ユーザー画像

最近の記事

Powered by Blogzine[ブログ人]

OCN 検索

最近のトラックバック

宮崎第一

雨で2日間、 順延になった宮崎大会決勝。

宮崎県自体も、非常に厳しい社会環境での今大会の開催。

決勝に進出した 宮崎第一の阿久根伸二監督は、明治大学野球部時代の同級生。

彼は、奈良の天理高校野球部時代、4度の甲子園出場経験を持つ、スラッガーだった。

 とても、ユーモアのある性格で、彼の周囲には、笑いがあり、チームメイトの誰からもから、好かれていた。

決勝の相手は、延岡学園。

今回は、2対6で、終半、突き放される。

彼の甲子園での采配を楽しみに待つ。 監督としての、甲子園初出場の日は、もうすぐだ。

早稲田佐賀高校

今春、佐賀県に開校された早稲田佐賀高校。

その硬式野球部 石井智久監督は、大学時代の友人の一人だ。

今年は、一年生だけのチームで、初の県大会に出場した。

惜しくも、一回戦で、姿を消したが、これからが、とても楽しみなチームでもある。

激戦の佐賀県高校野球界に、新風を巻き起こす日が、楽しみだ。

修学旅行

「蒼島さんは、修学旅行に、行かなかったんですよね」

と、母校野球部のコーチに、ふと、声をかけられた。

彼は、母校野球部の現役コーチだ。

「そうだったね。でも、よく覚えていたね・・・・」

僕は、高校2年の夏の修学旅行(九州・長崎など)に、行かなかった。

中学で痛めた怪我の箇所が、再発していた。

「また、中学と同じで、野球ができなくなる」

そう思うと、まだ2年の夏なのに、3年生のような気持ちになり、現役が終わるような

追い込まれた気持ちになっていた。

誰にも、相談せず、自分で出した結論は

(修学旅行には行かず)、東京に残り、信頼するトレーナーの治療を受ける(東京・中目黒にある、元巨人軍の小守トレーナー)と決めた。

 前日、監督に 、修学旅行に行かないことを告げると、

(こっぴどく、)叱られた。

「修学旅行に、行って、気分を変えてみるという、考えにならないのか」

「お前だけ、東京に残って、どうする」と、

 叱られた。

練習には、出てはならない、ということだった。(が、しかし、毎日、お呼びがかかり、遠征の準備含めを、1年生のまとめ役として、チームに、同行していた。)

同級生が、修学旅行に行く、前日のこと。

明日の試合前の準備を、同期の野球部員と、していた。

試合球の用意担当は、同級生のファーストの左のTだ。

しかし、なんと、Tが、ボールを積み忘れて、修学旅行に旅立った。

しかし、カンのよかった僕は、夜中フトンの中で、ファーストの左のTが、「試合球を、遠征の車に、積み忘れているのではないか」と思ったのだ。

遠征先に、早く行って確認すると、案の定 積み忘れていた。

「おい、おい・・・・!」

 昨夜中に、遠征先の スポーツ店(無理がきく)所を、調べておき、あらかじめお金を、もってきていて、開店まえに、試合球を購入させていただいた。

しかし、試合開始、先頭打者に、危険球になるくらい、の母校の先発・先輩投手が、ヘルメット直撃のデットボールを投げる。

どうやら、いつもと試合球のメーカーがちがくて、指先から、すべるのだという。

早朝 用意した 試合球はミズノのボール。

若干、皮が、いつもの他のメーカより、皮の表面が、たしかに硬い。

「ファーストの左のTは、九州で今頃・・・・・、おい、おい!」

と思いながら、遠征に同行したことを思い出した。

何から、何まで、青春の無茶な選択、決断と実行の日々だった。

キセキの夏へ

夢が、俺たちを強くした

熱い魂のストリー「ROOKIES~卒業~」の映画が、上映されている。

ニコガク(二子玉川学園高校)野球部3年生が中心となって、甲子園出場の夢を目指し、最後まで夢を諦めない抜群の粘り強さで、夏の激戦を勝ち抜いていく。

映画での決勝の舞台は、この夏、ニコウの戦いと同じ、神宮第球場だ。

さて、映画のパンフレットに、こう書かれていた。

怠惰で暴力的な不良から、グランドで輝く高校球児へ~ニコガク野球部員が語る野球練習の秘話の中に、

俳優の中尾明慶さん(関川秀太役)が、以下のようなコメントを書いて贈ってくださった。

「前から、体は鍛えていたんですよ。ただ、原作で関川は足が速いという設定なんです。

そこはちゃんと演じきりたかったというものがあって、まず走るトレーニングをしましたね。

映画が、始る前は、日大二高という高校の野球部の子たちのところにいって、一緒に練習をさせてもらったりもして、野球の腕前をあげるようにしました。」

とメッセージが綴られている。

ニコガク野球部の、夏の快進撃の影には、ニコウ野球部員の、見えない影の練習の手伝いがあった。

どんな、大舞台で活躍する選手の影には、見えない選手の応援があったことを、伝えてくれたのだ。

それを、俳優の中尾明慶さんが、感謝の気持ちも込めて、話してくれたのだ。

さらに、ニコガクの練習グランドは、なんと、都立南野高校(統合)。

ニコウ野球部の田中吉樹監督が大学卒業後、最初に赴任した学校。

当時の南野高校野球部監督もニコウ野球部OBの執印監督。(第47回大会甲子園出場時の二塁手)

