、バスに乗り、学校に向かうのは、卒業以来だ。

バスの中で、今の高校生が、どんな話をしているのか、本を読みながら、

さりげなく聞いていた。(笑顔の、弾む会話が印象的でした)

 朝練習といっても形式的か?、たぶん、ランニングと、軽いティーバッティングぐらいかと思っていたら、大間違い。 

全選手、実戦さながらの、白熱した練習を、朝から実施していた。

 創部80年の、母校野球部の歴史の中で、これほど、気持ちを込めた練習。

豊富な練習量をする後輩達。

そして、丁寧な質感のある練習をしてきたチームは、今までにないと僕は思う。

すくなくとも、自分が経験した甲子園、前回、前々回のチームと比べても、野球に取り組む姿勢はひけをとらない。(そんなことはないというOBもおられるとはおもいますが・・・)

 大会における試合の結果も大事なのはわかります。

それ以上に、日々の朝練習、立川練習、練習試合などの過程プロセスにも、もっと注目してください。、

後輩野球部員の真摯に野球に取り組む姿勢を、是非見ていただきたいと思います。

「君達は、最高だ」

練習試合

 「夏に(8月)、千葉経大附属高がくるから・・・・」

本年、正月に、監督さんから、声をかけていただく。

 この夏の新チーム、母校立川グランドで、千葉経大附属高校との練習試合を観戦。

試合前に、両監督に挨拶する。

 千葉経済大附高の松本吉啓監督は、大学野球部時代の先輩だ。

また、母校野球部の田中監督とは、高校時代 よきライバル(松本監督は桜美林OB)として戦ったお二人です。

 試合前に、3人で、30分くらい、両監督のお話をお聞きする。

(※ 内容は、常勝高校の企業ヒミツ?!でもあるので、今回は公開はできません)

お話の最後に

「松本先輩、 現役の高校生で出た、甲子園と、監督で出た甲子園は、違いますか?」

と質問をした。

松本監督は、「 現役の高校時代はとても、楽しかった。しかし、監督としては・・・・・」

様々な大変さがあるとのことでした。

 最後に、松本先輩は

「高校生の選手が、日々成長、上手くなっていく、その過程が楽しい」といわれていました。

選手の育成が上手で、試合では勝負師でもある、千葉経済大高の松本吉啓監督。

 これからも、是非、毎年、母校野球部との、交流試合をよろしくお願いします。

機動力

 「 小林さん・・・・」

朝の通勤電車で、小林宏先輩と偶然に、同じ電車に乗り合わせる。

小林先輩は、母校野球部から、慶応大学野球部にすすまれ、4年生の時は、主将を努められた。(ベストナイン 3度)

 さらに、東京六大学野球リーグで、盗塁最多記録 (通算最多 62 一シーズン最多 16)の記録をもっている。

一年生の春から、左投左打 センターで 、不動の一番打者でした。

 高校通算の本塁打数は、中田翔(大阪桐蔭)でしょうが、盗塁記録を調べてみれば

、高校野球の盗塁記録最多は、たぶん 小林先輩がダントツで多いのではないかと思っています。

 特に、2盗から、すかさず 3盗へ。

相手バッテリーを、かく乱していました。

今は、東京で、リトルシニアの監督をされています。

 母校野球部には、東京六大学野球に最多盗塁王を、送り出したDNAが残っています。

「一つでも、先の塁へ 」

後輩選手たちが、先輩に 続いています。

http://www.suginami-league.com/

春はセンバツから

黄金の

         左腕が投げる

               甲子園

     春夏連続

           歴史が始まる

 

   黄金の左腕投手 井上善夫投手を中心とし、甲子園春夏連続出場。

  甲子園ベスト8、 国体優勝を成し遂げてから、半世紀がたちました。

 後輩たちへ、全国制覇の道を切り開いてくださった偉大な先輩たちに感謝。

 そして、21世紀 後輩たちが 新たな母校野球部の歴史を刻んでいきます。

選抜初出場から半世紀

母校の野球部が、選抜初出場から、半世紀。

この秋の大会では、

準決勝  日大二 2-0 早稲田実
 決勝   日大二 1-0 日大三

連続完封で秋の東京大会に優勝する。

それが、翌年の春の選抜大会初出場につながる。

そして今、甲子園に戻るには、やはり、三高と早実を乗り越えるしかない。

 球史は、いつの場合でも、好投手の出現から始まる。

接戦・僅差の紙一重で勝つ野球から、突き放して勝つ野球への進化。

21世紀、新たな左右の好投手陣を擁して、突き放して勝つ母校野球部が

新たな歴史をつくる。

突き放して勝つ

 大学の野球部に在籍しながら、母校野球部の学生コーチ・学生助監督をさせていただいた。

この期間に貴重な経験を得ることができた。

 母校野球部は、前年地区大会までの成績は、  昨秋はベスト4、夏ベスト4 、春ベスト4、一昨年の秋もベスト4という、甲子園出場を目前にしながら、常にもう一歩のところで惜敗を繰り返していた。

もう一点、あと一点の攻防だった。

  甲子園を出場を決める秋・夏の大会での準決勝ベスト4の分厚い壁が、まだチームの前進を頑なに拒んでいった。

この分厚いベスト4の壁を打ち破るところからが、ほんとうの戦いのはじまりであった。

先輩選手たちが、後輩選手たちに、この先が甲子園というところまで、示してくれた。

先輩たちの悔しさと感謝の思いを胸に秘めた新チームが、快進撃を見せる。

接戦・僅差で勝つ野球から、相手を突き放す攻撃が加わった。

 その夏の地区予選での準決勝ベスト4の対戦でも、同じく名門優勝候補同士の対戦となった。

分厚いベスト4の壁を前にしての激しい戦いであった。

対戦校・堀越高校のピッチャーは、後にプロ野球のドラフト1位に指名された左腕だ。

その左腕が、また準決勝ベスト4の壁となり大きく立ちはだかる。

 準決勝ベスト4の分厚い壁を打ち砕いたのは、選手たちの思いをバットの一振りに託した一打だった。

そして、地味ではあるが他の選手の目には見えないファインプレーもたくさんあった。

犠打もあり、盗塁も、牽制もある。

ドラフト左腕ピッチャーに対して、母校野球部の8番バッターが、レフトスタンド場外フォーマーを放ち、試合を決定付ける。

紙一重の僅差・接戦ではなく、突き放して勝つ野球へ。

 この一発が試合を決定付け、精神的にも、完全にドラフト左腕の心まで折り、分厚い準決勝ベスト4の壁を打ち砕いた。

そのくらい印象の強い一打であった。

 ナインもベンチもスタンドも常に一体だった。

13対3のスコアーで、準決勝をコールド勝ちし、決勝・日大三高戦へ。

接戦で勝つのではなく、突き放して勝つチームが、分厚いベスト4の壁を打ち砕いた。

 【母校で学んだ大切なこと】

ベスト4からの分厚い壁が、

   接戦・紙一重で勝つ野球から、相手を突き放して勝つ野球に進化させた

179勝

 日本大学第二高等学校 硬式野球部 

甲子園出場 夏 4回 春 2回 

<甲子園ベスト8・国体全国優勝1回>

夏の(西)東京大会  75回出場

     通算 179勝 71敗 1分

   夏 の大会   

    

1930年(昭和5年)  リーグ戦 日大二 ○11対8  保善商

              リーグ戦      ●4対10  暁星中

1931年(昭和6年)  2回戦       ○20対2  名教中

              3回戦       ●4対9  日大一中

1932年(昭和7年)  2回戦       ●8対10 関東商

1933年(昭和8年)  2回戦       ○ 20対6 明治中

              3回戦       ●1対11 慶応普通部 

1934年(昭和8年)  3回戦       ○10対0 中野中

              4回戦       ●1対11 日大三中

1935年(昭和10年) 3回戦      ○12対6 府二中

                        ●1対5 麻布中

1936年(昭和11年) 3回戦     △10対10  京王商

              3回戦     ●13対16 京王商

1937年(昭和12年)4回戦      ●16対26 豊島師範

1938年(昭和13年)4回戦      ●5対9慶応商工 

1939年(昭和14年)4回戦     ○5対0 東京工 

             5回戦     ●2対3 府一中

1941年(昭和16年)3回戦     ○19対4 日大一中 

             4回戦     ●2対11 日大三中

 1942年(昭和17年)       戦争のため中止

 1943年(昭和18年)       戦争のため中止

 1944年(昭和19年)       戦争のため中止

 1945年(昭和20年)       戦争のため中止

      つづく

 

   

               

 

 

立ち上がれ

 「ランナーが、骨折していたから、なんてい言い訳にならない」

先輩たちの、思いも、すべての応援に応えられなくて、甲子園から東京に戻る。

 「敗因は、自分にある」

この現実を受け入れながら、立ち上がれたのは、コーチの存在がある。

すべての現実を受け入れて、再起の戦いを始めた。

晩秋、明治大グランドで、明治大明治高校の練習試合 。

試合後、コーチから 「今日は、蒼島がよかった」と一言。

この一言が、その後、明治大野球部の目指す、きっかけともなる。

 明治大学野球部で、あの甲子園で、センターバックホーム好返球をした福岡・東築高の諸藤先輩と一緒に野球をすることになる。

そして、2回目の甲子園は、学生コーチとして甲子園へ。

甲子園練習の外野ノックの、初球は、レフトスタンドへ放つ。

この、ホームランで、3年前の甲子園、自分の中の、切り替えができた。

甲子園野球の試練を意味を理解するのに、すこしだけ時間がかかった。

タッチアウト

8月13日 夏の甲子園2回戦。

11回表、 観衆 5万人が、「ウォー」と歓声が沸く。

2塁ランナーは、親友の牧野遊撃手、同じ2年生だ。

中学から、ずっと、一緒に野球をやってきた。

チーム一の、俊足。

浅めのセンター前ヒットで、ホームへ、突っ込む指示。

気心が知れている彼が、甲子園勝利へホームに走り・・・・・。

でも、牧野の顔がおかしい。

「走りたくない?」という顔をしてる。

 実は、その攻撃、前の回の守りで、2塁ベース上で、スパイクされ、左足を骨折していた。

(そのため秋大会は、骨折治療のため、戦列から、離れる)

中学から、一緒に、ずっと、野球をやってきたのに、その予兆に気づかず、強引ホームへ。

福岡代表・東築高校のセンターの諸藤選手の好返球。

 三本塁間にはさまれる、完全なタッチアウト。

 この試合最大の、チャンスを、自分のミスで、つぶす。

ベンチの監督を見る。

すぐに、バックネット裏にいる、コーチ(現 母校野球部の田中吉樹監督)の顔を見る。

無言で、何もなかったように、見つめていてくれる。

その後、チームは 延長13回裏、0対1 サヨナラ 負けを喫する。

「自分が、敗因。 」

 自分のせいで、負けてしまった、この夏の甲子園が終わった.

