太陽が燦燦と輝く、真夏の神宮第一球場。
7月28日灼熱の太陽が眩しい。
母校が13年ぶりに甲子園に戻ろうとした夏だ。
決勝の相手は、都立高校として初めて、悲願の甲子園出場を
目指す、都立東大和高校。
春大会の成績で、東大和高校が第一シード。
母校は、第二シードで、抽選は、双方の高校が両端に位置していた。
第一シードと第二シードの、決勝戦は順当のように思える。
しかし、波乱のずくめの西東京大会であった。
優勝候補の一角、日大三高が、都立高校に初戦で敗れ、早くも姿を消す。
さらに、三年連続夏の出場を目指す、桜美林高校も、大会の序盤戦で姿を消した。
堀越高校や東亜学園、創価高なども、都立高校にまさかの敗退。
初優勝を狙う 国学院久我山高校も、ベスト8で都立東大和高校の前に敗れた。
他球場の試合経過のアナウンスのたびに、「うぉー」と、まさかのどよめきが、絶えない大会でもあった。
現在の都立高校の大躍進が、まさしく始まった大会でもあった。
超満員の神宮球場。
一塁側の、東大和高校。
球児のこころをつかむ、佐藤道輔監督が率いる。
全国の無名の球児を励ます『甲子園の心を求めて』(報知新聞社)を著されている。
この決勝戦、佐藤監督を慕う選手が、一丸となって、全都立高校の夢を背負って、甲子園を目指し戦いに挑む。
一方、母校は、2年ぶりの決勝戦だ。
13年間、甲子園を離れている。
この13年間、様々な試練があった。
一昨年の夏は、西東京の決勝で、逆転サヨナラ負け。
昨年の夏も、予選で準決勝敗退。
秋大会は、選抜大会の補欠高校にもなったこともある。
いずれも、優勝目前、紙一重の敗退だった。
さらに、今から数年前には、秋大会に部員が9名にまで減ってしまう、部の存続の危機、まさに冬の時代もあった。
勝てなければ、周囲の雑音を多くなる。
苦境の時代を経験しての決勝戦だ。
「宇宙戦艦ヤマト」のテーマ曲に乗って、
東大和高校のスタンドの大応援が鳴り響く。
一方の、母校のスタンドからは
「ああ紺碧の空の下、
覇者の冠 飾るべく
戦わんかな
時 来る 」
の母校の応援歌が鳴り響く。
母校の先攻。
「プレイボール!」のサイレンが、真夏の神宮球場の上空に、鳴り響く。
3時間半におよぶ、壮絶な夏の決勝戦が始まった。
母校が、13年ぶりに、夏の甲子園に戻るチャンスが来た。
決勝戦に挑む、3年生の部員は8名。
苦労に苦労を重ねた先輩たちだ。
夏の大会は、1年生の時、決勝で、2年生の時は、準決勝、甲子園を目前で敗れた。
夏のベンチ入りの大半は2年生だった。
昨年秋の新チーム結成の時。
新チームのキャプテンは
「俺たちは、先輩(準優勝・準決勝進出)のような力はないかもしれない。
だから、どんな相手でも、都立高校だろうと全力で戦うのみだ」と叫んだ。
とにかく、練習では、人が見ていなくても、手抜きをしないし、チームワークが
抜群だった。
そして、キャプテンの予告どうり、そのとうり、最後の夏の決勝戦は、都立高校との対戦になった。
新キャプテンの強い思いが、新チームの結束の軸となった。
新チームの秋のブロック戦は,辛勝の連続で、本大会へ。
本大会1回戦(ベスト16)、神宮第二球場で、早稲田実業高校に、大敗した。
東京の秋大会は、早稲田実業が優勝する。
早稲田実業のエースでキャプテン、左腕の前に、打線が沈黙し、中軸の打線をいつものように迎えることができなかった。
キャッチャーは、一学年下で、好リードをする。
後に、彼は、早稲田実業に、監督・指導者としてもどり、悲願の夏、全国制覇を成し遂げる。
新チームの強みや、補うべき課題が明確になった試合であった。
この秋の大敗から、実質的な新チームのスタートが始まった。
本来持っている、新チームの強みを伸ばすことと、そして、足りないものを埋める厳しい戦いが始まった。
冬の間の練習には、今までにはない特別なトレーニングも導入された。
いよいよ、その成果を試す、春が来た。
新2年生になる長身の右腕が、マウンドに戻って来た。
昨年夏に、ベンチ入りするも、大会直前に体調を崩し、治療に専念する。
昨年の夏と秋は マウンドに立てなかった。
その彼が、帰ってきたのだ。
デビュー戦は、神宮第二球場、修徳高校戦。
初先発で、1対0の衝撃の完封勝利。
この春は、準決勝で,選抜大会から帰ってきた帝京高校に、同数安打を打つも、大敗する。
リズムのいい投球を重ねる帝京高校の背番号「1」。
制球力がある。
そして、キャプテンの好リードが冴える。
そのリズム感のある投球術と強打の打線、そして機動力の伝統は、今の後輩たちも継承している。
、帝京高校の新しい歴史は、この時から、すでに始まっていた。
