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小説『君だけの甲子園』(中)

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春大会は、東京のベスト8まで、こぎつけた。

昨年秋も、東京ベスト8。

この壁を破るところから、夏への始動が始まった。

この春から、実質、選手への指導をはじめた、コーチの高山哲は、選手への、細かなアドバイスは控えてきた。

しかし、春大会終了後、全体ミーティーングで、はじめて、詳細な指導を行った。

練習後の、合宿所でのミーティーングルームには、高山哲の妹、陽子がいた。

彼女は、アメリカ・ニューヨークで、スポーツのフィジカルトレーナーをしている。

今週末、中学の友人の結婚式のため、来日していた。

コーチの高山哲は、97名の部員に、まず英語で語りかけた。

「How you think is everything 、全ては思いによって決まる」

「目標<優勝>に対して、強い思いをもつこと。

そして、色々な場面で、その強い思いを言葉に出して、自らに訴えていくことよって

心と体が、そちらに向かって動いていく。

その結果、目標が現実化する可能性を限りなく高めることが出来る」

福田老監督は、選手の後方から、見守りながら、教え子の話を聞いていた。

「自己の思いを、声にあらわし、動作(プレー)につなげていく。

シンプルかもしれないが、これが、己の潜在能力を限りなく、開いていくんだ。」

とコーチの高山哲は、選手ひとり、ひとりに噛んで、ふくめるように伝えていった。

自分の現役時代は、ライバル兄弟高校の、聖橋三高との、夏の決勝戦について、言及した。

ライバル兄弟高校の、聖橋三高との決勝戦、2対0で、高山哲は、三高打線を完封した。

打のほうでも、後に、プロ入りした、聖橋三高のエース佐竹から、3打数3安打を放った。

その時、コーチの高山哲は、「はじめて、ボールが止まって観える体験をした。

無(ゾーン)に入った経験をしたのだ。」

さらに、コーチの高山哲は、選手に語りかけた。

「今と違い、夏大会は、東京1代表の時代だった。

7日間で、6試合の試合日程であった。

すべての試合先発し、ほぼ一人で投げぬいた。

抽選も、3回戦で、その春のセンバツ出場の明田高校、準決勝は、これまた、センバツ出場校荏城高校に延長11回 3対2で、サヨナラ勝ち。

決勝戦は、足首の捻挫、右肩は重く、試合前のキャッチボールは、数メートルしか届かない状態であった。

しかし、自分には、肉体的には、限界を超えても、精神的な、限界を感じなかった。

絶対に、悔いだけは、残したくなかった。

自己のフィーリングに、試合前から、というより、大会前から、聖橋三高に勝てる、優勝できるという、フィーリングがあった」

さらに、

「思いを、声にあらわし、動作(プレー)につなげていく」シンプルではあるが、練習や、試合で、心がけるポイントについて、話した。

「例えば、9回裏ツーアウト満塁、一打 逆転のチャンス。

凡打なら、ゲームセット。

この場面で、ワクワクした気持ちで、打席に立てるか、否かなんだ」

そして

「この最大のチャンスやピンチのときこそ、

How you think is everything 、全ては思いによって決まるのだ」

チーム一丸となって、思いを、声にあらわし、強気なプレー(動作)につなげていくんだ」

 コーチの高山哲の妹・陽子は、兄の話を、後方斜めの席で、じっと、優しい眼差しで、聞いていた。

コーチの高山哲は、さらに、自身の夏、甲子園大会の話を続けた。

「初戦は、センバツ大会の優勝高校の三田商業だった。エース平田は、その後プロ野球でも、エースになった。センバツ優勝高校との、エース同士の投げあいになる。

しかし、東京予選、準決勝の際に、捻挫した足首痛のため、開会式はでれなかった。

満身創痍で、センバツ優勝高校の、開会式の当日、三田商業との勝負となった。

だれしも、センバツ優勝高校の三田商業、平田投手の勝ちを疑わなかった。

しかし、

私たちは、センバツ優勝校、三田商業を、4対0で、完封勝利した。」

そして

「なぜ、激戦区東京、強豪聖橋三高、センバツ優勝高校の、三田商業を、連続完封できたのか。

それは・・・・」

と、コーチの高山哲は、選手ひとり、ひとりに、話をかけていった。

さらに、妹の陽子に手伝ってもらい、ジュースの試飲通じて、人間の感覚が

いかに、あてにならないものか、実験して見せた。

「How you think is everything 、全ては思いによって決まる」

聖橋二高の97名の部員たちは、コーチの高山哲の話を聞きながら、誰もが、心に生じた、たしかな変化を感じとった。

それは、28年、優勝から遠ざかっていた聖橋二高野球部員が

勝ちたい優勝したいから、勝てる、優勝できる」への、たしかな心の変化だった。

つづく

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小説『君だけの甲子園』(上)

「久しぶりだな、高山」
老監督の福田は、高山哲に声をかけた。

冬の寒いグランドの前で、二人きりの対面であった。
 高山は、聖橋ニ高のOBで、高三の夏に、甲子園も経験している。
甲子園では、春の覇者である三田商業に完封勝ちした。エースであった高山は、その後、大学に進み、東都大学野球でも活躍した。
ドラフトの指名を受けたが、プロには行かず、一人渡米した。チームメイトには、謎の渡米だった。そんな高山哲が、30年ぶりに、母校に英語科の講師として帰って来たのだ。
高山は、恩師の福田に、
「福田監督、また、おせわになります。」と短く挨拶した。

高山哲は、高校3年夏、甲子園にエースとし活躍した。東京大会と、春の覇者の三田商業のエース平田と投げ合い、連続完封する。 聖橋ニ高に高山あり、とマスコミが書き立てた。
しかし、高山は甲子園の勝利から、徐々に、野球への情熱がなくなっていく、自分を感じていた。大学野球でも、東都大学リーグで優勝にも貢献した。プロも注目する。しかし、高山の心のなかは、野球そのものを客観視して、醒めていた。 その後、高山の人生の新たな方向決定づける出来事が起こった。

高山は、大学野球生活を終えた年の出来事が一大転機となる。
知人の紹介で、百貨店の仕事のアルバイトをした。
短期のアルバイトだけれど、野球とは違った神経を使うようで、楽しく衣料品売り場のアシスタントをつとめる。
その時、外国人の夫妻に、高山は声をかけられた。
「エクスキューズミー・〜」と高山に、何か 尋ねてくる。
何度か、その外国人夫妻は、質問を繰り返した。しかし、高山は、英語の意味がわからない。
売り場を離れ、そして、すぐに、通訳をよんだ。

通訳はニッコリ笑みを浮かべ答えた。

「トイレは真っ直ぐいって右側の角です」と英語で伝えた。
外国人夫妻は、高山にトイレの場所がどこかを聞いていたのだ。
高山は、ショックだった。中高大学とすくなからずも、英語には,それなりに自信があった。それなのに、あの外国人夫妻の質問の意味がわからなかったこと。
野球で負けるより、高山には、ジーンとこたえた。

「トイレはどこですか?」海外夫妻の短いフレーズを高山は聞き取れなかった。
その瞬間、高山の心のそこにあったある価値感が噴出してきた。

「アメリカに行きたい」
日本だけの価値観、野球だけの価値観ではない何かを感じてみたい。

進路は、周囲も不可解なノンブロかプロかという選択肢ではない、第三の道を高山は選んだ。

高山は、ロサンゼルスに在住する東都大学リーグの先輩、正田秋雄に手紙を書いた。

お金は無かったが、一人て゛アメリカ・ロサンゼルスの飛行機に乗り飛び立った。

「空は 果てしないのか」
高山は、ロサンゼルスに向かう飛行機のなかでつぶやいた。
日本を初めて離れた。
今まで、甲子園、そして神宮球場と学生野球の聖地と呼ばれる場所でプレイしてきた。
このまま、プロかノンブロの道もあった。
ただ高山には、野球以外の世界を、今感じてみたい願望があった。
なぜ、それが、今でなくては、いけないのか。
贅沢すぎないか、周囲も困惑した。
「アメリカに行けば何かをつかめる」

高山には、根拠のない確信だけが頼りだった。

「高山、お前、野球やってること、凄いと思ってるんじゃない・・」
大学のクラスの親友古島博文が高山に声をかけた。
古島は、授業とアルバイトの両立、学校の休みの間は、世界を旅する学生だった。
「世界を旅してみて、高山が野球やることで変な優越感もつのって、おかしいと俺は感じる」

「へんな優越感?」

「そう、野球やってるて特別なことなんかあるわけないじゃん」

高山には、古島の真意を理解するのに、すこしだけ時間がかかった。

ロサンゼルス空港で、東都大学リーグの先輩である正田秋雄と待ち合わせた。

空港のロビーで、正田は、ひとりで迎えてくれた。

 正田だけが、今回の一見、無謀とも言える高山の挑戦を唯一認めてくれた。

「哲、 元気そうだな 」

「 ようやく、ロサンゼルスに来れました」

空港内のレストランで、モーニングを食べた。

時差ぼけは、気にならなかった。

 正田から、今後の生活のためのアドバイスを受けた。

「アメリカで、生きるには」

 高山の、新たな挑戦の一歩が始った。

    