日大二(西東京) 0000000000000

東築(福岡)    0000000000001×

開始 午前11時18分

 

本塁突入

 8月13日 夏の甲子園2回戦。

午前 11時18分 試合開始。 観衆 5万人。

13年ぶりの夏の甲子園。

母校野球部は、夏に強い。

夏の甲子園では、強豪を破って、勝たずに東京に帰ったことはない。

相手は、福岡 東築高校。

一回戦を勝って、2試合目の対戦。

 母校は、49番目の、最終日に 登場。

初戦で、福岡・東築高校と対戦する。

 この夏は、2年生なのに、三塁コーチャーを任される。

3年生の小泉先輩が、一塁コーチャーに立つ。

 予選では、かなり強引な、指示でも、結果的には、得点に結びついた。

これが、甲子園では、裏目に出る。

試合は、母校の投手陣が快調で、13三振を奪う力投。

 しかし、試合は延長へ。

11回表、母校の攻撃。、先頭バッターが、出塁。

送りバントで、ワンアウトランナー2塁。

2塁ランナーは、チーム一の俊足、牧野遊撃手。

 センター前、ヒット。

一気に、ホームへ。

つづく

 

朝の駅で

甲子園へ、出発する朝。

 小学校の恩師・渡邊妙先生が、石神井公園駅まで見送りに来てくださる。

遠征の大型とバックを左肩と、5本入りのバットケースを右肩に、

両肩が、ふさがれていた。

甲子園まで往復、たぶん、いちばんチームの重い荷物を運んだのではないかと思う。

実は、日大二に入る前、自分の気持ちの中では、「日大一か、日大三」を行こうかと思っていた。

 「春の三高、夏の一高 それが、甲子園の道だと・・・・」

その中で、渡邊妙先生は 、「蒼島君は、日大二がいい」と進めてくれた恩師。

 渡邊妙先生は、僕の顔の汗を、先生のハンカチで拭いてくれて、東京駅までの切符を買って、渡してくれた。

応援してくださる人々の思いが、背中に、甲子園行きの新幹線に乗った。

ベンチ入り

 高校1年の秋から、そして2年春にも、ベンチ入りした。

しかし、2年の夏は、右肩痛が、再発。

また、自分の負の連鎖が始まるのかという、正念場の夏だった。

 2年の夏は、ベンチ入りできるとは思っていなかった。

ところが、最後のほうで、名前を呼ばれ、背番号「17」をいただく。

 チームは、西東京の激戦を勝ち抜き、13年ぶりに優勝する。

閉会式の終了後、選手の写真撮影が始まる。

写真は、甲子園にベンチ入り予定のメンバーだけで行われる。

 「そうか」 優勝しても、全員 ベンチ入りできないという現実に気づく。

撮影のベンチ入り予定のメンバーを、横目で見ながら、黙々と

ベンチで、バットや、飲料ケース、荷物の片づけを始める。

着替えのアンダーシャツ等を、たばねる。

 おやっ、「一人いないな・・・」

 監督から、「おーい 蒼島 !、こっちへ来い!!

一緒に、整列しろ」と声がかかる。

「はい」と返事して、

「自分でいいのかな・・・・・」

思いながら、ベンチから、ファールグランドへ走って、後列チームの一番左に加わる。

 まさかの、甲子園の始まった。

アクシデント

 西東京の準々決勝 第一試合、神宮第二球場。

 堀越高校対日大鶴ヶ丘高校を観戦。

堀越高校も、鍛え抜かれたいいチームだ。

バックネット裏には、 早稲田実業、日大三高、日大二高 その他、野球部のスコアラーたちが試合をじっと見つめる。

 今大会ベンチ入りしていない、3年生を中心にチームをつくり、ビデオどり、スコアーブック、試合メモをとる。

真夏の太陽の下、情報戦が繰り広げられる。

 その時、思わぬ、アクシデントが起こった。

なんと、試合開始直前、日大三高のスコアラーのビデオカメラが、調子が悪くなり、動かなくなる。

ネット裏に、緊迫感が漂う。

(日大三高は、神宮第一球場で、明治大中野八王子高校と対戦中)

どういわけけか、早稲田実業のスコアラーが、懸命に、首をかしげながら、ビデオカメラを、いじり、修理してあげる。

 それでも、動かず、両チームの、スコアラーが困惑した顔になる。

日大三高のスコアラーは、席をはずし、修理を行う。

何とか、試合開始に間に合う。

 真夏の戦いは、グランドだけでなく、見えないところでも、意外な展開で行われていた。

夏本番までの調整

 この夏の西東京の戦いは、開会式が 例年より、1週間ほど早まる日程だった。

この日程の変化が、各校に微妙に変化を与えた夏だったように思う。

 春の大会、関東大会に、駒を進めた 帝京高校と日大三高。

5月の関東大会から、1ヶ月すこしで、東京大会を迎えなければならなかったこと。

特に関東大会に出場した両校選手には、調整が、非常に難しい夏だったように思う。

 日大三高で言えば、春の打撃の調子、関東大会以後、この夏大会にピークに持っていけなかったように思います。

 一方、早稲田実業は、この春の戦いは、早々 まさかの大敗でした。

新一年生投手二人を向かえ、夏の大会の後半、調子をピークにもっていくのが、日大三高よりスムーズにいっていた。

ほんの紙一重の、調整、ピークづくりが、準決勝の両校の、勝敗に微妙な影響を与えたように思う。

 その早稲田実業も、天王山の準決勝、事実上の決勝戦とまで言われた、日大三高戦に勝利すると、ひとつの達成感が沸いてしまった。

 試合終了後の、各メディアが何度も、早実選手の全体集合写真撮影などするのを見ながら、優勝は早稲田実業というようなムードが流れていた。

今までに、事実上の決勝戦を勝ち抜いたチームが、決勝で負けてしまう試合を何度も見てきました。

 達成感の後にある、落とし穴。

このことが、各校がどれだけ教訓と出来るかで、今後の東京の秋、来年夏の戦いに 優位に立てるかどうかが、決まるような印象を受けた夏でした。

http://jp.youtube.com/watch?v=P916wth6qmo&feature=related

試合前ノック

 高校野球の試合。

試合前のノックを、観るのが好きだ。

とりわけ、母校野球部の試合前ノックをみると、心が熱くなる。

監督が掲げる「カッコをつけない、泥臭くて、自然体な野球」

 うまさという点だけなら、うまい学校は、他にもあるし、下手な学校もある。

ただ、シートノックの中に、うまい下手を超越して、選手の気迫、気持ち、そして、監督・助監督の野球への情熱・勢いが、あふれている。

 この夏も、試合前ノック、最初のボール回しで、3年生のスローイングを観て、感動をもらう。

春の時点より、すこしでも、無駄を省き、速く正確なスローイングができていた。

捕ってから投げるまでが速い、キャッチー二人、2塁ベースへ、突き刺さる送球。

 三塁手は、正確な送球を、一球づつ積み重ねてきた。

 ここくるまでに、どれほど練習してきたか、一球一球のスローイングでわかる。

 そして、ノックバットを振る、若き新助監督の存在も、大きい。

ベンチのムードがいい。

ベンチに勢いがある。

 まさに、この時に、新しい母校野球部の時代を、必ずつくるのだ。

http://www2.asahi.com/koshien/90/special_02.html

新出発

新主将・副主将を中心に、新チームがスタートした。

 この夏の戦いを経験した 2年生 1年生が チームにのこる。

投手陣、バッテリーは、そのまま健在だ。

 内野手は、三遊間が,

外野も、主力打者も、そのまま中軸を打つ。

1年生にとっては、はじめての高校野球の夏。

 現監督が、学生コーチ時代に言われた「いままでの人生で、一番きつい夏の練習」は

いまでもあてはまると思う。

鍛えの夏。

この先に、新たな 甲子園をかけた戦いもある。

その前に、まずは 自分のポジションを獲らなくては。

 母校野球部の、新たな挑戦の 熱い夏が始まった。

春の選抜大会、 勝利目指して。

 母校野球部の 新しい歴史も始まった。

http://jp.youtube.com/watch?v=ZZyM6ogXb1g

http://jp.youtube.com/watch?v=52DgH5u5-Hc&eurl=http://blog.goo.ne.jp/pi-su1019/e/2b7cb84a5a579f572978f008909c6c26

http://jp.youtube.com/watch?v=IlruIyOPOp8&feature=related

   