縦じまのユニフォーム、帝京高校が、他を抜く圧倒的な力で、春の東京大会を制した。
東東京の強豪との対戦を経験もでき、夏への強みと課題が見つかった春大会。
収穫も大きかった大会であった。
そして、迎えた夏の大会であった。
西東京大会4回戦からの 登場で、初戦の都立石神井高校戦に大苦戦する。
結局2対0で勝利する。(油断を廃し、挑んだ試合、センターの超美技がチームを救った)
その試合を契機に、一気に決勝まで勝ち進む。
迎えた大一番は、決勝の相手は、都立の雄 東大和高校であった。
東大和高校の先発は、背番号「10」の3年生投手。
「奇襲」か「予定」なのか。
準々決勝を、抑えで登板し、準決勝は投げていない。
東大和高校を、決勝戦まで、つないできた、 もうひとりのエースが神宮のマウンドに立つ。
決勝の対戦相手である、東大和高校は、昨年の秋、東京大会にはベスト8まで進出している。
この春選抜大会に初出場した帝京高校に、延長10回2-3で敗れた。
春の東京大会では、同じく、決勝で、帝京高校と対戦した 。
昨秋と同様、帝京高校が振り切リ、優勝する。
昨秋と今年の春の時点では、母校の戦力より、東大和高校のほうが、勝っていた。
春から、夏へ、更なる練習で、どこまで第一シードの東大和高校に、母校の戦力が追いついているのかが問われる試合でもあった。
決勝に向かう、春から夏にかけて、週末は、練習試合を神奈川や千葉の強豪高校と行ってきた。
千葉の全国制覇の経験のある、名門銚子商業とも、練習試合を行った。
グランド側には、全国優勝記念館があった。
母校にも、一日も早く全国優勝の記念館をつくりたい。
夏の東京予選に向けて、夏合宿を6月に立川グランドで行った。
「練習は嘘をつかない」との箴言もある。
しかし、実際には、時に練習は嘘をつく。
その練習の中身、質、目的や目標、イメージがただしく伴わない練習は、時に嘘をつく。
だが、この夏の母校には「練習が嘘をつく」ことは許されなかった。
この夏は、とくに灼熱の太陽の日差しが激しく、選手を照らし、時に選手を苦しめた。
7月28日、東京の200校以上の中から、東西の東京予選を勝ち抜いた高校は、わずか4校にまで絞られた。
神宮第一球場での決戦となる。
西東京の決勝は、
東大和高校対 母校。
東東京の決勝は、翌日に控える
帝京高校対早稲田実業高校。
この春、帝京高校と早稲田実業高校が選抜大会に出場した。
早稲田実業は、春季の東京大会にはベスト8で、城西高校に敗れている。
夏の準々決勝では、その城西高校を下しての、決勝進出だった。
東東京大会、第一シード、選抜出場の両校の決勝は順当のように思える。
しかし、特に早稲田実業高校の決勝までの道のりは平坦ではなかった。
初戦で 野球では全く無名な学校に、絶対絶命の敗北のピンチに追い詰められた。
早実の攻撃、最終回 2アウト まで劣勢。
内野の平凡なファールフライ。
捕れば「ゲームセット!」
誰もが、「早実 まさかの 初戦敗退」と思われた。
ところが、勝利を意識しすぎたのか、内野手が、凡ファールフライを、まさかのエラー落球。
ここから、奇跡的に、早実が息を吹き返し、10対9で、初戦を奇跡の逆転勝ちをした。
「初戦は、怖い」
絶対に、最後まで油断は、できない。
初戦の大苦戦を、乗り越えての早稲田実業の決勝進出だった。
母校も、この夏の大会では、初戦の都立高校に、大苦戦をしいられた。
逆に、これが、後の試合に、いい意味での油断の戒める好材料にもなった。
、壮絶な決勝戦は、西東京だけでなく、東東京でも繰り広げらる。
灼熱の太陽の下で、繰り広げられる、東西の決勝。
選手たちは、すでに限界を超えたところで戦っていた。
この夏の東京の東西の決勝戦は、やがて歴史的な決勝戦と語り継がれるようになる。
西東京の頂点を決める、決勝の試合が遂に始まった。
東大和高校の先発は、準々決勝と、準決勝に先発した、背番号「1」ではない。
東大和高校の先発は、背番号「10」の3年生投手。
先発は、今朝、佐藤道輔監督から告げられた。
準々決勝は、リリーフで登板。
準決勝は、背番号「1」が、完投した。
一方、母校は、左腕エース・背番号「1」が先発する。
後には、長身の大型右腕 背番号「18」が控える。
この決勝の大きなポイントは、投手の「継投」だ。
どこで、それぞれの、もうひとりのエースに「継投」するのか。
監督の采配で、一番難しいのが継投のタイミングだ。
東大和高校の、背番号「10」の3年生投手は、登板感覚としては、恵まれていた。
準々決勝、準決勝に先発した、背番号「1」を先発させないのは、佐藤道輔監督の、奇襲なのか?