「高山、今、アメリカで、何を、どうしたいんだ」

単刀直入に、正田は高山にたずねた。

高山は、深く呼吸をしながり、言葉を選ぶように語りだした。

「正田先輩、自分は日本にいて、そして、驚いたことがあります。。
アメリカという国には、履歴書に、生年月日を書く欄がない。
仕事に定年もない。

そんな
実力の年齢が問われ国で、自分は勝負したいと思ったんです。」

サウスポーの高山は、左手で髪をかきわけながら、先輩の正田に、本心を打ち明けた。

「高山、カージナルスの入団テストを受けてみないか?」
大リーグのカージナルス広報担当を務める正田が、高山に語りかけた。

「自分がですか?」

「そうだ。段取りは、俺がする。今まで、積み上げてきたものを、思いっきり試してごらん。」

高山の瞳をじっと見ながら、正田は ゆっくりと伝えた。

高山は、自分の左の握りこぶしを見ながら、自分の気持ちを確かめるのだった。(

高山は、正田の紹介で、カリフォルニア州立大学でトレーニングを開始した。

来るべき、カージナルスの入団テストを受けるためだ。

カリフォルニア州立大のベースボールククラブの練習に参加した。

日本と違い、ウォーミングアップも、バラバラにに行う。

いちばん驚いたのは、練習時間の短さだった。

 高山は、日本で、やらされている練習がしみついているのを感じた。

アメリカで真っ先に感じたのは、自ら主体的に行う野球だった。

アメリカとベースボールの狭間で、高山はもういちど、野球への情熱が蘇ってきた。

カリフォルニア州立大学のベースボールクラブの学生は、練習の合間に本を読んでいた。

一人の学生は、スポーツ心理学の本を読んでいた。

「スポーツ心理学?」

「なに、それっ!?」

高山哲は、いままで、日本で根性主義の野球をやったことしかなかった。

 グランドで実践する以上に、このキャンバスでスポーツ心理学を学んでみたいという

衝動に駆られた。

「痛いっ」

カージナルスの入団テストの、最終テストで高山は燃え尽きた。

大学野球の秋のリーグ戦で痛めた、左肘が痛んだ。

大リーグに入団できなかったものの、高山には悔いはなかった。

ここまで取り計らってくれた カージナルスの広報担当の正田に

「正田先輩、ありがとうございました」

と一言伝えた。

「これから、どうする?」

と正田は、高山の目を見ながら 声をかけた。

「アメリカに残って、学びたいものを見つけたんです」

「 学びたいもの?」

「そうです!」

高山の目は、敗者の目ではなかった。

アメリカの地で、生き残るための高山の新たな戦いが始まった。

 仕事を探すにも、英語が出来ない高山を、採用してくれる会社は見つからなかった。

アメリカ全土も、不景気の波のおそわれていた。

そんな時、< 皿洗い募集 >

小さなレストランの入り口に張ってあった、小さなポスターを、高山は見つけた。

マスターに頼み、高山は、レストランの皿洗いとして、採用された。

「 皿洗いができる」

アメリカの地で、高山の皿洗いの仕事が始まった。

アメリカの社会では、最底辺の仕事かもしれない。

しかし、高山は、皿洗いの仕事を通じて、自分に自信をつけていった。

どうやったら、効率よく、きれいに洗えるか、ふき取れるか、考えながら仕事をしていった。

レストランのマスターに気に入ってもらい、様々な配慮をしてもらった。

2年後、高山は ロサンゼルス州立大学に編入した。

そこで、スポーツ心理学を専攻し、学んだ。

高山は、皿洗いの仕事と、スポーツ心理学の授業の両立に挑戦しぬいた。

研究論文 「スピリットと気について」は、全米に大学で、とても高い評価を受けた。

 欧米の科学に基づいたメンタルのトレーニングと、東洋の気を融合させたメソッドを、高山は

論文で書き上げた。

 皿洗いをしながら、高山は論文を書き上げた。

高山にとって、この出来事は、日本で経験した野球、なかんずく甲子園の体験に劣らない、

いやそれ以上の原点になる出来事だった。

その高山が、24年ぶりに、日本に帰国する。

そして、母校 聖橋二高の 英語の講師として戻ってきた。

さらに、臨時野球部のコーチ就任する。

内野の涌井には、

「なぜ、好プレーができたのか、その成功要因を、常に深く考えるクセが大事だぞ。

失敗エラーの反省よりも、負け試合の反省会よりも、成功の反省会、なぜ成功したかを考えるんだ。

負け試合の中にでも、これからに繋がるブラスの要因が必ずある。

成功イメージだけの成功の反省日誌は 、成功を一過性の成功でなく、再現性のある成功へと進化させることが出来るんだ」

高山は、選手ひとり、ひとりに、『成功事例だけを書く〜成功の反省会日誌』を全員にすすめたが、強制はしなかった。あくまで選手の自発的行動を大切にした。

「なぜ右利きなんだ?」

高山は、控え捕手の相田に声をかけた。

「小さいころから、右腕使っているんで・・・」

「そうだ、相田君が右利きなのは、小さなころからの習慣、クセなんだ。

ところで、考え方にもクセがでてくる 」

「 考え方も、クセでえすか?」

「そうなんだ。自分の考え方も、クセになっている。

物事の事実はひとつであっても、解釈は2つある。

プラスにとるか、マイナスにみるか。

自然とクセになって、マイナスのトレーニング、考え方をしてしまっているケースがあるんだよ。

それを、プラスに変える習慣を、クセをあせらずにつけていくんだ」

相田は、高山の目を見てうなづいた。

「 高山コーチ、すいません・・・」

3月の紅白戦の最中、トンネルのエラーをしたショートの中村が、ベンチに戻ってくるや否や

高山に帽子をとって謝った。

「中村君、俺に謝ることなんかないよ。

コーチにやらせれている野球じゃないぞ。

試合中にエラーの反省は、しなくていい。

試合中にエラーの反省会をするのは、おかしいぞ。

「反省は しなくていい?」

ショートの中村は、エラーからの心の中で切り替えができ、大きな声で返事をした。

高山の話は、聖橋二高野球部員に、スポンジの水をすうがごとく

吸収されていった。

聖橋二高の選手の気持ちが、昨年の夏や秋より、徐々に逞しいものになりつつあった。

 いよいよ、東京の春季大会の組み合わせが決まった。

春の球春とともに、聖橋二高野球部のあらたな挑戦がはじまっていた。

選手の心は、熱く燃えていた。

<つづく>

小説『もうひとつの甲子園』16

「収穫の多い、春大会だった」

 聖橋二高は、春季大会 ベスト32で敗れた。

選抜大会出場したばかりの新田高校に、3対5で惜敗した。

昨年の春、ベスト4で負けたときよりも、選手は悔しさを滲ませた。

試合の4日後はじめて、選手の前で、コーチの高山哲は、新田戦と春季大会について、口を開いた。

「今大会は、主戦投手とそれ以外の投手、主軸の打者以外の活躍が目立った大会だった。主軸打者も試合の中で感覚が戻ってきた。

聖橋二高の課題であった、準レギュラーのクラスの底上げができた大会だった」

この春の大会は、背番号が2ケタの選手の活躍が一際目だった。

背番号は2ケタでも、堂々としたプレーをアピールした。

コーチの高山哲は、続けて話した。

「今年は、選手一人ひとりが、甲子園の雰囲気を持っているぞ!」

「スタンドの応援も、よかった。3年生を中心に、気持ちが入っていた。

気持ちの面では、新田高校に5対3で勝っていたぞ。」

さらに、技術面では、

「外野の守備も、練習の成果がでていた。

レフトのファールフライは、ブルペンのマウンドに、つまづいても、ボールを放さなかった。

センターの大飛球を、好捕した。ライトも、まぶしい中、いい守備位置を取り続けた」

「 ベンチの選手からの、声も動作も、よく野手に届いていた」

うつむきかげんだった選手の顔をあがってきた。

「何より、試合ごとに、バットが振れてきていた」

「バントも、相手が極端なバントシフトしいてくるのに、うまいところを転がしていたぞ」

「とくに、今日はコーチャーの指示が的確だった」

コーチの高山哲から次々とポジティブな言葉が出てきた。

「夏は、総力戦の戦いになるぞ。

レギュラーも、準レギュラーも、サポート選手も、マネジャーも、カウントをゼロにもどして

夏に向けて、新たな気持ちでスタートしていこう。」

 選手の「はい!」と胸を張ってこたえた。

聖橋二高の夏への向けての戦いが始まった。

(つづく)

小説『もうひとつの甲子園』15

「 高山コーチ、すいません・・・」

3月の紅白戦の最中、トンネルのエラーをしたショートの中村が、ベンチに戻ってくるや否や

高山に帽子をとって謝った。

「中村君、俺に謝ることなんかないよ。

コーチにやらせれている野球じゃないぞ。

試合中にエラーの反省は、しなくていい。

試合中にエラーの反省会をするのは、おかしいぞ。

いや、反省会は 現役選手を引退してからで、いいよ。

それよりも、今のエラー、中村君のせい、自分のせいでないと割りきるんだ」

「エラーは、自分のせいでない?とですか!」

「そうだ、今のエラーは、自分以外の理由づけ、バウンドがすこしかわったとか、

アンラッキーな面があったとか、こじつけてもいいから、自分以外にせいにするのがポイントだ。どんなときでも、自分のプレーを信じ、揺るがないものにするんだ。

エラーだって、今のはエラーじゃないと認識を変えて、、自分で言い聞かせていいんだ。」

中村は、エラーは自分のいたらなさと試合中に思い、下向きかげんだった。

しかし高山の エラー、ミスの際の、心の切り替え方を聞き、胸をはり、前を見つめた。

「中村君、エラーは楽しい。だって、このエラーをきっかけに、基本に戻り、もっと練習し、うまくなっていけば、このエラーは、実に楽しいじゃないか。」

「はい!」

ショートの中村は、エラーからの心の中で切り替えができ、大きな声で返事をした。

高山のスポーツ心理学は、聖橋二高野球部の選手に、スポンジの水をすうがごとく

吸収されていった。

聖橋二高の選手の気持ちが、昨年の夏や秋より、徐々に逞しいものになりつつあった。

 いよいよ、東京の春季大会の組み合わせが決まった。

春の球春とともに、聖橋二高野球部のあらたな挑戦がはじまっていた。

選手の心は、熱く燃えていた。

つづく

http://www.youtube.com/watch?v=Sz29T3oLRr4&feature=related

小説『もうひとつの甲子園』14

「なぜ右利きなんだ?」

高山は、控え捕手の相田に声をかけた。

「小さいころから、右腕使っているんで・・・」

「そうだ、相田君が右利きなのは、小さなころからの習慣、クセなんだ。

ところで、考え方にもクセがでてくる 」

「 考え方も、クセでえすか?」

「そうなんだ。自分の考え方も、クセになっている。

物事の事実はひとつであっても、解釈は2つある。

プラスにとるか、マイナスにみるか。

自然とクセになって、マイナスのトレーニング、考え方をしてしまっているケースがあるんだよ。

それを、プラスに変える習慣を、クセをあせらずにつけていくんだ」

「どうすればいいんですか?」

「 それは、焦らないでいこう、相田君 。

すこしづつ、トレーニングしていこう!