 

魂の準決勝<この先に>

2008年 夏の西東京の準決勝 第2試合 神宮球場

日大鶴ヶ丘高校 対 日大二高

 大会前は、強打の日大鶴ヶ丘 と、投手力の日大二高。

試合前に、母校野球部関係者から、主力選手達におこったアクシデントを聞いていた。

 こういったアクシデントが顕著に出てくるのも準決勝の戦いからだ。

 通常の選択肢ではなく、新たな選択肢が必要とされる試合になることが予想された。

 1点を先攻した裏の守り。

 日大鶴ヶ丘高校の3番が、センターバックスクリーンに逆転ツーランを叩き込む。

3回裏で  1対4で、日大鶴ヶ丘高校のリード。

 そこで、日大二高は、2番手として、意表をついて、背番号10の 3年生 右アンダースロー投手を投入する。

 春の大会は、ベンチ入りせず、今年は初の公式戦で投げる。

彼は、3年間の集大成にピッチングで、日大鶴ヶ丘高校の猛攻を防ぐ。

 日大二高は、7回に逆転、 8回に勝ち越し。

持ち味の 粘りの戦いを 見せてくれた。

そして、最終回の裏の守りへ。

 次への課題も残して、試合は終わった。

 しかし、母校野球部は、確実に、ひとつの段階へ、もどることができた。

 3年生が、この先に甲子園がある、というところまで、示してくれた魂の準決勝。

3年生の思いは、2年生 1年生に しっかり引き継がれた。

7月24日(木)
西東京大会 準決勝(神宮球場) 第二試合

日 大 二  100 010 410 =7
日大鶴ヶ丘  202 000 202X=8

http://jp.youtube.com/watch?v=ntMCQIa8wOs&feature=related

    
「人間にとって最大の勝利とは、自分に打ち勝つことである。」
(プラトンの言葉)

 

波乱のベスト4

高校野球のベスト4、準決勝。

四校の中、一校だけが、甲子園行きを許される。

準決勝2試合に、出場校の、すべての思いが集約されているように感じる。

実力 、勝負強さ、 ツキや運のようなものが交差する。

目に見える強さと、目には見えない強さが見え隠れする準決勝。

 この夏、西東京の準決勝は、神宮球場で

第一試合

 日大三高対早稲田実業高校

第二試合

 日大鶴ヶ丘高校対日大二高

久しぶりに、母校が夏の4強まで、勝ち上がってきた。

 準決勝、第一試合。

試合前のアップから、日大三高の気迫というか、この試合に賭ける気持ちが、伝わってくる。

 一方、早稲田実業は、1年生のエースで4番、で試合に挑んでくる。

 戦いとしては、両校の監督はオーソドックスな戦法をとる。

 序盤の日大三高の攻撃を、早稲田実業がしのぐ。

早稲田実業の内野のエラーや、バント処理にミスなので、日大三高に、試合の流れが傾きかけるようにみえる。

 7回の裏まで、2対0で、日大三高リード。

両校のベンチを見る。

 日大三高のベンチには、張り詰めたものがある。

一方、早稲田実業のベンチ、選手には、いい意味でのゆとりを感じる。

 8回の表、早稲田実業は代打を送る。

8回表、0対2の場面での、代打。

早稲田実業の代打の打者が、笑顔で素振りをしながら、打席に入る。

笑顔で、「俺に、任せておけ」という素振りだ。

 メンタルの強さを感じる打者だ。

その打者がフォアボールを選ぶ。

そして、俊足のランナーに代走。

 流れが、じわじわっと早稲田実業に引き寄せられる。

8回、9回 2点 4点を追加点して、一気に逆転勝利に結ぶつけた。

 日大三高は、準決勝までの試合は、いくつかの山があった。

それに対して、早稲田実業は、準決勝までは、比較的 緩やかなトーナメントの戦いだった。

試合の終盤、8回 9回で 一気に流れを変えさせる。

 高校野球の、一本勝負の怖さを、あらためて感じた 準決勝第一試合だった。

総力戦

 この夏大会、初戦まで、30日を切った。

この夏は、総力戦となる混戦が必至だ。

選手も、戦いを見つめる人々も、心をひとつに戦う夏でありたい。

 勝負を超えた、真の強さを持ったこの夏のチームが、どこまで戦えるか。

真の努力を重ねたチームが、激戦を勝ち超えて、堂々 進む行く勇姿。

 文武両道の母校野球部、熱い夏の戦いは、すでに始まっている。

準備の力と立上り

 はじめての高校一年の夏の大会。

抽選会で、初戦から、優勝候補との激突となった。

 新聞各紙では、「優勝候補が早くも激突」と見出しが載った。

序盤戦の、屈指の好カードと注目される。

 その対戦に際して、母校野球部は、1年生から3年生まで徹して、自分にできる限りの準備していった。

ベンチ入り以外のメンバーは、朝の場所取り、ドリンクの準備、アップまでの段取り等を、入念に準備して望んだ。

 一方、相手の優勝候補の学校は、立ち上がり、エンジンが、かからない。

 立ち上がりの差は、試合前の準備(アップ)から、すでについていた。

相手高校のラフなプレー(スパイクをたてたスライディング)で、2年生が負傷する。

その瞬間、猛然と抗議する、3年生の主将。

 3年生主将は、悔しい思いを、打席で 適時打を放ち、チーム勝利に貢献する。

優勝候補の、戦いは、終わってみれば、6対0で、意外な大差で勝利する。

 相手高校との差は、3年生から1年生の、マネジャーを含めた、全選手の準備力の差が大きいのではなかったと思う。

【 準備の力】

全部員、できる準備の差が、試合の立ち上がり、攻防戦を制す。

 自分にできる限りの最高の準備を、自分しかできない最適な準備に全力を!

背番号

夏のメンバー発表の時期が近づく。

3年生にとっては、最後の機会だ。

 背番号には、2つあると僕は思う。

ひとつは、与えられた「背番号」。

 嬉しい選手もいれば、不本意な選手もいるかもしれない。

 そこには、数字で、君が判断される、厳しい現実がある。

 もうひとつは、君自身が、自分につけてあげる背番号。

 3年生の君は、ここまで、ベストをつくしてきた。

君の心には、全員レギュラーポジションの「背番号」が、燦然と光り輝く。

 君は、負けなかった。

いよいよ、最後の夏、3年生の最終章が、今はじまる。

 ありがとう 3年生。

君の勇姿を忘れない

  最後まで、自分との戦いを!

    3年生全員に、栄冠あれ!!

打撃投手

 黙々と、投げつつけるバッティング投手。

君は、正確なコントロールで、打者の要望に応えた所に、投げ続ける。

 打者の会心のバッティングに、「ナイスバッティング」の声が、飛び交う。

しかし、君には、常に喝采はない。

ただ、黙々と、冷静に投げる君。

 チームのために、チームの打撃向上のために、投げ続ける、君。

肩が、張っていても、肘がパンパンでも、君は、何も言わずに、投げ続けた。

 影の力に徹する、君の努力。

いつか、この努力が、必ず実を結ぶ時が来る。

 この夏の、君の投球に、勝利はかかっている。

さあ、今日も、入魂の一球で、打者に、力を与えていく。

 君の

  黙々と投げる

   一球が

     甲子園につながっていく

がんばれ 一年生

入部してから、早2ヶ月が過ぎた。

野球部に入部して、緊張した日々が続いていたに違いない。

ふと、周りの高校生が、うらやましくなる気持ちも起こるかもしれない。

 始発に乗っての、朝練習、そして、昼練習、そして、グランドへ。

泥だらけになり、帰宅も遅い。

時には、グランドで、「何やってるんだよ!」と罵声を浴びるときもあるかもしれない。

 へこたれたくなる、気持ちも出てくる。

でも、そんなときが、君にとっての勝負だ。

君は、この時期をとうして、確実に、強くなってきている。

 君の頑張りが、チームに貢献しているんだ。

さあ,頭を上げ、胸をはり、夏の大会へ向かっていこう!

君にとっての、1年最後の夏の大会だ。

先輩達の繰り広げる熱戦を、声高らかに、応援する。

そして、君自身も、この夏、君だけに与えられる大いなる宝を、でつかんでほしい。

 新1年生の頑張りが、勝利のリズムに、勢いをつけていく。

がんばれ 1年生!

上級生の思い

夏の甲子園大会の予選まで、後、40日を割りました。

上級生には、一日一日が総仕上げの時期ですね。

上級生の力とは、上からものを、言うような力ではないと思う。

技術を超えたところで、後輩たちを見守る、心の大きさ、懐(ふところ)の深さだと思う。

下級生たちは、総仕上げに挑む、先輩の頑張りを、しっかり眼に焼き付けてほしい。

 明治の島岡監督は、技術力が、同じなら、上級生を試合では、抜擢していた。

今の時代なら、同じ力なら、先を考えて、下級生を試合で起用するのが、普通であろう。

 島岡監督は、上級生が、今まで野球部に入って苦労を重ねた姿をみていた。

自分とともに汗を流した上級生は、人間力を持っているという考えであった。

 ここ一番には、信頼できる上級生を、試合で抜擢し、先輩達は、その期待に応えようと懸命にプレーしていた。

 3年生にとって最後の夏。

3年生の後姿で、チームを引っ張り、勢いをつけていきたい。

選手の人も、サポート役に徹する人も、すべての上級生は、ベストをつくそう。

その先輩の姿から、後輩たちが、先輩と、戦える喜びを忘れないでほしい。

 上級生も下級生も、一丸となって戦う、夏が、いよいよ来た。

一日、一日を大切に。

自分に負けないで、自分に克って行こう。

『自勝(自らに勝つ)』 夏を、目指して!