それとも、何かエースに異変がおこったのか?
母校の先発左腕の3年生投手は、2年の秋から、野手から投手に転向した。
秋から春へ、そして、最後の夏に照準を合わせてきた。
初戦からの毎試合の登板で、左の肩とひじは、限界を超えていた。
西東京の決勝は、「継投」をいかにするかに、焦点があった。
一方、東東京の決勝までの、戦いは、対極的な戦いでもあった。
両校エースが、準々決勝、準決勝、決勝と、先発完投する試合運びだ。
両校は、ともに背番号「1」に、すべてを託し、バックが援護するとい戦いが、東東京の頂点までの戦いの特徴であった。
「完投」か「継投」か。
そのタイミングは、いかに。
いずれにしても、それぞれのエースたちは
肉体的にも、精神的にも ぎりぎりの極限なところで、戦っていた。
いや、すでに限界を超えた、ただ自分との戦いだけをしていたのだ。
.真夏の灼熱の太陽の下で、
暑くて、熱い 決勝戦の火蓋(ひぶた)は、始まったのだ。
西の頂点の戦いは、序盤から試合が動く。
母校の2回表の攻撃。
9番の2年生遊撃手が、レフトスタンドに、先制ツーランホームランを放つ。
さらに、2点を加え、4点を先取する。
序盤から、4点の先制は、母校の有利な試合運びと思われた。
しかし、その裏 、東大和高校の打線も黙っていない。
下位打線8番打者が、満塁からの走者一掃の三塁打などで、4点上げ、一挙に同点に追いつく。
2回途中、ここで、母校の監督は、はやくも、投手を交代、「継投」に出る。
背番号「18」の長身の右腕に、勝負を託す。
東大和高校も、次の3回の途中で、背番号「1」の継投を決断する。
満員の神宮球場、全都立高校の球児の夢が、全国の都立高校のファンの思いが、
背番号「1」に託される。
西東京の決勝は、序盤戦から、時間を重ねるごとに、さらに激しさをましていく・・・・・・。
真夏の神宮球場の西東京の決勝戦は、思わぬ展開となってきた。
3回までに、両チーム 4点を失う展開だ。
投手が、中盤以降、いかに立ち直るか。
都立の雄、東大和高校は、エースを投入する。
彼は、投げるばかりでなく、打つほうでも4番を任されチームを引っ張る。
精神的にも、重圧がかかり、ギリギリのところで、マウンドで、ひとり戦っていた。
母校の2番手は、今大会、2回からのロングリリーフは、初めてだ。
しかし、両チームの打撃に勢いを、両チームの、もう一人のエースが、迎えることができない。
長打も飛び交う。
母校が点をとれば東大和高校が、取り返す。
戦いは、7回の終盤を迎える。
スコアーは 8対6で、母校が2点リードで、いよいよ7回の攻撃。
西東京の頂点の戦い。
母校の円陣では、選手を座らせ、監督の指示が 出る。
「ここからが、勝負だ」
会の抽選が決まれば、目の前の一戦のことだけに集中していく。
優勝といっても、具体的には、この積み重ねしか、方法はない。
試合は、一球の流れ(運)が、試合を大きく、動かす。
西東京の真夏の決勝戦は、壮絶な打撃戦となる。
後攻の、東大和高校は、点をとられても、すぐに取り返す。
驚異的な、粘りを見せる。
しかし、逆転へのもう一点が、どうしてもとれない。
母校の投手陣の粘りの投球で、逆転だけは許さない。
東大和高校の攻撃、塁上にランナーを置き、ライトへの一打。
満員の一塁側スタンドから、大歓声が沸く。
この一打を、 母校の右翼手がダイビングキャッチ。
東大和高校が、最大のチャンスをつぶす。
この一球の好捕が、その後の試合の流れを大きく変えていく。
戦いは、7回に入り、大きな山場を迎える。
2回表と同様に、母校の打線が、火を噴く。
好投手を、伝統の強打の打線が援護する。
長打とバントの揺さぶり、鍛え上げたベースランニングで、一挙 4点をあげる。
戦いの終盤で、貴重な4点だ。
この試合、東大和高校の犠打2に対して、母校の犠打の数は8に達していく。
強打と犠打の数が圧倒的多い、そして、足を絡めた機動力で、相手の守備をかく乱させてきた。
そして、その裏の、7回の東大和高校の、追撃を0点に抑える。
試合は、7回終わって、 12対6の、壮絶な打撃戦。
6点差は、決して安全圏ではない。
東大和高校の全員野球が、残された2イニング、母校の投手陣に襲いかかる。
真夏の試合も、開始から3時間になろうとしている。
肉体的には、両校の選手も、限界の域に達していたかもしれない。