自分が、今まで学んできたスポーツ心理学を、徐々に伝えていくから」

相田は、高山の目を見てうなづいた。

小説『もうひとつの甲子園』13

「 特別なんかないぞ 」

高山は、聖橋二高の野球部の練習に、24年ぶりに参加した。

まずは、ブルペンにいき、投手陣の岸に声をかけた。

岸は、抑えの投手としてマウンドに立つ機会が多い。

「特別な相手、特別なチーム、特別な試合、 特別な・・・・・」

「特別は、自分で作ったら、固くなるた゛けだ。特別は錯覚なんだ。みんな、同じ人間だし、フツウの高校生なんだ。

勝手に自分だけで、特別なをつくらない。相手の投手が、球速140キロ以上投げようが、隣の投手が球速何キロ投げようが、

そんなの関係ないんだ。 

岸君らしく、投げ抜いて、抑え切ればいいだけなんだ」

さらに

4番を打つ 佐藤に声をかけた

「プレッシャーは、楽しい」

「 4番として、常にプレッシャーがかかるかもしれない。チャンスに打てなくて、苦しい時もあるだろう。

けれど、佐藤君は、このプレッシャーのなかでこそ、君のバッティングは進化し、上手くなる。

そう思えば、4番のプレッシャーは楽しいじゃないか」

高山は、選手、ひとり、ひとりに声をかけていった。

内野の涌井には、

「なぜ、好プレーができたのか、その成功要因を、常に深く考えるクセが大事だぞ。

失敗エラーの反省よりも、負け試合の反省会よりも、成功の反省会、なぜ成功したかを考えるんだ。

負け試合の中にでも、これからに繋がるブラスの 要因が必ずある。

成功イメージだけの成功の反省日誌は 、成功を一過性の成功でなく、再現性のある成功へと進化させることが出来るんだ」

高山は、選手ひとり、ひとりに、『成功事例だけを書く〜成功の反省会日誌』を全員にすすめたが、強制はしなかった。あくまで選手の自発的行動を大切にした。

さらに、

「やらされる野球では、つまらないよ。

野球は、自ら やるんだよ。

聖橋二高でや野球をすることだって、君たち自身が選んだ決めたんだ。

すごいことだぞ。

監督やコーチからやらされる野球から、自らやる野球へ。

少年野球時代を思いだしてごらん。

野球を真剣に楽しむ。

真剣に楽しめれば、そこの緊張や、硬くなったりしないし、信じられない集中力がでる。」

高山は、気さくに レギュラーも、そうでない選手にも声をかけていった。

(つづく)

小説『もうひとつの甲子園』12

「 皿洗いができる」

アメリカの地で、高山の皿洗いの仕事が始まった。

アメリカの社会では、最底辺の仕事かもしれない。

しかし、高山は、皿洗いの仕事を通じて、自分に自信をつけていった。

どうやったら、効率よく、きれいに洗えるか、ふき取れるか、考えながら仕事をしていった。

レストランのマスターに気に入ってもらい、様々な配慮をしてもらった。

2年後、高山は ロサンゼルス州立大学に編入した。

そこで、スポーツ心理学を専攻し、学んだ。

高山は、皿洗いの仕事と、スポーツ心理学の授業の両立に挑戦しぬいた。

研究論文 「スピリットと気について」は、全米に大学で、とても高い評価を受けた。

 欧米の科学に基づいたメンタルのトレーニングと、東洋の気を融合させたメソッドを、高山は

論文で書き上げた。

 皿洗いをしながら、高山は論文を書き上げた。

高山にとって、この出来事は、日本で経験した野球、なかんずく甲子園の体験に劣らない、

いやそれ以上の原点になる出来事だった。

その高山が、24年ぶりに、日本に帰国する。

そして、母校 聖橋二高の 英語の講師として戻ってきた。

さらに、臨時野球部のコーチ就任する。

(つづく)

小説『もうひとつの甲子園』11

「痛いっ」

カージナルスの入団テストの、最終テストで高山は燃え尽きた。

大学野球の秋のリーグ戦で痛めた、左肘が痛んだ。

大リーグに入団できなかったものの、高山には悔いはなかった。

ここまで取り計らってくれた カージナルスの広報担当の正田に

「正田先輩、ありがとうございました」

と一言伝えた。

「これから、どうする?」

と正田は、高山の目を見ながら 声をかけた。

「アメリカに残って、学びたいものを見つけたんです」

「 学びたいもの?」

「そうです!」

高山の目は、敗者の目ではなかった。

アメリカの地で、生き残るための高山の新たな戦いが始まった。

 仕事を探すにも、英語が出来ない高山を、採用してくれる会社は見つからなかった。

アメリカ全土も、不景気の波のおそわれていた。

そんな時、< 皿洗い募集 >

小さなレストランの入り口に張ってあった、小さなポスターを、高山は見つけた。

マスターに頼み、高山は、レストランの皿洗いとして、採用された。

(つづく)

小説『もうひとつの甲子園』10

カリフォルニア州立大学のベースボールクラブの学生は、練習の合間に本を読んでいた。

一人の学生は、スポーツ心理学の本を読んでいた。

「スポーツ心理学?」

「なに、それっ!?」

高山哲は、いままで、日本で根性主義の野球をやったことしかなかった。

 グランドで実践する以上に、このキャンバスでスポーツ心理学を学んでみたいという

衝動に駆られた。

(つづく)

小説『もうひとつの甲子園』9

高山は、正田の紹介で、カリフォルニア州立大学でトレーニングを開始した。

来るべき、カージナルスの入団テストを受けるためだ。

カリフォルニア州立大のベースボールククラブの練習に参加した。

日本と違い、ウォーミングアップも、バラバラにに行う。

いちばん驚いたのは、練習時間の短さだった。

 高山は、日本で、やらされている練習がしみついているのを感じた。

アメリカで真っ先に感じたのは、自ら主体的に行う野球だった。

アメリカとベースボールの狭間で、高山はもういちど、野球への情熱が蘇ってきた。

http://www.youtube.com/watch?v=HbBhfi1v5oI&feature=related

小説『もうひとつの甲子園』8

「高山、カージナルスの入団テストを受けてみないか?」
大リーグのカージナルス広報担当を務める正田が、高山に語りかけた。

「自分がですか?」

「そうだ。段取りは、俺がする。今まで、積み上げてきたものを、思いっきり試してごらん。」

高山の瞳をじっと見ながら、正田は ゆっくりと伝えた。

高山は、自分の左の握りこぶしを見ながら、自分の気持ちを確かめるのだった。(つづく)

小説『もうひとつの甲子園』7

「高山、今、アメリカで、何を、どうしたいんだ」

単刀直入に、正田は高山にたずねた。

高山は、深く呼吸をしながり、言葉を選ぶように語りだした。

「正田先輩、自分は日本にいて、そして、驚いたことがあります。。
アメリカという国には、履歴書に、生年月日を書く欄がない。
仕事に定年もない。

そんな
実力の年齢が問われ国で、自分は勝負したいと思ったんです。」

サウスポーの高山は、左手で髪をかきわけながら、先輩の正田に、本心を打ち明けた。

(つづく)

小説『もうひとつの甲子園』6

 ロサンゼルス空港で、東都大学リーグの先輩である正田秋雄と待ち合わせた。

空港のロビーで、正田は、ひとりで迎えてくれた。

 正田だけが、今回の一見、無謀とも言える高山の挑戦を唯一認めてくれた。

「哲、 元気そうだな 」

「 ようやく、ロサンゼルスに来れました」

空港内のレストランで、モーニングを食べた。

時差ぼけは、気にならなかった。

 正田から、今後の生活のためのアドバイスを受けた。

「アメリカで、生きるには」

 高山の、新たな挑戦の一歩が始った。

    (つづく)

小説『もうひとつの甲子園』5

「空は 果てしないのか」
高山は、ロサンゼルスに向かう飛行機のなかでつぶやいた。
日本を初めて離れた。
今まで、甲子園、そして神宮球場と学生野球の聖地と呼ばれる場所でプレイしてきた。
このまま、プロかノンブロの道もあった。
ただ高山には、野球以外の世界を、今感じてみたい願望があった。
なぜ、それが、今でなくては、いけないのか。
贅沢すぎないか、周囲も困惑した。
「アメリカに行けば何かをつかめる」

高山には、根拠のない確信だけが頼りだった。
(つづく)

小説『もうひとつの甲子園』4

「トイレはどこですか?」海外夫妻の短いフレーズを高山は聞き取れなかった。
その瞬間、高山の心のそこにあったある価値感が噴出してきた。

「アメリカに行きたい」
日本だけの価値観、野球だけの価値観ではない何かを感じてみたい。

進路は、周囲も不可解なノンブロかプロかという選択肢ではない、第三の道を高山は選んだ。

高山は、ロサンゼルスに在住する東都大学リーグの先輩、正田秋雄に手紙を書いた。

お金は無かったが、一人て゛アメリカ・ロサンゼルスの飛行機に乗り飛び立った。(つづく)

小説『もうひとつの甲子園』3

高山は、大学野球生活を終えた年の出来事が一大転機となる。
知人の紹介で、百貨店の仕事のアルバイトをした。
短期のアルバイトだけれど、野球とは違った神経を使うようで、楽しく衣料品売り場のアシスタントをつとめる。
その時、外国人の夫妻に、高山は声をかけられた。
「エクスキューズミー・〜」と高山に、何か 尋ねてくる。
何度か、その外国人夫妻は、質問を繰り返した。しかし、高山は、英語の意味がわからない。
売り場を離れ、そして、すぐに、通訳をよんだ。

通訳はニッコリ笑みを浮かべ答えた。

「トイレは真っ直ぐいって右側の角です」と英語で伝えた。
外国人夫妻は、高山にトイレの場所がどこかを聞いていたのだ。
高山は、ショックだった。中高大学とすくなからずも、英語には,それなりに自信があった。それなのに、あの外国人夫妻の質問の意味がわからなかったこと。
野球で負けるより、高山には、ジーンとこたえた。(つづく)

小説『もうひとつの甲子園』2

高山哲は、高校3年夏、甲子園にエースとし活躍した。東京大会と、春の覇者の三田商業のエース平田と投げ合い、連続完封する。 聖橋ニ高に高山あり、とマスコミが書き立てた。
しかし、高山は甲子園の勝利から、徐々に、野球への情熱がなくなっていく、自分を感じていた。大学野球でも、東都大学リーグで優勝にも貢献した。プロも注目する。しかし、高山の心のなかは、野球そのものを客観視して、醒めていた。 その後、高山の人生の新たな方向決定づける出来事が起こった。(つづく)

小説『もうひとつの甲子園』

「久しぶりだな、高山」
老監督の福田は、高山哲に声をかけた。

冬の寒いグランドの前で、二人きりの対面であった。
 高山は、聖橋ニ高のOBで、高三の夏に、甲子園も経験している。
甲子園では、春の覇者である三田商業に完封勝ちした。エースであった高山は、その後、大学に進み、東都大学野球でも活躍した。
ドラフトの指名を受けたが、プロには行かず、一人渡米した。チームメイトには、謎の渡米だった。そんな高山哲が、30年ぶりに、母校に英語科の講師として帰って来たのだ。
高山は、恩師の福田に、
「福田監督、また、おせわになります。」と短く挨拶した。(つづく)

小説『ぼくたちの甲子園』<32>

 「おじさん、ごめんなさい。」

西東京の準決勝で、逆転サヨナラ負けを喫した聖橋二高野球部の3年生小林正一は、拳を握りしめ、泣きながら叫んだ。

「僕のせいで、負けちゃいました」

 少年野球時代の監督 古田孝男の家を、決勝を終えての夜、彼は、ひとりで訪ねていった.