 頑張るときは、今!!

第一シード

 この夏の西東京大会は、母校野球部が第一シードで頂点に挑む。

3年生を中心とした、抜群のチームワークと、厳しい試練を乗り越えた風格がチームに漂う。

春は、安定した投球のエース松本投手を中心に、内林捕手との3年生バッテリーで、他校打線を完全に封じ,優勝への牽引力となった。

 この夏、ゆっくりとしたモーション、右サイドスローの投球、コントロールは、さらに磨きがかかっていた。

「この夏は、1点も得点を与えない」とも、思わせるようなエースの投球がつづく。

打線は、ファーストを守る、右投左打の早川一塁手、田中外野手が、主軸を打つ。

この春から夏へ、チャンスに一段と勝負強さが増してきた。

 主将の大羽二塁手と、大竹外野手は、持ち前の機動力を駆使して、相手守備陣にプレッシャーをかける。

大竹外野手は、ヘルメットのひさしを、深くかぶり、投手の投球動作に一点に集中する。

塁に出たら、次の塁を狙う目は、鋭い。

そして、走る。

スライディングで、すぐに次の塁をうかがう。

 大羽二塁手、大竹外野手は、エース松本投手の、打たせて取るピッチングに、守りでも援護しぬいた。

 第一シードなので、3回戦からの登場。

3回戦 都立千歳高校を 10対0で完封勝利する

4回戦は、国士舘高校を、6対0の連続完封。

準々決勝の学芸大高校を、7対0の3試合連続完封。

 歴代の母校の投手の中でも、頭脳的な投球術で、打者を翻弄していく。

しかし、その頭脳的投球術の裏には、誰にも負けない強い精神力を練習で培ってきた。

 そのエースに、バックが攻守巧打で援護する。

いよいよ、この夏の大会の大きな山場の準決勝。

相手は、ドラフト候補のエースを擁する国学院久我山高校。

 エース松本投手は、気負いもなく、明日の決戦に備える。

甲子園まであと2つ。

 チームのどこにも、死角は見当たらない。

 歴代の母校野球部の中でも、青春の力、ひときわ心の輝きを放つチームが、

明日の準決勝に挑む。

 

選手宣誓

 この夏の東西の開会式は、例年とは違っていた。

母校野球部の大羽主将の、選手宣誓から始まったのだ。

春季東京大会を優勝で飾り、この夏は、第一シードで、西東京予選に挑む。

 背番号「4」ではあるが、本来は遊撃手だ。

遊撃のポジションには、2年生が入り、セカンドへ回る。

その、守備範囲の広さは、歴代のチームの中でも、抜群だ。

 打っては、投手に一球でも多く、投げさせるしぶといバッティング。

バントもうまい。

 塁に出れば、すかさず次の塁を狙い続ける。

1年前に、秋には、部員9名の状況に追い込まれた、母校野球部が

復活したのだ。

歴代のキャプテンの中でも、苦労された大羽主将の力強い選手宣誓。

 選手宣誓から、この夏の母校の、戦いは、開始された。

頂点へ

頂点を目指し、母校の野球部が試合を繰り広げる。

その際に、いつもスタンドで、強力なサポートとして、

ブラスバンド部の応援が入る。

 母校のブラスバンド部は、全国のでも有名な部である。

音を通じての、応援にも、心が込められている。

 この春も、すばらしい演奏を繰り広げてくださった。

いよいよ、夏は頂点を目指しての戦いがはじまる。

 母校の野球部らしさが、戻ってきた。

春の戦いで得た、「強み」と「課題」。

夏の頂点への道は、確かに見えてきた。

 <甲子園 雨の大応援 ブラスバンド ~2度目の雨天再試合~>

 http://jp.youtube.com/watch?v=1z_APqOW4Fs&feature=related

<ライオンキング/日大二高OB・OG吹奏楽団>

http://jp.youtube.com/watch?v=jGdh624Lg4E

 

一人の青年

いつの時代でも、どんな場所でも、

一人の青年の挑戦から、あらたな歴史がはじまってきた。

 ひとりの青年が、母校の野球部グランドに戻ってきた。

そして、チームを10年という間に、西東京大会の夏では、 優勝2回 、準優勝1回、ベスト4 を3回、ベスト8を1回、春は選抜補欠高 2回 というところまで育てあげた。

甲子園でも、その戦いぶりは、全国でも 通用することを証明して見せた。

 母校野球部の、新たな伝統、基盤をつくりあげた10年だった。

そして今、あらたな時代に、あらたな歴史をつくるために、創部80周年から母校野球部の新しい挑戦が始まった。

 一人の青年が、あらたな歴史をつくっていく。

http://jp.youtube.com/watch?v=1z_APqOW4Fs&feature=related

http://jp.youtube.com/watch?v=8gLulH_bjgI

関東大会ベスト4

 「ベスト4からが、ほんとうの勝負」

 母校の監督から、何度も教えていただいた言葉だ。

ベスト4までくれば、どのチームでも、それなりに力はある。

しかし、強いものが勝つとは限らない。

10回試合をやって、1回しか負けないであろう相手に、負けることがある。

10回やって、1回しか勝てない相手に、勝つこともある。

 戦いは、勝った者が、強いのだ。

6年ぶりの関東大会は、群馬県桐生市で行われた。

前回は、松本投手を擁して、乗り込んだ関東大会は、初戦で茨城代表の水戸商に0対2で敗れた。

 今回は、初戦を群馬代表の前橋高校、右腕の好投手を打ち込み、延長で4対3のサヨナラ勝ちする。

 ベスト8準々決勝は、神奈川代表の横浜商業<Y校>と対戦する。

横浜商業は、この春の選抜大会は、ベスト4まで、勝ちすすんだ強豪である。

 母校野球部は、横浜商業に、延長で10対9 の2試合連続でサヨナラ勝ちする。

ともに、下位打線の粘り、9番左翼手の2試合連続のサヨナラヒットで試合をきめた。

 準決勝は、埼玉の上尾高校との試合。(現浦和学院の森監督が上尾高校野球部に在籍)

プロも注目の左腕投手との対戦だ。

試合は、7回まで 1対1の シーソーゲーム。

 ベスト4からは、とくに後半にゲームが動く。

前半の、投手陣の踏ん張りに、打撃陣が、どう応えるか。

緊迫したゲームが、さらに繰り広げられる。

「ベスト4からが、ほんとうの戦い」

監督が、言われるとうりの試合展開になった。

春季大会初優勝

 この春、春季大会の決勝戦は、桜美林高校。

準決勝では、ドラフト候補の投手を打ち崩しての決勝進出。

 母校野球部は、右サイドスローの松本投手を擁して、決勝戦まで戦いの駒を進める。

松本投手は、ゆったりとしたフォームで、右サイドスローから、打者の左右コーナーを丹念につく。

 アウトコース低めのストレート、それにカーブ。

インコースは、シュート、ストレート。

打者の近め、厳しいところに投げ込んでいく。

 ストライクゾーンの隅から、隅までを大きく使い、相手打者を翻弄させる。

松本投手の、信条は「強気のピッチング」。

 どんな、ピンチでも、冷静さを失わない投球術を持っている。

 キャッチャーは、内林捕手。

大柄な体格と、大きな声でチームを、松本投手をリードする。

 こちらも、強気なリードで、松本投手を盛り立てる。

 早川一塁手は、長身で、チームの主軸を打つ。

 左バッターボックスから、長い手が、どんな球でも、とらえることができる好打者だ。

 守備も、長身で、内野手のどんな送球も、さばいていく。

主将の大羽二塁手は、遊撃手からのコンバート。

 抜群の守備力と、バントなどの小技から機動力で、チームをまとめあげる。

大竹外野手は、俊足の選手。

数々のファインプレーで、松本投手を援護する。

 塁上に出れば、俊足を活かし、次の塁を狙う。

常に相手バッテリーに、プレッシャーをかけ続ける。

 田中外野手は、クリンアップを打つ。

リストのきいたバッティングで、ミートがうまく、飛距離が出る。

 中学時代の、エース投手の経験から、ピッチャーの心理を読むのがとくにうまい。

(大竹外野手<背番号9>と田中外野手<背番号7>は、試合に応じて、ポジションが

レフトとライトが入れ替わる)

このときの3年生部員は、全部で6名。

上級生6名の抜群のチームワークで、下級生をリードする。

歴代の母校野球部の中でも、ひときわ光彩を放つ好チームだ。

 実は、この1年半前には、総部員が9名となる時期があった。

秋大会に、2年生3人、1年生6人の、9人で強豪校に挑んでいった。

厳しい練習、チームの新方針などが重なり、一人でもかければ、試合の出来ない状況に伝統ある母校野球部が、追い込まれた。

 翌年の春季大会は、、新入生を迎え入れて、4月の初旬試合は、新1年生が半分、ベンチ入りして戦った。

 まさに、母校野球部の厳しい冬の時代であった。

その1年半後、厳しい冬の時代をへて、

 春季大会の決勝、桜美林高校を、9対2の大差で破り、春季大会を初優勝する。

名門校が復活する。

そして、関東大会へ、進出する。

厳寒の冬の時代を乗り越えて、新しい春の新時代がやって来た。

声の力

 明大野球部時代に島岡吉郎監督から教わったことに、野球に大切なプレーの中に、

「心・技・体 それに 声」というのがある。

星野仙一大先輩も、今でもよく言われる。

 とにかく、明大野球部の試合中、ベンチでの選手のかけ合う「声の大きさ」は、他のチームの2倍から3倍、圧倒していた。

声では、つねに圧勝していた。

いいことに、これは 自分達の努力で100% やれることだ。

励ましの声、闘志の声、合図 、連係の声、確認の声、。

星野ジャパン・星野先輩の野球百カ条の第一は、『星野流』(世界文化社)