ただ、選手の胸にある、勝利への執念は、時間がたつごとの、さらに赤々と燃えていく。
都立の勇者、東大和高校は、さわやかな、マナーのいい、精神力を
かな備えたチームだ。
佐藤道輔監督、吉沢保年コーチが、手塩のかけたチーム。
今大会、第一シードとして、堂々の戦いを繰り広げてきた。
精神力も、内に秘めた強さ。
私立学校のような、荒々しい、表面だったものではない。
3年生部員は23名。
スタンドとベンチが一体の全員野球が東大和高校野球部の真骨頂だ。
エースで4番の背番号「1」が、この一年間、チームの原動力になった。
サードキャプテンは、100名近い大所帯のメンバーを、まとめ上げてきた。
内野陣は、無失策、全員安打で、投手を援護する。
一番バッターは、俊足巧打の左バッター。
バットのグリップエンドを、2つくらいあけて、ミート打法に徹する。
細いからだから、痛烈な当たりを放ち、快速で塁上を駆け巡る。
最終回も、驚異の粘りの打撃で、ライトフェンスまで、放つ。
俊足を飛ばし、途中 倒れそうになりながらも、堂々の3塁打で、ランナーを迎え入れる。
一塁側スタンドは、総立ちで、拍手でランナーを迎え入れる。
両チームあわせて、26安打、四球は15、残塁は18。
試合時間は、開始から3時間半になろうとしている。
この試合、これだけの乱打戦になりながら、東大和高校の失策は、わずか1。
その失策1も、太陽の視線や、神宮球場特有のバウンドの変化があった、不運な失策。
東大和高校の鍛え抜かれた守備、それを支える精神力が証明された試合でもあった。
その後も、東大和高校のみならず、全都立高校に、いや全国の無名の高校球児に
「やれば、できる」ことを、事実の上で証明してみせた。
最終回も、俊足トップの左打者の一打で、1点を返し、全員野球で、最後まで、執念の戦いに徹する。
全野球部員で、もぎとる、最終回の1点。
攻撃は、さらに続く。
東大和高校の全員野球は終わらない。
真夏の壮絶な決勝戦。
もう、そこには、勝者とそうでない者の、区別を超越した青春の熱き戦いだけががあった。
西東京大会 の決勝 7月28日。
真夏の神宮球場での熱戦は、3時間半にも及んだ。
閉会式にのぞむ両チームの選手は、その短い間だったが、立っているのが精一杯だ。
全身に疲労を覚えた。
15対10の、壮絶な試合だった。
しかし、たった一球、ひとつのプレーが、試合の全体の流れを決定づけた。
まさしく、勝負の一球だった。
この一球が、それぞれの 野球人生、その後の人生に、大きな影響与えた。
苦楽をとどめた、精神的な財産となる一球だった。
母校は、13年ぶりに、夏の甲子園に戻る。
3年生を、抜群のチームワークと若い2年生がつづく。
指導者陣の熱意で鍛えあげたチームだ。
敗れた都立東大和高校の佐藤道輔監督は
「試合の結果は、「準優勝」でしたが、これからの人生で「優勝」してくれることを祈ります」
と、報道陣に応えた。
全員野球の都立東大和高校の分まで、甲子園にでて戦うんだ。
それぞれの、新たな 戦いが始まった。
後記 日大二高 15対10 東大和高校
日大二 041210412 - 15 ☆☆☆
東大和 040200031 - 10
後に、都立東大和高校野球部佐藤道輔監督は著書『続甲子園の心を求めて』(報知新聞社)の中で綴られた。
「決勝は、名門日大二高との勝負であった。
神宮球場に舞台を移し、熾烈な戦いであった。
(中略)この試合 、この時を語る適切な言葉を私は知らない。
それを知るのは、私たちの汗のしみこんだ校庭のグランドの土だけであろう。」
そして
「甲子園の心、それは、豊かな心と、人生の賛歌です。
甲子園の心は、強い意志とやさしい気持ちを併せ持った豊かな心である。
それが青年に宿った時、甲子園の心は豊かな人生になって飛躍する。」
さらに
「国際化が叫ばれる現代社会にあって、私たちはこの地球という星に住む地球人として、世界のあらゆる人々と、共に生きる喜びを求めていかねばならないであろう。
毎日練習に励む高校野球のグランドからも、世界を展望しなければならないであろう。
選手たちは、紛れもなく21世紀を生きる主役なのである。」
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