小林は、小学校4年生になる春休みに、両親が離婚して、父親は家に不在だった。

 小林にとって、少年野球時代の監督 古田孝男は、野球の監督であり、父親ような存在でもあった。

 少年野球時代の監督 古田孝男は、小林の涙いっぱいの目を見て、彼を包み込むようにして語った。

「おじさんは、昨年大病してしまった。

今日の準決勝の試合には、神宮球場に直接応援にいけなかった。

テレビで応援させてもらったよ。

 敗れはしたけれど、聖橋二高の戦いぶりは、見事だった。

直接、球場で応援した人も、テレビで応援してくれた人たちも、感動の渦に巻き込まれたと思います。

 小林君の体に、何かアクシデントが起こっているのは、テレビを見ながらでも、おじさんにはわかっていたよ。

そりゃ、そうさ、 小学校2年生から、小林君のピッチングをずっと見ているんだから。

それでも、小林君は、最終回、あのプレッシャーの中で、逃げずに、向かって、気持ちで

投げ込んでいった。

 9回の最後に打たれた球も、内角低めの伸びのある、一番いい球だった。

その勝負の一球を、聖橋学園の打者が、見事にとらえた。」

ここまで、古田孝雄の話を聞いて、小林正一は、ほんの少しだけ、冷静になれた。

 「小林君、おじさんも、今日の試合の結果は、ほんとうに悔しい。

でも、小林君、この夏の勝ちも、負けも すべて受け入れようじゃないか。

あの一球も、この一球も、すべて 受け入れてみようじゃないか。

 小林君、これからの君の長い人生には、今日のような、悔しい、不本意な事がいっぱいあると思います。

ただ、おじさんの経験から言えば、今は、わからなくても、

少しだけ長い目で見た時、今日のことが、小林君の野球人生、そして今後の人生の糧となると思います。

 小林君は、この夏の大会、激戦の勝負を超えて、間違いなく成長し、強くなった。

 小林君が、7回裏から、懸命に投げる、その姿を、テレビで見て、おじさんは、涙が止まらなかった。

おじさんには、目先の勝ち負けは、関係ない。

 小林君が、今まで、逆境に負けず、投げぬいた。

最後まで戦い抜いた、強くなった、その姿が大勝利とおじさんにの目には映ったんだ。

 ありがとう、小林君。

そして、聖橋二高野球部の選手、そして偉大な3年生。

3年生たちが、この先が甲子園という

確かな道筋を、身をもって、示してくれたんです。

 聖橋二高野球部の新しい歴史、土台・基礎をつくってくれた。

その土台、基礎の上に、後輩たちが 必ず新たな勝利の歴史を切り開いてくれるはずです。」

下を向いていた小林の顔が、前方を見つめなおした。

「3年生は、これからは、いよいよ、それぞれの人生の甲子園、それぞれ別の目標に進む時が来たんだね」

「これで終わりではなく、これからが、ほんとうの勝負です」

「さあ、もう泣かないで」

といった、少年野球時代の監督 古田孝男の両目にも涙があふれていた。

 この日を境に、3年生の小林正一と、2年生・1年生の聖橋二高野球部の新しい歴史が、いよいよ始まった。

小林正一は、少年野球時代の監督 古田孝男の顔を見て、

ゆっくりとうなずいた。

 翌日、午前九時 立川グランドで、新チームの練習が始まった。

 翌々日、神宮球場での西東京の決勝は、聖橋学園が、大差で 東実を破り、甲子園出場を決めた。

 結果的には、聖橋二高と兄弟校・聖橋学園の準決勝が、事実上の決勝戦となった。

  

      今度こそ、頂点へ。

 聖橋二高野球部のあらたな挑戦が始まった。

「ひとつの扉が閉じたときは、もうひとつの扉が開くものだ」

                            (クリスティーナ・ホール)

小説『ぼくたちの甲子園』( 完 )

http://jp.youtube.com/watch?v=H09SpfPJ5z8

 

小説『ぼくたちの甲子園』<31>

「 小林君、ツーアウト ツーアウト」 

 西東京の準決勝、第二試合、聖橋二高の三塁側ベンチで、記録員斉藤恵美が、スコアーブックをつけながら、投手の小林正一に声をかける。

記録員で女子マネジャー斉藤恵美は、聖橋二高野球部史上、はじめて夏の大会、女子記録員としてベンチ入りした。

 大会前の激励会で、女子マネージャーの代表として

「わたしたち3年生にとって最後の夏です。

先輩達の雪辱も果たすべく、「粘って勝つ」私たちの野球で、長い間眠っていた伝統をよみがえらせます。

目指すは、全国制覇です」

と堂々と、学校関係者の前で述べた。

 準決勝には、背番号18の3年生 小林正一は3番手として登板した。

先発は、3年生の背番号1、織田通雅が登板する。

準決勝は、聖橋二高は、継投で守りのリズムをつくる。

二番手の左腕、背番号10の木村裕也が、4回から聖橋学園の意表をついて、二番手として登板した。

今年の公式戦、初登板だった。

 3年間の集大成、絶妙なピッチングで、聖橋学園の強打者を翻弄しむかえた。

そして、7回に、頼みのもう一人の3年生エース、小林正一に、マウンドを譲った。

「小林、後は、頼んだぞ」

マウンドからベンチに向かう、3年生投手の背番号10、木村裕也に、球場の観客から、あふれんばかりの拍手が沸き起こった。

 9回裏を終わって、4対3で、聖橋二高が、兄弟校の聖橋学園をリードする。

今大会を通じて、攻撃面では、3年生の背番号13、三塁コーチャー青木真一の目に見えない好判断、ファインプレーなどで、着実に得点を重ねてきた。

  ブルペンからも、背番号19の控え捕手の、3年生の五田駿一が、小林に声をかける。

準決勝までの、試合前のノック。

ボール回しでは、

彼の、二塁ベースへ突き刺さる、矢のようなスローイングが、常にチームを勢いづけてきた。

彼の姿そのものが、後輩たちの手本になった。

ツーアウト満塁、 ワンストライク ツーボールから、小林が投じた、自信を持って投げたストレート。

それは内角低め、3年間の中で、いちばんいいボールだった。

しかし、聖橋学園打者の 一振りが、小林の決め球をとらえた。

ボールは、レフトのライン際へ、転々と転がる。

「ウォー! 」

と神宮球場の観客の声が、球場いっぱいにこだまする。

 4対5×、聖橋学園の逆転サヨナラのランナーが、両手を上げホームインする。

聖橋二高の選手が、それぞれの場所でがっくり膝まづく。

「これも、野球なんじゃ 」

老監督福田慶次が、ベンチから、選手に声をかけた。

この瞬間、聖橋二高野球部の熱い夏が終わった。

つづく

 http://jp.youtube.com/watch?v=Gy8Evni69Q8&feature=related

小説『ぼくたちの甲子園』<30>

「ツキがあるんじゃ」

老監督福田慶次は、今大会の中で、ひとりベンチの中で感じていた。

 今まで、各試合ごとに、ラッキーボーイが現われ、試合をつくってきた。

強いて言えば、準々決勝は、想定外な試合だった。

主戦投手が、調子がよすぎるのと、相手エースへの対抗心もあり、5回までにオーバーペースになってしまった。

けれど「これも、選手達には、いい経験になったんじゃ」

 合宿所にもどり、バッテリーミーティングで切りかえができた。

 老監督福田慶次は、元気のある選手、そして その日、ツキを感じられる選手を

スタメンに起用した。

 今日の準決勝、7番レフトに、背番号17で、3年生の近田純一を、起用した。

あえて、守備範囲の広い、近田をレフトに、初回から送り込んだ。

足もあり、守備範囲の広さを見込んでの初スタメンだ。

 試合開始のサイレンがなった。

スタンドから「カッセ、カッセ 二高! カッセ カッセ 田宮!!」

 聖橋二高の初回の攻撃が始まった。

「100球までが、勝負なんじゃ 」

 老監督福田慶次は、ベンチの中で、ひとりつぶやいた。

つづく

小説『ぼくたちの甲子園』<29>

「スコアラーに任せるんじゃ」

老監督福田慶次は、準決勝第一試合、聖橋三高対東実の試合のことは

すべて、3年生のスコアラーに任せて、目前の今の戦いである準決勝第二試合に、集中するように選手に伝えた。

「準決勝、第一試合は、どこか遠い、試合とおもっていればいい」

それより、第二試合のアップから、試合までのリズムを、大切にするよう

選手に再度、伝えた。

「立ち上がりから4回までで、勝負リズムをつくるんじゃ」

明日の対戦相手、兄弟校のエース山田投手も、連投で決して本調子といえなかった。

「条件は、同じなんじゃ」

老監督福田慶次は、全選手に伝えた。

さらに

聖橋二高の野球部で、言い伝えられてきた

「真の努力の歴史は、嘘をつかない」

「勝利とは、真の努力の経過である」を

老監督福田慶次を繰り返して選手に伝えた。

「いままで聖橋二高野球部が培ってきた真の努力の歴史、先輩たちの分まで、練習の量と質が、試されるんじゃ」

と、微笑みながら、全選手に語りかけた。

いよいよ リベンジ、魂の準決勝の朝が来た。

つづく

 