「グランドに入ったら、ベンチに入ったら、声で負けるな。

ユニフォームを着て、でかい声をださんやつは、うち選手じゃない」

「わたしの野球を一言で言えば『闘志の野球は、大声野球』だ」

さらに、

「野球は、グランドで大声をだして、自分存在を明らかにするのが始まり。

人間は、大きな声を出すことによって心も大きくつよくなり、精神も姿勢も堂々としてくる。

 勇気も、元気も、闘志も出てくると、教えられ鍛えられてきたが、私もそのとうりだと

おもってやってきた。」

声の力で勝つ。

スタンドも、ベンチも、スコアラーも、すべての選手の、心と声が、ひとつになる。

チームが 夏に向けて、さらに、強く 大きくなっていく。

文武両道

文武両道は、母校野球部の伝統だ。

文は、学問という意味だけでなく、一球一球のプレーを通じ、野球を学び

生き方(人生)を学んでいく。

 そういった伝統が、今でも脈打っている。

それは、一球一球 のプレー(武)を大切にするところから生まれる。

 文武両道   

一球に 部員のこころが、ひとつになる。

さらに、選手ひとり、ひとりが成長していく。

それが、母校野球部の伝統である。

全国制覇(国体)

母校野球部が、国体(第14回東京国体)初出場で、初優勝を遂げてから、半世紀が

たった。

準決勝の松商学園を 4対0 の完封勝利。

 決勝は、平安高校を 4対2で下し、初優勝。

国体で、全国制覇を遂げる。

夏も、春も 先輩たちを乗り越えてもらいたい。

 「君たちなら出来る」

 

手のひらに

 夏の地区予選の試合直前、母校の監督が行う儀式があった。

それは、試合前に、達筆な文字で、選手の利き腕でない方の、手のひらに、監督の思いと激励を黒のペンで書き上げることだ。

 3年生には、ベンチ入り外の選手も含め、全員に書いてくださった。

 夏は、一本勝負。

負ければ、そこで終わりだ。

 真剣勝負を目前にして、勝負に徹する監督が、教育者になる一瞬が、この儀式だったと思う。

3年間の労をねぎらう 短い中にも、真心のメッセージが、込められていた。

「日本一の野球魂で、チームを引っ張れ!」

 監督は、選手たちを3度,夏の甲子園に導き、六大学野球、東都大学野球、首都大学野球など、社会人野球、そして、プロへも、選手を送り出した。

 熱き情熱の指導者だった。

ひとつだけ監督は、宿題を残してくださった。

 残された全国制覇の目標だけは、後継の指導者たちが、必ず達成します。

 【野球に学んだ大切なこと】

真剣勝負の原点は、敗れたら命がないということだ。

 勝つためには、これ以上高められないといところまで、自分を高めること。

準備することだ。(高一年の春合宿で、監督から、お聞きする)

~準備はいいですか~

王者の4番

ボール

0-3 ノースリー

「勝負してこないのか」

 夏の甲子園の第三試合。

優勝候補筆頭のエースとの対戦。

 自らが選んだ対戦でもある。

5回裏,ツーアウトからの集中打で2対2の同点。

尚、ランナーを得点圏に一人置いての

この打席。

「ノースリー」

 低めのストレートは、浮いてくるぐらい伸びがある。

しかし、キャプテンで、4番のこの打席。

この一打で、打って決める。

ノースリーからの4球目の、ストレートを、打ち返す。

 仲間が、ガッツポーズで、ホームを踏む。これで3対2、逆転だ。

王者のエースを、4番がとらえた。

http://jp.youtube.com/results?search_query=%E6%B1%A0%E7%94%B0%E3%80%80%E6%97%A5%E5%A4%A7%E4%BA%8C&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

【野球に学んだ大切なこと】

 4番の風格が

  チームに集中打を呼ぶ

~ 集中力(打)が、ありますか~

シード権

 春の大会が始まった。

八王子市民球場には、春の大会ではあるが多くの観衆が入る。

 本日の試合に勝ったほうに、夏の大会のシード権が与えれられる。

今後の夏の予選の組み合わせに影響する大事な試合だ。

 相手校は、昨年の夏の準決勝と同じ組み合わせ。

九州からの野球をやるために乗り込んできた選手もいるとのこと。

 実は、昨年秋に、両校は練習試合で対戦している。

母校野球部は、夏の甲子園から返った後の、新チーム作りを急ピッチで仕上げていった。

甲子園経験組みは、レギュラーで2名が残ったチームだ。

 相手校に、練習試合で大敗(日没コールド負け)をした。

秋の時点では、明らかに相手校の戦力が勝っていた。

ひと冬越えての春の対戦。

 相手校にとっても、どうしても夏の大会シード権がほしい。

戦う前の、戦力分析では、4:6で、相手校が有利であった。

 しかし、本来、高校野球は、戦力分析は3:7でも勝つ場合もある。

母校野球部は、公式戦には初めて先発投手に、アンダースローの新2年生をマウンドに送る。

小柄な体格から繰り出す、クセのある球がリズムよく投げられる。

 左右の変化と緩急の投球に、相手校のバッターがタイミングが合わない。

一方、味方打線は、相手校の好投手のストレートと変化球をとらえはじめる。

 母校は終盤にピッチャーを交代して、逃げ切り体制に入る。

先発投手は、交代してレフトに入る。

 満塁で、大飛球がレフトに飛ぶ。

抜ければ、走者一掃で逆転される。

 レフトを守る先発アンダースローが、背走してファインプレーでこの打球を好捕する。

 この一打が、この試合の明暗を分ける。

結局 、秋に大敗(コールド負け)したチームに勝利して、シード権をとることができた。

大方の予想を翻して、母校が神宮弟二球場への戦いへ駒をすすめた。

夏へ向けてのいいスタートだ。

【野球に学んだ大切なこと】

 秋に大敗でも、春に、夏に勝利できる

  ひと冬(挫折)越してチームが変わる鍛錬を

 ~ 乗り越えられない、壁はありますか~

壮絶な打撃戦

「打ち勝つしか優勝できない」

全選手が覚悟を決めた夏の予選が始まった。

  昨年夏の甲子園に引き続き連続出場に挑む母校野球部。

昨夏の剛腕エースは残り、打線の中核もそのまま残る。

レギュラーの7人は、昨夏の甲子園経験者だ。

 背番号1のエースのデビューは、2年の春季大会。

初先発での登板だ。

衝撃的なデビューを成し遂げる。

暖かな春の日ざしの、神宮第二球場。

一球ごとに「ズドーン」とミットの音が鳴り響く。

とにかく球が速い。

球速140キロ台のストレートと、落差のあるカーブ。

長身から投げ下ろす角度のあるストレートに、球場がどよめく。

ストレート主体のピッチングで、強打の修徳高校打線を1-0の完封勝利で飾る。

さらに、2年の夏には、甲子園で全国デビューをする。

 打線も、3番4番5番は、いずれも甲子園で打撃を開花させた。

歴代の母校野球部の中でも、投手打力にバランス力をもっていた年代だ。

(この年のメンバーは、東京六大学野球、東都大学野球、首都大学野球リーグでも野球を続ける)

 誰しも、この夏のチームには、死角なしと思われていた。

しかし、大会直前、(開会式の数日前)背番号1の剛腕が、右肩の不調を訴える。

それも、かなり深刻らしい。

エースの右肩は、この夏の大会には、間に合わないという。

チームに衝撃が走った。

 そして「この夏は、打ち勝つしかない

と全選手が覚悟を決めた。

 地区予選がはじまる。

2回戦 11対1

 「シード校は、初戦をエースを温存する」と新聞マスコミは、報道する。

3回戦 12対2

次試合も「エース温存」

4回戦 7対0

「この試合もエース温存」

準々決勝 6対4

しかし、新聞メディアも

「大事な試合に登板しないエース。なにかおかしい。エース温存でなく、何かエースに異変がおこったのではないか・・・・」と気づきはじめる。

 いよいよ、準決勝。

ここまで、剛腕エース「背番号1」は、ブルペンで、軽いキャッチボールするのみで、一度も登板せず。

 準決勝ベスト4の先発は、この試合も背番号1の剛腕エースではない。

この日も、ここまで一人で投げ抜いてきた準エース投手が、マウンドを立つ。

相手は、この春の選抜出場校。

相手校のエースは、準決勝までの4試合、無失点記録を伸ばす。

  2回戦 1対0

  3回戦 9対0

  4回戦 10対0

  準々決勝 1対0

無失点エースと強打線の激突。

「打ち勝つ」

甲子園を賭けた大一番。

 壮絶な打撃戦の準決勝が、プレイボールを告げた。

【野球に学んだ大切なこと】

 投手力(球のキレ)のほかに、集中打のある打線(打撃のキレ)

この両輪が優勝へと導く

~攻守は、どうですか~

人間野球

 少年と

    青年の

      心の間に種をまく

   人間野球が 

         実を結ぶ

 