小説『ぼくたちの甲子園』<28>

「おおきなジェスチャーと、声を掛け合って」

コーチの指田泰雄が選手に告げた。

準決勝を翌日に控え、夜のミーティングで確認した。

準決勝からは、スタンドの応援も、多くなり、観衆の声で、選手間の声が通じなくなる。

 大きな動作で、選手間のコミュニケーションを、とることを、今まで教えてきた。

 「内野と外野の間のフライは、手を上げて、どちらが補給するか声をかけあう事」

今大会から、はじめて助監督としてベンチに入り、指田泰雄が、確認した。

「外野のサングラスはどうする」という指田の質問に、外野のメンバーは

「状況みて、決めます」と答えた。

神宮第二球場と、神宮第一球場のグランドの条件もさらに、確認しあった。

 主将の新田は、大会に入り、日増しに調子を上げていた。

「明日は、先輩達のリベンジでもあるんだ」

 新田の心には、2年前の先輩達の雪辱を果たすべく、戦いでもあると認識していた。

大会を通じて、新田は、攻守巧打に活躍し、チームをリードする信頼されるキャプテンへと成長していった。

つづく

小説『ぼくたちの甲子園』<27>

「内と外が、はっきりしてるんじゃ」

老監督福田慶次は、明日の準決勝前に、各打者ごとに指示を与えた。

各打者ごとのに、内と外の狙い球を確認した。

3年生のスコアラーが作成した、明日の対戦相手、兄弟校聖橋学園の投球マップを指差しながら、さらに付け加えた。

 「ここのボール見極めがポイントじゃ。

  このボールは、ストライクにならない。

このボールを、見切るんじゃ」

さらに

「このボールを、見切れば、怖いボールはひとつもない」

老監督福田慶次は、全選手に、告げた。

「5点勝負の試合になるんじゃ」

 聖橋二高の各打者は、汗をかきながら、夜の素振りに精をだした。

全選手は、集続力が粘りの戦いををイメージしながら、明日の試合に集中していった。

 つづく

小説『ぼくたちの甲子園』<26>

「ピッチングの基本は、キャッチボール投法なんじゃ」

右投手2人、左投手2人。

老監督福田慶次は、ベンチ入りした4人の投手たちに念をおした。

さらに

「ピッチングとは、キャッチャーとピッチャーのハイレベルなキャッチボール」と付け加えた。

 ダイナミックな投球ホームは、カッコはいいが、真夏の激戦は連投がきかない。

連戦を勝ち抜けない。

 「消耗が激しく、中1日では、回復しないんじゃ」。

 一見、野手のキャッチボールのような投法を、老監督福田慶次を聖橋二高の投手陣に伝授した。

 見た目は、派手さはなく、野手と同じ投法に見える。

しかし、バッターボックスにたった時、はじめて球の威力に、各打者が一様に感じている。

「球の変化、球質が全然、違うんじゃ」

老監督福田慶次は、再度 投手陣にいった。

「 立ち上がりは、大事じゃ。

しかし、飛ばしすぎはいかん。

ブルペンでも、おなじじゃ。」

と 確認した。

 今までの4試合を振り返って、再度確認した。

「8割の力で、いいんじゃ 」

聖橋二高の投手陣は、明日の兄弟高・聖橋学園の打線の特徴を確認した。

「明日は、キャッチボール投球術で、ロースコアーの試合をしかけるんじゃ」

老監督福田慶次は、聖橋二高投手陣に、省エネ投法、キャッチボール投球術の総仕上げの伝授した。

つづく

 

小説『ぼくたちの甲子園』<25>

「いい経験、いい経験なんじゃ」

老監督福田慶次は、試合中、ベンチの中で、叫んだ。

 西東京大会の準々決勝は、延長12回裏、法城高校の一打逆転サヨナラのチャンスが続いていた。

 9回裏と11回裏、そして12回裏と、聖橋二高野球部のサヨナラ負けのピンチが、続いていた。

 序盤から、聖橋二高と法城高校の、両エースの投げ合いになった。

聖橋二高のエース織田通雅は、アンダースローから、切れのあるストレートと、スライダーで、7回まで1安打、快調のピッチングだった。

 一方、法城高校の左腕エース多田清吾は、連投の疲れから、4回表、聖橋二高の上位打線につかまり、3点を奪われた。

8回を終了して、3対0で、聖橋二高のリード。

だれもが、このまま試合が終了するかと思っていた。

 法城高校の、反撃が始まったのは、9回裏の攻撃から、ワンアウトランナー無し。

四球とデットボール、長短3連打で、一挙3点をたたき上げ、同点とした。

 尚も、2アウト満塁で、法城高校のサヨナラの場面が、続いていた。

聖橋二高のエース織田通雅は、前半の飛ばし過ぎた自身の投球から、9回にサヨナラ負けの場面をつくってしまった。

 聖橋二高のブルペンでは、激しく2人の投手が、投球練習をしている。

このピンチに、老監督福田慶次は、タイムをかけ、伝令を送った。

エースの続投で、法城高校の3番打者の大飛球が、左中間に飛んだ。

「しまった 」

ベンチもスタンドの誰もが、聖橋二高のサヨナラ負けを覚悟した一打だった。

このピンチを、救ったのは、8回からレフトに守備がために入っていた、 背番号17の3年生近田誠一だった。

この夏は、外野の守備要因として、ベンチ入りしていた。

 俊足を飛ばして、大飛球を背走しながら、キャッチして大ピンチを逃れた。

続く、延長11回裏、、12回裏もサヨナラの場面をしのぎ、12回にスクイズであげた決勝点を守り、聖橋二高が4対3で辛勝した。

 選手達は、真夏の炎天下の神宮球場での、準々決勝を勝利して、立川グランドの合宿所にもどった。

「甲子園の戦いの過程では、一度は経験する場面なんじゃ。

 試合即練習、練習即試合。 いい練習ができた。

いい経験、いい経験なんじゃ 」と 老監督福田慶次は、全選手に、ミーティングで伝えた。

 3年生の先乗りスコアラーが、明後日の、準決勝の兄弟校聖橋学園の分析を、発表した。

投球分析、各打者の特徴をきめ細かく報告した。

 ミーティングの最後に、老監督福田慶次は、

「ベスト4からが、ほんとうの勝負が始まるんじゃ」

と前置きをした。

そして、相手の投手攻略法として

「この球を、見極めるんじゃ」と各打者に、身振り手振りを交え、説明し、徹底させた。

聖橋学園のエースも、準々決勝は、厳しい試合を完投した。

 「この球を見切れば、おのずと聖橋学園の投球力を半減できる」

 明後日の、兄弟校決戦、両チームの投手陣の踏ん張りにかかっている。

その上で、破壊力の聖橋学園の打撃か、集続力のある聖橋二高の攻撃か。

「ベスト4からが、戦いなんじゃ」

聖橋二高の全選手は、今日の気持ちを切り替え、準決勝の戦いに集中していった。

つづく

小説『ぼくたちの甲子園』<24>

 「狙い球は、ひとつじゃ」

明日の準々決勝を前に、老監督福田慶次は選手に伝えた。

 バッテリーミーティングの際には、

「ここだけ、投げていればいい」

とポイントを確認しあった。

  次に、スタンドで応援をまとめる3年生の田原純一の目をみて、声をかけた。

「応援も、うちらしく 泥臭くていんじゃ。 明日も頼むぞ 」

高校野球には、高校野球の応援の仕方があっていい。

 将来、田原は、周囲から、必ず応援される人物になる、それが老監督福田慶次の確信であった。

 昨年秋より、選手たちは、朝練習、昼練習、そして 立川のグランド実戦練習。

もてる時間を、限りなく価値的に練習を積み重ねてきた。

 聖橋二高の野球部の歴史の中で、ここまで自分達を追い込んで、これほどの練習をしてきたチームはなかったはずだ。

明日の法城高校との、神宮球場での、準々決勝。

女子マネジャーが、おにぎりをつくって選手を応援した。

さらに、選手ひとり、ひとりに、手づくりの、バックにつける飾り物をプレゼントした。

 「狙い球は、ひとつ」

41名の部員の心も、ひとつ。

 聖橋二高野球部は、チームがひとつになって 明日の戦いへ向かっていった。

つづく

 

小説『ぼくたちの甲子園』<22>

「外野の守備位置を、確認してホームに帰って来い」

 老監督福田慶次は、2年生の相田宏樹に、声をかけた。

2年生相田宏樹は、背番号15、代走の切り札として、この夏ベンチ入りした。

次戦の 桜木学園戦を前に、チームは、立川のグランドで軽い汗を流した。

 「外野の守備が、不安定なんじゃ」

老監督の福田慶次は、3塁コーチャーと、1塁コーチャーの、青木真一と後藤裕也を呼んでいった。

 「外野の守備位置を確認して、ひとつでも、先の塁を示せ。

ただし、行き過ぎたオーバーランは、気をつけるように」

 春より、聖橋二高の選手の、塁へ出てからのリードが、1歩から、2歩大きくなっていた。

2年生相田宏樹は、チームバッティングの練習の際も、自分の前にひとつゲージを置き

スタートの練習に、時間を割いてきた。

 「低い打球と、足技で外野を動かせるんじゃ」

さらに、老監督の福田慶次は、投手の牽制の投げ方のクセを、確認させた。

 聖橋二高の俊足1・2番の出塁、そして代走の切り札、相田宏樹。

3人の足を絡めせた攻撃が、前半の勝負どころになると読んでいた。

相田宏樹は、相手の投手3人から、いかにスタートを切るか、イメージトレーニングを繰り返した。

「明日は、走りまくる」

 そう、心に言い聞かせ、明日の試合に集中していった。

つづく

 