      野球を通じて、人間の生き方、男の生きざまを

               教えてくれた人間野球の指導者に捧ぐ

もうひとりのエース

春大会の準決勝。

相手は、またも兄弟校との試合。

春大会は、直接には、甲子園には関係がない。

しかし、夏の大会のバロメーターになるのだ。

ひとつ勝てば、関東大会。

関東の力量が、肌身で感じられる機会が与えたれる。

甲子園の行く過程に、いつも壁になる最強のライバル校。

試合は、味方の打線が、兄弟校のエースをとらえ、4-2で最終回裏へ。

 一人ブルペンで、同期のエースに目をやりながら、戦況をうかがう。

背番号は「18」

エースナンバー「1」ではない。

小学校から、中学校時代は、エースナンバーしかつけたことがなかった。

「18番は、正直に悔しい」

 秋大会での準決勝は、右肩の違和感があり、リリーフを志願できなかったことが悔しい。

この数ヶ月間は、悔しさだらけだ。

今、春大会 準決勝 九回裏、 同期のエース「背番号1」に すこし 疲れが見える。

秋以降、自分の右肩の違和感は消えてはいない。

 監督に、「自分に投げさせてください」

と登板を志願したい。

しかし、

自分の右肩の不安と、チームのピンチが錯綜する。

ブルペンにいて、ひとり迷いに葛藤しながら、投げ込む。

九回裏、満塁 兄弟校の攻撃。

兄弟校、左のスラッガー、4番の一振り。

 まさかの、逆転満塁ホームラン浴びる。

母校は、勝利目前で、逆転サヨナラ負けを喫する。

マウンドで、がっくり膝をつく、エースナンバー1。

ブルペンで、両膝をつく、もうひとりのエース「18」

 背番号「18」は、最大のピンチにリリーフを志願できなかった、自分に悔しい。

「夏は、エースナンバー1を、つけてマウンドに必ず帰ってくる」

ひとり、こころに誓う。

 自分たちに残されたのは、最後の夏しかない。

このかりは、必ず返す。

【野球に学んだ大切なこと】

 身近なライバルの存在が、自己を高める

 ~ライバルは、いますか~

エース対決

 秋の神宮第二球場。

準々決勝、ベスト4をかけての対戦。

この秋大会は、選抜準優勝投手(後にプロ野球へ)を擁する帝京高校との対戦だ。

伝統力対新勢力の激突。

 この春の選抜大会で準優勝の投手がそのまま残る、新勢力の帝京高校に、母校の打線が挑む。

伝統力の母校も負けてはいない。

超高校級のスラッガー(後にプロ野球へ)が4番に座る。

 母校は、バッテリーは最上級生だが、バックは2年生中心の若いチーム。

プレイボール。

試合前の予想では、4対6で帝京有利、母校は劣勢とされていた。

帝京の豪打線をどう封じるかが、母校のエースの右腕に期待がかかる。

 右手首を小刻みに振りながら、独自のマウンドさばきが光る。

キレのあるシュート。

伸びのあるストレート。

帝京打線に、強気のピッチング。

内側の球で攻める。

なんと帝京打線を9回までノーヒット・ノーランで抑える。

打線が、爆発し4点をもぎ取る。

最終回ノーヒットノーランは、逃したものの豪腕・豪打の帝京高校を4対0で完封勝利。

完勝して、ベスト4へ。

 今回は、母校の伝統力が勝った。

選抜大会枠は、東京2校。

あとひとつで、甲子園だ。

甲子園が、すぐそこまで見えてきた。

 【野球で学んだ大切なこと】

 強敵を倒して、新たな歴史がつくられる

   それを、支えてくれた先輩に感謝

 ~先輩の思いを、感じていますか~

代打の切り札

 学生助監督時代に、胸に残る選手がいた。

彼は、代打の切り札として、夏のメンバー入りをする。

背番号は、2ケタ。

彼にとっては、そんなことは関係ない。

普段は、黙々とブルペンで、投手の球を受ける。

自主練習で、スイング、ティーバッティングに気迫がこもる。

この夏を、一振りに賭けるんだ。

 夏の大会に入り、試合中、ブルペンで背中越しに、戦況を見つめる。

投手のボールを取りながら、片方では、バッティングの目を鳴らす。

 中盤から終盤かけ、チームが劣勢だ。

監督から、スイングの声がかかる。

 代わりのブルペンキャッチャーが来る。

 一振りに賭ける。

このための3年間だった。

 最終回に、代打が告げられる。

グリップから指一本分だけ、あけてバットを軽く握る。

ヘルメットのひさしに手をやり、、いつもと同じく深目にかぶる。

呼吸を整え、打席に入る。

狙い球は、相手の投手が一番得意なストレートだ。

  一球目は、アウトコースのスライダー。「ボール」

ボールが、よく見える。

何も聞こえない。

 2球目、 インコースのストレート。

 真芯でとらえ、レフト線へ、一直線で転がって行く。

一塁へ出ることができた。

派手なガッツポーズなど彼には必要ない。

代走が来る。

ランナーを変わる。

 監督に、目と目で合図をする。

また、ブルペンに帰り、ピッチャーの球を受ける。

「いい球、来てるぞ」

僕たちの夏は、終わらない

 【野球に学んだ大切なこと23】

 日頃の努力を、一振り、一瞬に賭ける

    集中力が勝負だ

 ~一瞬に賭けられますか~

マネジャー

 新チーム結成時、マネジャーが監督より選出される。

主将や副主将、と同じ 大事な役割だ。

この年のマネジャーは、いつも笑顔の元気のかたまり。

内野手の彼だ。

中学時代の実績もあり、、母校野球部に入部してきた。

 他校を選べば、選手として十二分に活躍できた彼だ。

内野手として、走者として、打者としての活躍を見てみたかったようにも思う。

 彼は、その日、マネジャーの役割を、こころよく受けた。

しかし、家へ帰宅したときに心境は、複雑な思いもあったに違いない。

今まで選手で活躍することを影で応援してくれた、両親や中学の同級生、クラスメート、異性の友達に、 「なんていったらいいか・・・」

「選手として、まだやれる」

迷いに迷う。そして決断する。

チームのために尽くそう!

複雑な、思いをふっきり、マネジャー役に徹する。

試合では、スコアーブックを片手に、選手を応援する。

最初から最後まで、練習も手伝う。

持ち前の、笑顔でチームをまとめる。

選手への信頼は抜群だ。

 3人の女子マネジャー。

青春時代、立川のグランドで、選手とともに3年間、甲子園をめざす。

 野球に賭けた青春に悔いわない。

 裏方でささえるマネジャーなどの、努力で、チームは活躍できる。

           君たちの

              努力ありて

                  大勝利

          【野球に学んで大切なこと22】

           誰にも目につかない場所での努力

              すこし時間が遅れて実を結ぶ

          ~影の努力に、気づいていますか~

兄弟校決戦

 前年夏の決勝戦と同じ組み合わせだ。

この夏大会の序盤戦、屈指の好カード。

昨夏は、母校が、兄弟校の右剛腕(この投手もプロに進む)から点をもぎとり、守っては

絶妙なけん制プレー、継投もうまくいき、兄弟校を破り優勝することができた。

 この年の母校野球部も、練習の質と、その量では、全国レベルにひけをとらない。

足りない部分は、チームの団結力で補う。

試合前、ベンチに入らない3年生を中心とするスコアラー部隊が、対戦する兄弟校、戦力分析を発表する。

 兄弟校の投手は、長身の左腕投手。

モーション、投球・配球のクセを、完璧に見破る。

「左投手だが、走れる」

塁に出たら、徹底的に足を使う。

この夏の大会前の、最終練習試合は、帝京高校と立川グランドで行った。

帝京高校は、この春センバツ大会に出場している。センバツでは、優勝候補、東のNO1の実力と評価されていた。(しかしこの大会は、蔦監督率いる優勝校池田高校に大敗する)

試合は、3年生の意地を見せる初先発投手が、帝京打線につかまる。

前半戦の5点のビハインド。

このままでは、終わらないチームになっていた。

いままで腰の故障に泣いて登板できなかった、初先発3年生投手の気持ち入った投球が、他の選手全員が奮い立つ。

劣勢を跳ね返し、一点づつ得点を返し、最後は逆転勝ちし、本大会に弾みをつける。

昨年の夏の決勝と同じ対戦、夏の兄弟校決戦。

塁に出たら、足でかき回す。

そして、バント。

今度もバントと思いきや、ヒッティングに切り替える。

ヒッティングと思ったら、バント。

兄弟校に揺さぶりをかける。

守りのテンポとリズムもいい。

中盤、大差のスコアーでも、まだバントで塁を進める。

 結局、スコアーは、以外の大差 9対2でコールド勝ちする。

2年連続の兄弟校決戦を制し、そして、次の戦いへ。

 練習の質、その量、足りない点はチームの団結力で勝負する母校野球部が勝ち進む

 【野球に学んだ大切なこと22】

 練習の中身、そして反復練習

 ~質と、その量、チームワークはどうですか~

二人のノッカー

 最上級生の彼らは、黙々と自らの仕事を開始する。

三遊間にノックを打つ。

ショートの一番深いところへ、ボールが行く。

本来なら、自分が捕球するポジションだ。

最上級生になり、グランド内では、ノッカーに徹する。

中学時代の活躍、プライドもある。

ここまで育てくれた親や友達にも、異性の友達にも、大会で背番号をつけて活躍する姿を見せたかった。

同級生のみならず、下級生にもノックを打つ。

複雑な思いもあった。

けれど、すべて割り切って、チームのために、ノックを打ち続けると決めた。

自分で決めた。

監督からの配慮で、真新しい皮手袋をいただいた。

チームのために今日も、ノックを打つ。

【野球で学んだ大切なこと17】

 不本意を突き抜けてこそ、

   人間としての底力がつく

~不本意を突き抜けますか~

練習試合

 夏の地区予選大会前に練習試合が、母校の立川グランドで行われた。

相手は、神奈川の名門・横浜高校だ。

神奈川の横浜から、立川グランドまで選手が来る。

僕は、一塁の塁審を努める。

「アウト」と「セーフ」の微妙な判定は、ほんとうに困る。

超俊足の先輩が、塁上を駆け巡る。

とにかくスタート、一歩目が早い。

その先輩は、やがて東京六大学野球で盗塁最多記録を打ち立てる。(今でも、その記録は破られていない)