小説『ぼくたちの甲子園』<21>

「集続力があるチーム」

老監督福田慶次が目指す、チームを一言であらわしていた。

 見た目は、泥臭く、強そうに見えなくても、結果として、勝利するチーム。

打線は、集中打で、少ないチャンスを確実にものにして、加点していく。

継続する力とは、どんな戦況でも、あきらめない野球をしていく力。

守りにおいては、粘りのある投球、粘りのある守備で、失点を最小得点の抑える。

守りにおいては、ビックイニングを作らせない。

 「泥臭くていんじゃ」

老監督福田慶次は、常に選手達に、言い聞かせた。

集続力のある攻撃。

 もう1点、もう1点と、さらに、追加点を、もぎ取っていく野球がこの夏、聖橋二高野球部には定着していた。

さらに、伝統の機動力をからませる。

「サード前に、ころがすだけでいいんじゃ」

 1番センターの、俊足巧打の、田宮に一言声をかけた。

つづく

小説『ぼくたちの甲子園』<20>

「追加点が 大切なんじゃ」

 老監督福田慶次は、夏の第二戦は、先発レフトに、初スタメンに、3年生の有賀修二を起用した。

 この春大会は、ベンチ入りしていなかった。

聖橋二高野球部は、「夏春冬秋」の4つのグループに分かれて、練習を行ってきた。

有賀修二は、春組に所属していた。

秋組は、基礎体力づくり。

冬組には、基礎練習。

夏組には、総合的な実戦練習。

それぞれのグループにテーマがあった。

 春組のメンバーには、攻守走それに、選手間のコミュニケーションの中で、なにかひとつ際立ったもの磨くようテーマが与えられていた。

 なにか、ひとつ際立ったもの、有賀修二にとっては、それはバッティングだった。

この夏には、バットのスイングの数が、日に増していた。

投手の球離れの瞬間、球筋、そして、球の見極めができる打者にまで成長していった。

 夏は、その打撃をかわれて、背番号17でベンチ入りを果たした。

そして、夏の2戦目は、スタメンで 5番レフトで出場した。

明新高校戦の左腕から、、長打2本を含む 4打数3安打を放った。

投げては、エース織田通雅が、明新打線を完封し、7対0で勝利した。

 今日も、真夏の暑い日差しが、グランドに降り注いだ。

選手達は、合宿所にもどって、気持ちを切り替えた。

「勝つ。それから次のことを考える」

いつもどうりだ。

 次戦の桜木学園との対戦に、集中していった。

桜木学園は、昨年の夏の決勝で、3対4で敗れた相手であった。

 しかし、選手達にはなんの気負いもなかった。

 普段どうり、自分達の、泥臭く、粘りのある試合運びを心がけるだけだった。

つづく

小説『ぼくたちの甲子園』<19>

「やりくり野球で、いくんじゃ」

 初戦を終えた 聖橋二高野球部の選手は、母校のグランドがある合宿所に、もどり

ミーティングを開いた。

 この夏は、第二シードということもあり、他校からは、徹底的にマークされてきた。

しかし、老監督福田慶次には、正と奇を混ぜあわせた、采配があった。

 新1年生の起用は、他校のデーターには、全くなかった。

「混乱の西東京には、奇正の野球で、勝ち進む」

 この夏は、オーソドックスな野球だけではない、

新たな試みが随所にあった。

 選手も、この夏、たしかな手ごたえを感じていた。

この日、優勝候補の第一シードの聖橋三高も、同数の13安打を放ち、コールド発進した。

「今週が、ひとつの山じゃ」

トーナメントには、まさかが起こる。

 「野球は、まさかのスポーツ。

     歴史が証明しておる」

トーナメントには波乱があることを含ませ、老監督福田慶次は、選手に伝えた。

 選手達は、まずは次戦の試合のイメージだけを、描き、集中していった。

つづく

小説『ぼくたちの甲子園』<18>

「真剣に、楽しんで来い」

初戦の石上高校の、先発は、3年生の小林正一に、老監督福田慶次は、声をかけ

マウンドに送り出した。

聖橋二高の夏の戦いが始まった。

 八王子球場の空は、今にも雨が振り出しそうな、空模様だった。

後攻の聖橋二高の小林正一3年生、背番号18がマウンドに立つ。

 「真剣に、楽しんで来い」

ともすれば、熱くなりすぎて、単調になる。

ピッチングを、「楽しんで来い」と気負いをなくせとの老監督福田の配慮だ。

 試合開始のサイレンが鳴る。

バックには、2人の1年生が スタメンに入る。

サード野田弘樹とライトに、木島康彦だ。

老監督福田は、今年のチームは、あえて、下級生の多く、編成した。

 3年生4人、2年生 3人、1年生2人の スターティングメンバーだ。

経験はないが、元気のある下級生を、チームの起爆剤として投入した。

 2桁の背番号が、多かった。

しかし、夏の真剣勝負の試合には、背番号は関係ない。

ただ、「真剣に、楽しむ」 聖橋二高の試合が始まったのだ。

右腕小林正一のストレートが、走る。

 先頭打者を、三振にしとめる。

次の打者には

「ボール」

「ボール」

小林の得意なインコナーのストレートを、球審がストライクを取ってくれない。

いままでの、小林だったら、すぐに表情に出て、ピッチングのリズムを崩す。

 しかし、この夏の小林は、精神的にも成長していた。

真ん中、低目と、外のストレートを主体で、カウントを稼ぐ。

 打たせてとるピッチングを覚えた。

3回まで、無四球で ランナーを出さず。

 それに、呼応して、味方打線が、火を噴く。

初回に1点 2回に2点 3回に7点の得点を追加する。

「小林さん、いい球 いってますよ!」

ベンチから、2年生捕手の江田勝美が、声をかける。

 相手チームに隙を与えずに、試合が進んだ。

5回を終了 10対0 。

大切な初戦を、コールド勝ちで、初戦を終える。

 「ナイスピッチング」 全選手が、小林正一の声をかける。

試合終了後、突然の雷雨がはじまる。

「たとえ春の選抜ベスト4以上でも、油断したら、夏の戦いは、優位にはならんのじゃ」

老監督福田慶次が全選手に伝える。

「勝つこと。

それから、合宿所に帰り、次を考える」

今年の聖橋二高の野球には、油断からの敗北だけは、考えられなかった。

それだけ精神的に、逞しくなっていた。

7月に入り、チームの状態も、日増しよくなってきた。

 全選手は、合宿所にかえり、次の対戦の勝利だけに、焦点を定めていった。

つづく

小説『ぼくたちの甲子園』<17>

 「 12番 江田勝美 13番 竹下 務 14番 渡辺 健一・・・・・」

練習試合の前々日に、背番号が、発表される。

 老監督 福田慶次が昨年秋に、就任以来、実施した変化のひとつに、練習試合にも

選手に背番号をつけさせた。

「いちばん調子のいいものを、一桁の番号に抜擢する」

今年の春の練習試合から、各選手には

  投手は 1番 11番 21番 

 捕手は 2番 12番 22番 

 一塁手は3番 13番 23番 

 二塁手は 4番 14番 24番 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 中堅手は 8番 18番 28番 

 右翼手は 9番 19番 29番 

練習試合にベンチ入りする 選手 25名に ポジション別に背番号を渡した。

 その時、いちばん調子のいいものが、一桁の背番号をつけた。

時には、意外な選手が、意外な番号をつけることもあった。

 「全選手に 一度は、聖橋二高の試合用のユニフォームを着させてあげたい。

それも、大会と同じ、背番号のついたユニフォームを・・・・」

老監督 福田慶次の全選手への配慮、なかんずく最上級生への心づかいでもあった。

 この夏の大会には、3名の3年生が ベンチに入れなかった。

しかし、6月の練習試合には、ベンチ入りできない3名の3年生は、揃って レギュラー背番号をつけてベンチ入りした。

彼らには、もう ベンチに入る、入らないの区別、意識は超越していた。

「一戦必勝」

 心は、ひとつになっている。

明日の緒戦に、老監督福田慶次と全選手は、集中していた。

つづく

 

小説『ぼくたちの甲子園』<16>

「練習試合は、大学のリーグ戦と一緒なんじゃ」

と老監督福田慶次は、選手の前で、こう告げた。

 老監督福田慶次は、大学野球部時代に、リーグ優勝も経験した。

また、入れ替え戦で 2部落ちして、二部リーグでの試合も経験した。

 「2部に落ちると、二部リーグの野球になってしまう」怖さも経験した。

老監督福田慶次は、秋に就任すると、練習試合のレベルをあげることに着手した。

 OBの伝手もかりながら、甲子園で活躍する強豪校との練習試合を組んでいった。

甲子園の強豪と練習試合は、すぐには組んでもらえなかったときもあった。

 それでも、粘り強く 、強豪校に練習試合を申し込んでいった。

「甲子園の空気をしっている相手校と、試合をし続けることが、何よりの練習になるんじゃ」

と老監督福田慶次は、聖橋二高の選手に伝えた。

聖橋二高の選手は、甲子園の強豪校である選手の動きの違いを肌で感じた。

挨拶、声のだし方、ボール回し、ノック、投手の球威、強打力、走塁、試合運び、グランド整備にいたるまで、様々なことを体で学ぶことができた。

 秋は、大敗の連続であった甲子園の強豪と練習試合。

春には、逆転の末、勝利できるるようになった。

練習試合の相手のレベルがあがるごとに、聖橋二高の野球の質が、確実に上がっていった。

 

つづく

小説『ぼくたちの甲子園』<15>

「とってくれるかは、わからんぞ」

 昨年秋に、就任した老監督福田慶次は、引退した3年生の進路指導でこう発言した。

甲子園に出場できなかったメンバーたちから、大学で野球をやりたいとの相談を受けた。

 各人の面談の上、本人の力量を考えながら、大学の野球部のセレクションを受けるように段取りをした。

 1千人を超えるOBの伝手をさぐり、大学の野球部のセレクションを受けさせることができた。

セレクションがすでに終わっていて、個別に大学のグランドで見てもらった選手のほうが多かった。

 その中で、首都大学野球リーグ 1名 東都大学野球リーグ2名 東京六大学野球リーグに 2名  東都準硬式野球に2名 合計 7名の選手を 大学野球に送り込むことができた。

「この子らは、甲子園出場組みに、気持ちの上では、負けるわけはない」

そして

 「この中から、将来の聖橋二高の野球部の指導者がでてくるんじゃ」というのが

老監督福田慶次の思いだった。

 大学で野球部に入らなくても、春の大学入学後、学生コーチとして2名のメンバーが、グランドに顔を出すようになった。 

新生・聖橋二高の野球部の歯車が大きく動き出した。

 つづく

小説『ぼくたちの甲子園』<14>

「野球の恩を返していける人になるんじゃ」

 老監督福田慶次は、指導者として長い期間、このことを選手達に伝えてきた。

「 現役を引退して、社会人になっても、なんらかの形の野球にたずさわるんだ」

「たとえ、一時的に野球から離れたとしても、少年野球の指導者でもいい、どんま形でも野球にかかわりをもつ。

大学に行き、教職をとって、中学・高校の野球の指導者になってもいい。

自分を、育ててくれた野球を次の世代に伝えていく。

 野球の恩を返していくんじゃ」

その教えもあって、老監督の福田慶次の教え子の多くは、学童野球やリトルシニアリーグ、ボーイズリーグの指導者になっていった。

 中学や高校の教員になり野球の指導者になっているものも、多数いる。

聖橋二高に練習試合を申し込んでくる、教え子もいた。

就任した昨年秋には、9名になってしまった聖橋二高の野球部も、翌年春には、32名に新入部員が誕生した。

 教え子の少年野球・リトル・シニア・ボーイズリーグ監督たちが、聖橋二高の野球部に、自らすすんで有望な選手を体験入部に参加させた。

猛勉強の末、文武両道の難関、聖橋二高に、合格したのだ。

 名門の野球部の再建は、確実に一歩を踏み出していった。

つづく

小説『ぼくたちの甲子園』<13>

「 混戦なのは、粗球だからじゃ」

老監督福田慶次は、この夏の西東京大会の混戦の理由を、一言でいった。

「聖橋三高にしても、東実にしても、今年の西東京の投手は、球離れが、一定していない。

簡単に言えば、コントロールが悪い。

 そして、ストライクとボールの見極めは、容易だ。

だから、混戦になるんじゃ」

つづけて

「興亜高校の林投手だけは、コントロールはいい。

しかし、彼は、低重心投法で、体に、必要以上の負担をかける投げ方なんじゃ。

 スタミナを消耗する投法。

秋と春の大会は、登板に間があいたが、夏は違う。

中2日の投球では、試合の後半や、トーナメントの上のほうでは、球の押さえが利かなくなるんじゃ。

序盤に低めに投げていたボールが、スウーっと、高めの打ちごろに入ってくる。」

 その後、各打者ごとに、西東京の投手の攻略法を、手短に伝えた。

最後に

「うちの投手陣だけは、省エネ投法なんじゃ」

と笑顔で話を結んだ。

 聖橋二高の投手陣は、4人は、無駄な力を使わない、低重心投法とは、対極の

キャッチボール投法だった。

 老監督が自ら、伝授し、授けた投球術だった。

「ピッチングとは、ピッチャーとキャッチャーの、ハイレベルなキャッチボールである」が

老監督福田慶次の持論だった。

つづく

小説『ぼくたちの甲子園』<12>

「夏のトーナメントは、松竹梅でいくんじゃ」

老監督福田慶次は、開会式前日のミーティングで、全選手を前にして一言述べた。

「松竹梅は、今の言葉で言えば、ホップ・ステップ・ジャンプじゃ。」

「松は、ホップは、4回戦までの 八王子球場での3試合。

力の差はないが、試合即練習で、力をつけていく。

竹は、ステップは、準々決勝、準決勝の 神宮球場の2試合。

 ここは、それなりの、強豪が上がってくる。

ここが肝、ひとつの山じゃ。

梅は、ジャッンプ、 甲子園を決める神宮球場での、決勝の一戦じゃ。」

 6月の、チーム状態が、嘘のように、7月に入り、チームの状態が、よくなっている。

選手も、老監督福田慶次の話を、耳をそばだてて、聞いている。

 『試合即練習、練習即試合』の、普段着野球、老監督福田イズムが、この夏には、浸透していた。

「まずは、松の戦いに集中するんじゃ」

との老監督福田慶次の言葉に、全選手がうなずいた。

 つづく

小説「ぼくたちの甲子園」<11>

「 新田君、 君らしくで、いいんだよ」

OBの平田浩先輩が、聖橋二高のグランドに来て、主将の新田一郎に声をかけた。

 平山浩は、新田の2学年上であった。

平山は、聖橋二高野球部の現役時代、準レギュラーとして活躍した。

 大事な試合では、起用され結果を、出してきた。

主将の新田一郎の尊敬する先輩である。

平山は、現役時代でも、1年生の新田一郎に、「新田君」という呼び方をした。

命令的な口調を、しない不思議な先輩だった。

 最後の夏を迎える、主将の新田一郎はじめ、現役のメンバーの激励に、来てくれたのだ。

「 新田君らしく、やれよ」

この一言が、心に響いた。

 変な気負いもなく、明日からの開会式にのぞめる。

全選手の気持ちが、同じになれる大会が、いよいよ明日からはじまる。

聖橋二高野球部の熱い夏が、遂にやってきた。

つづく

小説『ぼくたちの甲子園』<10>

「 外野が広いので、カットプレー、連係が重要です」

6月の梅雨の時期に入り、今日は、ミーティングに時間をかける。

コーチの指田泰雄から、予選球場の特徴について、説明がある。

「初戦から、4回戦までの3試合は、八王子球場。

 外野も広く、長打になった場合、外野と内野のカットプレーを再度チェックしよう。

逆の面では、攻撃の場合、一つでも、多く塁が取れる、可能性がある。

三塁・一塁コーチャーも、球場の広さを、頭に入れて、進塁を考えてください」

コーチの指田泰雄はさらに

「ファールグランドの広さの確認です。

それに、ベンチ前のコンクリートを、確認してください。

過去に、ベンチ前のコンクリートの、三塁手が、滑って、怪我をして、試合に出れなくなってしまいました。」

コーチの指田泰雄は、高校野球の指導者として珍しく、選手に命令するような

言い方をしない。

 論理的に、淡々と話す参謀であり、選手のよきアドバイザーである。

続いて

「準々決勝から決勝までの3試合は、神宮第一球場です。

神宮球場は、この春 改装して、2点が大きく変わりました。

一つは、外野のフェンスが後ろへ下がり、球場が大きくなりました。

これは、八王子球場と同じ考え方です。

もうひとつは、

人工芝が、いままでより、長くなりました。

神宮第二球場とは、ボールの弾みが違います。

特に、内野のバウンドは、人口芝が長くなった分、ボールが弾みません。

以上2点を、伝えます」

 コーチの指田泰雄の話は、西東京の決勝までを見据えての話だった。

6月のチームの状況は、各自追い込んだ練習のため、ベストとは言えなかった。

しかし、コーチの指田泰雄には、準決勝の神宮球場で戦う頃を、チームの最高潮にもってくる練習計画であった。

 「うちには、俊足のセンター田宮雄一がいる。

レフトとセンターへも、彼が声をかけ合って、くれるに違いない。

内野には、キーマンの主将の藤江竜也もいる。

二人の連係で、守りを固めていく」

コーチの指田泰雄には、梅雨の雨空を見ながらも、チームの確かな手ごたえを感じていた。

つづく

小説『ぼくたちの甲子園』<9>

「小林さん、いいボール来てますよ・・・・」

2年生の控え捕手江田勝美が、3年生投手の小林正一のボールを受けながら、声をかける。

 この夏の、他校のスラッガーのデーターを、二人で確認する。

データーは、控え捕手の江田勝美が中心になって、作成したものだ。

江田勝美は、続けて

 「弱点A そして 弱点A さらに、弱点A を投げ込む」

さらに

「弱点A さらに 弱点Bへ、そして弱点Aに戻る投球 この、2パターンです。

小林さん、迷った時は、カーブです。」

 打者マップに、示された、相手打者ごとの、弱点Aゾーンと、弱点Bゾーンが書かれている。

対戦校には、プロ注目のスラッガーも、何人かいる。

3年生投手の小林正一は

「江田は、ほんとうに観察力があるからな。ありがとう」

捕手の江田勝美は、さらに

「プロ注目のスラッガーは、体も大きいし、構えも威圧感がある。

けれど、よく観察してみると、弱点Aが結構、多いんです。」

「小林さん、3球勝負が夏の原則。遊び球は、なくてもいいですよ。

遊び球で、カウント悪くする必要はないです。特に夏は。

とにかく、ボールは、膝の高さにくれば大丈夫です。

どんなに投げても、小林さんの球なら、ひとり5球以内で、、打ち取れます」

確信の声で、小林正一に伝える。

2年生の控え捕手の江田勝美は、この夏の8月いっぱいで、野球部を退部しなければならない。

家族に大きな出来事があり、江田勝美も、考えに考えたあげくに、決断した。

「小林さん、自分にとっても、最後の夏です。

小林さんと、甲子園へいきたい。そして、小林さんの球を、甲子園でも受けたいんです。

・・・・・」

 小林正一は、江田勝美の目を見ながら

「うん」

とうなづいた・

つづく

 