3番打者、強肩強打の遊撃手が、ボールを芯でとらえる。(その先輩はやがてプロに行き活躍される)

4番打者もシャープなバッティングで、神奈川・横浜高校の投手陣を真芯でとらえる。

4番の先輩は、やがて首都大学野球で首位打者をとり、社会人野球でも活躍される。

高校野球を終えてからも、野球を続ける先輩たち。

抜群の機動力とシャープな打撃をもった先輩たちが、僕たちの手本だ。

試合巧者の先輩たちのテンポとリズムで試合は進む。

神奈川の名門横浜高校に、勝利する。

 母校出身のすばらしい先輩や同期・後輩がたくさんいる。

【野球で学んだ大切なこと15】

 尊敬する先輩・同期・後輩の野球部員に感謝

~尊敬する人はいますか~

 

エースの条件<1>

秋の神宮第二球場。

準決勝の相手は、3季連続甲子園出場を果たし、4季連続出場を狙う名門校。

右の本格派投手(後にプロドラフト1位に指名され、プロで活躍)との対戦だ。

対して、背番号1をつけた母校の左腕エースがマウンドに受けて立つ。

長身から、左腕をしならせ、伸びのある球と、さらに独自のテンポとリズムで投げ抜いていく。

キレのいいストレートとカーブ。

エース同士の気持ちは高鳴る。

二人のエースは心得ている。

コントロールや球のキレをこえたもの。

これがないと、ここから先は勝てないということを・・・・・。

序盤戦から、中盤にかけて、背番号1をつけた左のエースの呼吸が、わずかに乱れていく。

体に、徐々にけだるさが襲う。

また、はじまったのか。

自分でも悔しい。自己との戦い。

誰にもいえない、孤独な自分にしかわからない特殊な体調の変化。

強豪の相手打線は、その左エース背番号1の変化を見逃さない。

厳しいボールは見逃し、甘いボールは痛打する。

左の背番号1エースの呼吸が、さらに早くなる。

先輩から引き継いだ、利き腕の手首を振るクセで、間合いをとってみる。

さらに「フっ!」と、息をひと息ついてみる。

しかし、徐々にリズムとテンポが微妙に乱れる。

心は冷静だけれど、体のけだるさが覆う。

ボール1個分の、いやボール半分の微細なコントロールが利かなくなる。

表情には出さない左腕背番号1のエース。

秘めた闘志が燃え上がる。

けれど、ほんとうに悔しい。

 ここで、2番手の同学年の投手に、マウンドを譲る。

左の背番号1番をつけたエースが、マウンドを降りる。

悔しさと体のけだるさを引きづりながら、ベンチに戻る。

ベンチで味方の戦況を見守る。

左手にボールを握り締め、ボールの感触をつかみながら・・・。

試合は、両校の壮絶な打撃戦になる。

壮絶な打撃戦の先に甲子園がある。

試合は、延長戦に突入する。

味方の打線の延長裏の攻撃。

下位打線が相手の背番号1エース右腕に襲いかかる。

この回の先頭バッターが、フェンス直撃の3塁打を放つ。

この場面で、背番号1の右エースは、満塁策をとる。

ノーアウト満塁サヨナラの絶好のチャンス。

右腕背番号1エースの絶対絶命のピンチ。

母校の上位打線が、強攻で攻め立てる。

右の背番号1エースが真骨頂を見せる。

あと1本がでない。1本を打たさない。

1点を取りたい。1点も取らせない。

凄まじい試合となった。

 甲子園をかけた壮絶な準決勝ベスト4の戦いは、日没引き分け 再試合となる。

孤独な背番号1をつけた両エースは、人知れずこころに誓う

「明日こそは、この腕で、封じて見せる」

【野球で学んだ大切なこと14】

エースや中心者のリズムとテンポが

 メンバーとチームのリズムをつくる

 ~エースは誰ですか~

王者の戦い

 秋ベスト4、春ベスト4、夏ベスト4、秋ベスト4、春準優勝。

優勝まで、もう一歩のところで、惜敗してきた。

準決勝ベスト4といっても、すべて勝者が甲子園大会に出場している。

事実上の決勝戦だった。

点差が、もう1点、もう2点届かなかった。

先輩たちの悔しさ、もう1点、もう2点を埋める戦い。

自分たちで体験した「勝負は最後までわからない」という実感。

前半戦の戦いで勝負は決まらず、、必ず後半に勝負はもつれ込む。

 たしかに『優勝』という結果はえられなかった。

しかし、すべての戦いは王者の気概をもった戦いだったと思う。

 相手が、強かろうが、弱かろうが、自分たちの野球、自分たちのリズムで戦っていった。

相手の野球のリズムをうまく崩し、自分たちの野球のリズムで戦っていた。

王者の気概をもったチームが、春に一度、苦戦した。

自分たちの野球のリズムを崩されかけた。

その相手は、無名の一度も甲子園には出場したことのないチームだった。

 どんな相手にも、手を抜かないし、気負いもしないチームになっていった。

 そういえば、上位を目指す、甲子園大会の抽選会。

まず初戦を勝って、王者の気概をもったチームのキャプテンは、あえて優勝候補筆頭のチームを選んだ。

(グラウンドでの抽選会。抽選の封筒で、対戦校の名が透けて見えた。相手校の名前が見え、自分でどちらか選んだというのだ)

キャプテンは、次試合の対戦校を、あえて今大会の優勝候補筆頭、超豪腕投手ひきいる学校を選んだ。

 キャプテンだけでなく、だれもが同じ気持ちだったと思う。

王者の気概をもったチームが、王者のチームに戦いを挑む

 また新たな歴史をつくってくれた。

【野球で学んだ大切なこと11】

 王者の気概は、相手が強かろうが、弱かろうが関係ない

自分たちのリズムが大切なことを熟知している

~王者の気概をもっていますか~

 

見えないファインプレイ

 第一シードで挑んだ夏の大会だった。

「第一シードが、優勝できない」そのようなジンクスも当時はあった。

もし、あるとしたら 誰もが気づかない、ほんの微細な油断とアクシデントかもしれない。

「打線は水ものである」ともいわれていた。

そんな常識を打ち破り、新常識をうちたてたチームが大会を順当に勝ち上がっていった。

 上位(準々決勝)の戦いの前に、思わぬ豪右腕があらわれた。

夏の抽選会を終えてから、ライバル校といつ、どこで対戦するかのスケジュールはほぼ、詳細につかんでいるつもりでいた。

 しかし、大会期間中になって(というより、対戦間際で)焦点を合わせ直した無名の豪右腕が行く手の前にでてきたのだ。

その豪右腕投手は、後にプロ野球ドラフト1位で指名され、プロで活躍する。

その投手の力量を見抜き、投球内容(パターン)を見事に分析したのは、今大会ベンチに入らなかった偵察スコアラー(3年生を中心とする2年生を含んだチーム)だった。

 合宿所に帰ってきて、彼らから「この投手を侮ってはいけない」という、第一声のが入った。

 僕もこの投手の中学時代からの実績から、今日の試合のデーターまで詳細に聞いた。 スコアラーからの、分析は、詳細だった。

投球パターンやクセなどを、見事にあぶりだしていた。

各バッターに、試合当日までに、投球パターンやイメージを詳細に伝えることができた。

 試合当日は、スコアラーの情報分析どうりの投球内容だった。

後にドラフト1位豪右腕を、打線が完璧にとらえた。

打球が早すぎて、相手の野手が捕球できない一打。

試合を決定付けた。

いや、すでに試合を決定付けたのは、ベンチ入り外スコアラーの、ファインプレイだったかもしれない。

【野球で学んだ大切なこと10】

見えないファインプレイが勝利に貢献

 影の功労者に感謝

~見えないファインプレイに気づいていますか~

ベスト4の壁

大学の野球部に在籍しながら、母校野球部の学生コーチ・学生助監督をさせていただいた。この期間に貴重な経験を得ることができた。

 母校野球部は、前年地区大会までの成績は、 秋はベスト4、夏ベスト4 、春ベスト4、一昨年の秋もベスト4という、甲子園出場を目前にしながら、常にもう一歩のところで惜敗を繰り返していた。(しかし、このチームは,この年の春の大会では、ベスト4の壁を破り、決勝まで駒をすすめることができた)