小説「ぼくたちの甲子園」<8>

「3つの、試合を決める弱点がある」

監督の福田慶次は、シード校で、上位で戦う強豪高校を、冷静に分析し

結論付けた。

「聖橋三高を、はじめ、今年のシード高は、試合を決める、共通して3つの、弱点がある」

 「うちは、そこに集中して、戦うならば、必然的に勝機を掴むことができる」

選手たちは、監督福田慶次の話を、じっ聞いている。

 「そのためにも、大事なのは、まずは、初戦だ。

初戦は、どうしても、硬くなる傾向がある。 相手は、試合をして、望んでくる。

ここに、集中しよう。 まず勝って、。

それから、次に備える。

甲子園でも、同じだぞ。

勝ってから、次に備える。

その繰り返しが、トーナメントの戦いだ。」

ベンチ入り以外の選手も、監督の言わんとすることが、よくわかった。

チームは、ひとつになっていた。

つづく

小説「ぼくたちの甲子園」<7>

夏の抽選会で、聖橋二高は、第二シード。

トーナメント表では、右下に位置していた。

第一シードは、春の覇者、兄弟校の聖橋三高が、左上に位置している。

抽選会の結果から、初戦から、接戦が、予想される対戦組み合わせだった。

決勝を含め、一試合も、油断ができな組み合わせだ。

 トーナメント表を見て、監督の福田慶次は

「いい抽選だ」

選手に告げた。

 「今年のチームは、大会の試合を通じて、さらに進化し、強くなる」

「試合は、練習、そして、練習は試合だ」

抽選日には、疲労もピークにあり、チームの状態は、最低で、練習試合でも、負けてはいけない相手に負けたり、すこし自信をなくしかけていたところだった。

 選手達は、「試合を通じて、進化し、強くなる」

それを聞いて、安心した。

「試合をしながら、強くなる、試合は、練習!練習は試合!!」と、選手全員が、心に言い聞かせた。

昨秋からの、選手達の、監督福田慶次への反発の心は、信頼の心に変わっていった。

さらに、監督の福田慶次は

「最高の抽選とは、先のことは考えない組み合わせ。

一戦、一戦を大事に戦いながら、力をつけながら、上位への戦いに突入する。」

文武両道の野球の意味を、ミーティングを通じて、再確認した。

選手の瞳が、きらっと光った。

つづく

小説「ぼくたちの甲子園」<6>

「もっと、どーん、と投げてもいいんじゃない」

女子マネジャーの、斉藤恵美が、エースの織田通雅に声をかける。

右アンダースローの、織田通雅は、春は不調で、先発としては、ほとんど投げていなかった。

「織田君のボールって、スコアーブックつけてて、思うんだけれど、相手の打者は、すごく的が絞りづらい」

「だけど、織田君は、頭が良いから、自分のほうで、考えすぎて、自滅しちゃうって、感じ」

「たとえ真ん中、入ったって、織田君のボールは、微妙に変化があるから、打たれないよ」

とマネジャーの斉藤恵美が、エースの織田通雅に声をかける。

ほんとうは、だまっていようと思ったけれど、一度、しゃべると、立て続けに話してしまい

後悔した。

 「 斉藤は、度胸がいいもんな」

とエースの織田通雅は、女子マネージャーの斉藤恵美に、一言だけつぶやいた。

「そうだよ、女も度胸。織田君、後は、マウンド度胸だけだよ。気持ち、気持ち!」

と、自分の胸に手を当てながらいった。

エースの織田も

「そうだな」

と頷いた。

つづく

小説「ぼくたちの甲子園」<5>

 老監督福田慶次は、1年生に、合宿所から、スリッパをもってくるように命じた。

シートノックの際に、内野手に、グローブをはずさせた。

代わりにスリッパを、グローブの変わりに、つけさせた。

 「手のひらで、ボールをつかむ感覚をつかむんだ」

「基本は、両手で、ボールを捕ること。」

「打球の正面に入る習慣をつけるんだ」

 選手達の、監督の福田慶次の打つノックのボールを、丁寧につかんで、送球していった。

 「ベースランニングは、平等だぞ」

老監督の福田慶次は、ベースランニングは、一部の足の速い選手のための、練習ではないことを繰り返し、選手達の伝えた。

「足が、速い、遅いのではない。

ベースランニングの目的は

一人ひとりが、いかに最短距離で、最短時間で、ホームベースまで、返ってこれるか。

もうひとつは、相手の守備陣が嫌がる、次の塁を狙うというフェイントをかけること」

しつこいくらい、全選手に走る練習をくりかえしていった。

 老監督の福田慶次と選手達は、基本と基礎を繰り返すことで、野球の原点に返っていった。

つづく

小説「ぼくたちの甲子園」<4>

「キャッチボールと思うな、人生と思え」

監督の福田慶次は、基本・基礎練習を、「これほどまでやるのか」というくらい大切にした。

特に、キャッチボールは、入念に時間をかけた。

「キャッチボールのための、キャッチボールではない」

キャッチボールの中に、野球のすべてが、含まれているというくらいに、真剣勝負のキャッチボールを繰り返させた。

「キャッチボールと思うな、人生と思え」

 「ボールを、よく観る事、見切る習慣で、バッティングまで、よくなるんだ」

キャッチボールを繰り返しながら、打撃練習に活かす。

 さらに、言葉のキャッチボールも、大事にした。

「相手のわかりやすい言葉で、相手の立場で、話してあげること」

「相手の言葉を、しっかり受け止めてあげること」

 言葉のキャッチボールの大切さが、チームワークをよくする。

ミーティングも、監督の一方的な、話ではなく、対話方式のミーティングを行った。

 最初は、半信半疑な選手たちも、だまされたつもりで、監督のやりかたについていった。

つづく

小説「ぼくたちの甲子園」<3>

<老監督のつぶやき>

「小林 明日の試合は、先発で行くぞ」

老監督の福田慶次が、小林正一に告げる。

 西東京大会の初戦は、都立石上台高校。

公立高校ながら、注目の森投手がいる。

決して侮れない相手だ。

「初戦が大事だ」と老監督福田慶次がつぶやく。

この夏、しり上がりに調子を上げてきた小林を、老監督は先発にさせるという。

エース背番号1の織田通雅と、もうひとりのエース背番号18の小林正一の2枚看板だ。

 

 老監督福田慶次が母校聖橋二高の監督に就任したのは、昨年の秋。

聖橋二高は夏の大会、西東京大会決勝まで駒を進めて3-4で、桜木学園に9回裏逆転サヨナラ負けを喫した。

 

桜木学園は、夏の甲子園初出場し、全国制覇を果たす。

 聖橋二高野球部は、桜木学園の甲子園の活躍する同時期、新チームをスタートさせた。

新チームの秋のブロック予選の初戦。

帝田高校に1-3で競り負ける。

 その直後に、現監督が体調を崩し、その後を引き継いで、老監督福田慶次が就任する。

老監督福田慶男が20年ぶりに母校のグランドもどった。

はじめて新チームの顔合わせの挨拶の際に、老監督の福田慶次は

「今のままじゃ、100年たっても、甲子園にもどれんな」とつぶやく。

しかし、

「3年以内に、君たちを甲子園に連れて行き、全国制覇をする」と宣言する。

 

聞いていた選手たちは、いきなり

「なんだ、このオジサン」という、考えをもったものが大半だった。

わけのわからんOBオジサンが突然きて、それも、3年以内に、それも甲子園全国制覇するという。

 母校は、夏の甲子園から20年も遠ざかっているというのにだ。

 「気が狂ってるのか、このOBオジサンは・・・・」

また、独自のつぶやき、ものの言い方に、

新チームの上級生や主力選手の大半がムカついた。

 

  「今の合宿所と部室の状態が、今のチームの状態じゃ 」

と老監督福田慶次がつぶやく。

「全国制覇のはじめの一歩は、各自が履物を揃えることから」

まずは、履き物をきちんと揃えることを徹底させた。

 

 母校野球部の再建の第一歩は、合宿所と部室の掃除からはじまった。

来る日も、来る日も雑巾を片手に、掃除ばかりだ。

 「こんな、掃除ばかりして、甲子園にいけるのか」

父母会からも、反発の意見が出た。

新チームで32名いた部員が、老監督福田慶次の指導方針に反発して

退部し、9人だけになった。

 

 合宿所や部室の掃除、下足をきちんと揃える整理が、夏のここいちばん大切なときに役立つ。

 

 何より、心身と頭の整理整頓ができる。

 

 「試合に勝つには、足元が、大事なんじゃ」

老監督福田慶次の50年間の一貫した指導方針だった。 つづく

小説「僕たちの甲子園」(2)

小説「ぼくたちの甲子園」

<夜の素振り>

「残念だったな」

聖橋二高のエース、織田通雅が、親友の田村秋夫に声をかける。

 田村は、3年夏の最後の大会に、背番号をもらえなかった。

春の大会は、ベンチ入りしていた。

「織田、大丈夫だ。 そりゃ、背番号のことを知ったときは、、ショックだった。

でも、俺は甲子園を、俺の甲子園を、まだあきらめていない。

 この夏、甲子園では、背番号を6をつけてベンチ入りするんだ。

そりゃ、練習の手伝いもするさ。

まだ、俺の甲子園も、終わっていない。

織田と一緒に甲子園へいく。

そのためにも、織田が投げぬき、西東京大会に優勝してくれなければ困るんだ」

 田村の、夜の素振りには、力がこもっていた。

織田もシャドーピッチングに、集中した。

小説「ぼくたちの甲子園」<1>

<第一章        もう一人のエース>

「おじさん、いや監督、俺 野球部辞めます」

と小林正一は、少年野球時代の監督 古田孝男の家を訪ね、心情を打ち明けた。

 明日は西東京大会の開会式。

小林正一は、聖橋二高の野球部のメンバーとして、大会に挑む。

その前夜である。

「いったいどうしたの?」

と少年野球の監督古田孝男が、教え子の小林正一にたずねる。

「これです 」

と小林正一は、聖橋二高のユニフォームを古田孝男に見せる。

「18番 こんな番号なら、俺 いらないんです」

と小林は、うつむきかげんに話す。

「ほう 小林君が少年野球でつけていた背番号18じゃないですか」

と小林正一が差し出した 背番号18の聖橋二高のユニフォームを古田孝男が手に取る。

胸には、伝統のSの一文字が光る。

聖橋二高は、20年ぶりの夏の甲子園を目指す古豪である。

「俺には、エース番号の<1>しかないんです。

そのために、いままで、高校で野球をやっていました。

こんな番号18つけて、マウンドにたつなんて・・・・。だったら、俺 野球部辞めます」と小林正一が 顔を真っ赤にして古田孝男に再度野球部をやめるという。

小林正一の目には、大粒の涙がこぼれはじめる。

少年野球の監督古田孝男は、ぽつりと話しはじめる。

「おじさんは、君が、小学校の卒業文集で、<僕は甲子園にでて優勝します>と書いたのをみて、びっくりし、喜びました。いままでたくさんの少年たちの野球を指導してきて、<甲子園に出場>と書いた子供たちはたくさんいたけれど、

<甲子園で優勝する>と書いたのは小林君だけだった」

聞いている小林正一の涙は、止まらない。

「いい背番号18じゃないですか。 メジャーの松坂投手だって、全日本のエース・ダルビッシュ投手だって、同じ18番です。

 小林君、胸を張って、明日から投げ抜きなさい。

伸び伸びと、大きな心をもって。

 君の少年野球時代のように、<腕を大きく振り、俺の球を打てるなら、打ってみろ>と気持ちの強いピッチングを高校時代最後の夏にしてみなさい。

 小林君ならできる。

ところで  右肩の調子はどうだ?」と古田孝男が、小林正一に尋ねる

 1年の秋に,小林正一は、右肩を痛めた。

「ほんのすこしだけ、ひっかかりがある時もありますが、、大丈夫です」と小林正一が言う。

「おじさん、いや監督、俺 この夏の大会、野球が、楽しくてしかたなかった、少年時代のあの頃のように。

強い気持ちを思い出し、背番号18番つけて投げぬきます。そして、必ず優勝します」と力づよくいう。

 少年野球の指導者の吉田孝男は、指導の際に、少年たちに、敬語を使って、教える。

 他のほとんどの指導者が、「怒る・怒鳴る・やらせる」式の指導が多いのが現状だ。

少年野球の指導者の吉田孝男だけは、違っていた。

子ども達に、敬語を使い、気づかせるように、野球がやりたくなるようにする

少年野球の監督であった。

背番号の18をつけて、決戦に挑む小林の声を聞いて、わが子を見つめるがごとく、少年野球監督古田孝男の目にも涙があふれだした。      つづく