 甲子園を出場を決める秋・夏の大会での準決勝ベスト4の分厚い壁が、まだチームの前進を頑なに拒んでいった。

この分厚いベスト4の壁を打ち破ることが、戦いのはじまりであったように思う。

先輩の悔しさと感謝の思いを胸に秘めたこのチームが、その後も、快進撃を見せる。

「先輩たちのあの悔しさがあったから、甲子園出場でき活躍できる」という謙虚さが常にあったように思う。

技術的には、中学校時代には3番4番を打っていたと思うような強打者のメンバーが1番から9番まで打線にならぶ。

夏の地区予選での準決勝ベスト4の対戦でも、同じく名門優勝候補同士の対戦となった。

分厚いベスト4の壁を前にしての激しい戦いであった。

対戦校のピッチャーは、後にプロ野球のドラフト1位に指名された超左腕だ。

その豪左腕が、また準決勝ベスト4の壁となり大きく立ちはだかる。

 準決勝ベスト4の分厚い壁を打ち砕いたのは、先輩たちの思いをバットの一振りに託した一打だった。

そして、地味ではあるが他の選手の目には見えないファインプレーもたくさんあった。

ドラフト超左腕ピッチャーに対して、なんと8番バッターが、レフトスタンド場外フォーマーを放ち、試合を決定付ける。

 この一発が試合を決定付け、精神的にも、完全にドラフト超左腕の心を折り、分厚い準決勝ベスト4の壁を打ち砕いたように思う。

そのくらい印象の強い一打であった。

それを、もたらしてくれた先輩たちへの感謝の思い。

ナインもベンチもスタンドも常に一体だった。

 そして,このチームは繋ぐ野球もでき、一試合の犠打も甲子園大会タイ記録を打ち立てていった。

謙虚さと精神の強さをもったチームは、分厚いベスト4の壁と目前の強敵・豪腕を次々と打ち破っていた。

 【野球で学んだ大切なこと9】

 真剣勝負の流れを決定付ける仕事

   そこには、先輩・お世話になった人たちへの感謝の思いがある

  ~今の壁は何ですか~

 

ライバルの存在

真夏の事実上の決勝戦であった。

2年連続で、対戦するライバル校。

勝った方が、甲子園の切符を手にできる。

 あれだけしのぎを削ったライバルチームなのに、今でもつきあう親友は、そのライバル校にいた。

不思議だなと思うし、これが野球のいいところだと思う。

 2年連続、ライバル校に勝利した夏。

  3年の8月、現役を引退した。

 なぜか、ライバル校のグランドにいきたくなり、相手校の監督さんに御あいさつにいった。

その監督は「ユニフォーム持ってきたか?」が第一声だった。

 ライバル校の甲子園初出場を止めた、チームの選手の一人(僕)であるのに、この監督は「いっしょに練習をしよう!新チームの練習を手伝ってくれないか!!」というのだ。

この監督は、心が大きいと、心の底から思った。

 また、こんな監督に育てられたライバル校の選手も、「幸せだな」とも思った。

【野球で学んだ大切なこと7】

ライバルは、勝負のペースメーカー
 ライバルの存在ほど、有り難いものはない。
ライバルの存在に感謝

   ~ライバルは誰ですか~

目標と目的

高校の野球部に入学して、コーチに言われた

「 小学生で、中学生で、高校で、大学で、社会人で、プロで野球をやっても、

引退の時は、必ずやってくるぞ」

「ほんとうの野球は、引退してからも、勝負だぞ」

「人生のレギュラーを目指せ!人生のレギュラーたれ!!」の言葉は、今でも脳裏に焼きついている。

 今になってみれば、これが高校野球の目的であると思う。

たとえプロになっても、引退後の人生は、現役までの人生より長いはずだ。

 ◆ 甲子園に出場する
 ◆ 地区大会で優勝する
 ◆ レギュラーになる
 ◆ 甲子園で勝つ

これらは、目標だ。

昨今の、高校野球指導者と選手の不祥事の原因は
 
 高校野球の目的と目標が、不明確なことに尽きるのではないか。

いわんや、選手に目標を示しても、その目的まで指導する指導者が少なすぎるのではないか。

 さらに、その目的と目標を達成するための手段が、日々の練習であると思う。

 自分が野球をやる目的は

 ◆ 人生のレギュラーになること
 ◆人生の勝利者になること

コーチに教えていただいた

僕は今でも、この二つだけは、忘れることはできねい。

 【野球で学んだ大切なこと6】

高校野球の目的は、人生の勝利者になること
 目標は、試合に勝つこと

~今の目的と目標 何ですか~

目前の今

 甲子園を目指すベスト4に残ったチームには、実力の差はない。
ほんの小さなことや、微妙な心理が、選手や指導者、後の試合に影響を及ぼす。

前回のブログでお話させていただいた。

 先輩達は、ベスト4準決勝第二試合に戦いをすすめた。

 目前で、ウォームアップをしながら、準決勝第一試合の様子をさぐる。

ゲームセット。

対戦校が決まった瞬間。

「明日の決勝の対戦相手は、○○高だ」

ここに、微妙な心理が走る。

◆明日の決勝を強く脳裏に刻まれた先輩と私たち。

◆無欲で、先輩達だけにむかってくる一度も甲子園にでたことのない準決勝の対戦高校

一瞬の油断が、大差になる。

 ベスト4準決勝は、大方の予想をくつがえして、先輩と僕たちは、まさかの大敗した。

 先輩や僕たちにあった明日の決勝戦。

 無欲で、「目前の今」の、試合に挑む対戦高校。


このとき、すでに勝負の流れができていた。

  「目前の今」に徹することが集中するチームが勝利つながる。

【野球で学んだ大切なこと5】

  「目前の今」の相手に徹するしかない  

   ~ 目前の今は何ですか~ 

 

ベスト4

 甲子園を目指すベスト4に残ったチームには、実力の差はない。
ほんの小さなことや、微妙な心理が、その後の試合に影響を及ぼす。

 ◆準決勝の第一試合
 ◆準決勝の第二試合

特に準決勝第二試合の試合には、選手の心に微妙な変化が起こる。

 準決勝第二試合に出場する2つのチームの脳裏に、明日決勝に進む1つのチームことが選手や指導者の脳裏に刻まれる

 「明日の決勝は○○だ」

 また、決勝進出を決めたチームは、準決勝第二試合を余裕で(?)で視察する。
通常は、レギュラーは3回ぐらいまで見て引きあげ、あとは監督とコーチや、チームの偵察隊のスコアラーのみが残る。

 準決勝ともなると、両校スタンドの応援合戦もがぜん力が入る。

ブラスバンドの音響がグランドに鳴り響く。張り詰めた緊張感が球場を覆う。

一球一球に歓声が沸きあがる。

その準決勝ベスト4を勝ち抜くには、今までやってきたことを信じきること。

チームの強い団結と一人一人の精神力が必要だ。

 【野球で学んだ大切なこと4】

 ベスト4以上のチームに、実力の大差はない
   勝負は、ここからだ

~あなたにとってのベスト4は何ですか~

目標の高さと鮮明さ

甲子園の入場行進のリハーサル

その際、大きな気づきがあった。

 
~横浜高校・PL学園・松山商業・天理高校・高知商業・報徳学園・中京高校・松商学園
 仙台育成など選手と話していて~

◆ 甲子園大会に勝つ(目標が優勝すること)ために、乗り込んでき学校

◆ 甲子園大会に出ることを目標にしてきた学校

の2つにわかれている事に気づいた。

 この大会で優勝したのは、やはり、甲子園で勝つことを目標にしてきた学校PL学園だった。

甲子園出場を目標にしてきたチームは、甲子園で常勝チームにはならない。

甲子園を出場する事を、目標にしてきたチームは、たとえ勝っても、甲子園での活躍は一時的だ。 伝統にまでならない。

 あの時から、野球でも、どんなことでも、目標設定と鮮明さ(イメージ)が、大事の中の大事だと自分に言い聞かせている。

  ◆甲子園で勝つこと
 ◆甲子園で活躍する事

を鮮明に詳細にイメージして、目標を掲げたい。

野球でも、またどんなシーンでも。

 【野球で学んだ大切なこと3】

 目標の高さと目標の鮮明さ(イメージ)が大切

~目標の高さとイメージは適性ですか~

優勝 三つの涙

母校は、十数年遠ざかっていた、夏の甲子園大会に出場を決めた。

閉会式を終え、バス乗り込んでみると、涙する選手に気づいた

◆ 優勝(甲子園出場に)に喜びの涙
◆ 優勝したのに、メンバーにもれた悔し涙
◆ 勝利して、友のことを想う涙

はじめの2つは、わかっていただけると思う。

最後の、友を想う先輩の涙に接したのは、僕にとっては衝撃だった。

それは、優勝を決めて、乗り込んだバスの中で、号泣する先輩がいた。

優勝した事を、喜んでる涙とは違うなとは感じることは出来た。

 3年生の先輩は、ともに苦労した同級生の選手が、予選では,ベンチにはいっていたのに、甲子園のメンバーに外れたことへの悔しさの涙だった。

優勝して友のために流す、悔し涙。

衝撃的だった。

 伝統校の復活の裏には、最上級生の抜群のチームワークがあった。

優勝しても、自分の事だけではなく、友のことを想える先輩を心から尊敬しました。

その先輩は、抜群の勝負強さで甲子園でも センター前に、見事なクリーンヒットを打ちました。

 【野球にで学んだ大切なこと 2】
 
 嬉し涙  悔し涙  友を想う涙

~どんな涙を流しましたか~

人生の甲子園

高校野球部時代に、コーチがよく言われた言葉は

「引退した時からも、勝負だぞ」

「人生のレギュラーを目指せ!人生のレギュラーたれ!!」

「 野球をやるにしても、いつかはユニフォームを脱ぐ日が来る。
 それが、中学なのか、高校なのか、大学野球なのか、社会人なのか、プロ野球なのかの違いはあっても、野球を終える日が、誰でも、来る。

その日から、人生のレギュラーを目指す戦いが始まるんだ」

このコーチの教えが、胸に焼き付いている。

また、社会人になってみて、このコーチの指導が真実である事を実感できる今日です。

 すべての球児に、この言葉を捧げます。

【野球で学んだ大切なこと1】

「引退したあとも勝負だぞ」

「人生のレギュラーを目指せ!!」