さらに、当時の南野高校野球部の女子マネジャーのお子さんは、現在ニコウ野球部員の3年生。

ニコガクニコウは、不思議につながる。

さあ、二コガク野球部員の夏快進撃に、続くのは 二コウ野球部員だ。

キセキの夏を創るために、

ニコガク野球部員が教えてくれた

道を切り開くものは、自信と勇気だ

さあ、これからが本番!キセキの夏へ、

二コウ野球部員、夏の快進撃!が、いよいよ始る

Thum02

「夢にときめけ

 明日にきらめけ

  めざせ甲子園

   by 川藤 幸一 」

http://www.youtube.com/watch?v=3XOuMnD9z6s&NR=1

ファイト!お母さん

「自分の子どものプレーをずっと追いかけてきた」

高校野球を含め、父母の協力がなければクラブの運営は成り立たないといっても過言ではないです。とりわけ、お母さんの苦労(毎日のユニフォームの洗濯、お弁当・経済的なやりくりなど・・)は、大変なものだと思います。

また、チームには、様々な状況の選手もいて、人間が集まり行うことだから、気苦労もあると思います。

それを、大きな心で包み込んで、応援しているのが球児のお母さん達です。

 グランドに行くと僕は、真っ先に、室内練習場に行きます。

そこで、練習している選手の動きをみることからはじめます。

次に、ライトの一番奥のポールのところから、フェンスの後ろでトレーニングする選手を見つめます。

グランドの、隅っこにいる選手の充実度を感じてみます。

 得点ボードのあたりの選手は、どんな動きをしているのか。

そういう視点でみていると、ひとりひとりの選手が、どれだけ、自分の野球に取り組んでいるのかという、姿勢と充実度が伝わってきます。

 Aとか、Bとか、Cとか、関係なしに、どんだけ好きな野球を、真剣に楽しんでいるかがわかります。

その姿勢と充実度が、選手の人間的成長に比例しているように思えます。

極論を言えば、野球は上手くなったけど、人間的には成長していないでは、何のための野球なのかわからなくなります。

母校の野球は「野球を通じて、人間の土台を創る野球」だと思います。

また、それを、日々、実践しています。

 技術や、勝負の先にあるものを、見守る目を持つことを大人が忘れたくありません。

お母さんたちも、子ども達と一心同体で、長い間甲子園を目指してきました。

 思うように描いた子どもの成長を見る場合もあるし、逆に、想定外の現状もあるかもしれません。

 しかし、今、どんな状況であろうと、選手の存在、がんばりを最後まで応援してあげられる

お母さんでいてもらいたいと思います。

 朝、昼、そして 夜までの練習に耐え抜いた選手は、人生の土台を築きあげています。

「今、子供は、青春時代、試練もあるかもしれないけれど、人生のいちばんいい勉強させてもらっている」と、大きな心で見守ってあげられる親でありたいです。

 技術を超えて、目先の勝負を超えた、子供たちの 成長・進化を、瞼にに焼き付けて

この夏を迎えたいと思います。

  

お母さんの

 ために打った

   この一打

  

明るい

   母さんのために

     投げる

       この一球

   

 母さんの

     笑顔が

    嬉しい

     このプレー

     選手をサポートするお母さんたちに捧ぐ

スタジアム

近所にあるベースボールスタジアム。
ベースボールスタジアムといっても、高速道路の下にある細長くって、小さな公園。
「びくにベースボールスタジアム」と勝手に、僕が命名した。
雨でも、雪でも練習できる。(バッティング以外)
それにしても、このスタジアムには、いろんな選手が集まる。
上野投手のような投球フォームの少女子ソフトボール選手が、たぶん父親とビッチンクをしている。老人の現役投手も投球練習する。
社会人野球の選手もいる。いちばん多いのは、多分中学生の選手。僕がサボートする選手もこの中に何人かいる。
不思議なスタジアムだ。
野球が好きな人たちが、調整の場に使うスタジアムた。

夢の力

僕の中では、『志』と書いてユメと読みます。
(夢からさめないように)座右の銘のひとつは、『志力』と書いて、ユメノチカラと読みます。
今まで、これ一本できました。これからも。
今、21世紀の新たな僕の志(ユメ)に向かって挑戦しています。
100年に一度(一生に一度)の時だからこそ、『前へ』出ます。
『志力』(ユメノチカラ)で。。。

進化する野球

「蒼島さんは、手を抜かないですね」
野球をやっていて、友人から、よく声をかけられる。いままで、手を抜いて、野球をやったことは、たぶん一度もないだろう。
今でも、どうすれば、いいボールがなげれるか研鑽している。どうすれば、もっと打てるのか、テーマをもっている。
試合前も、同じ。母校野球部の試合は、朝きちんと散歩して気分を高めてから球場にいく。
球場についたら、なるべく、母校のチームのベンチが見える位置で選手を見護る。
ベンチの息遣いがわかる。だから、一喜一憂しない。
進化する野球。

僕が、やがて、そら(宇宙)に還る瞬間まで、野球がうまくなりたい。{ほんとは、楽しみたいのかな?!}

野球と護身術

「 蒼島さん、 返事は、ハイではなく、押忍(おす)!」

「はい、 いや、押忍!」

と、両手で、胸の前で十字をきる。

現役時代、オフの間は、毎年、空手の極真会館の道場で、稽古をつけてもらい、

トレーニングを重ねた。

野球選手がなぜ、極真空手?

それは、明治大島岡監督の教えをヒントに、自分で冬のトレーニングに取り入れた。

というのは、島岡監督は、選手に、剣道の素振りを、よくさせた。

バッティングに活かすという意味と、それ以上に、武道の精神性を大事にされていた。

「野球場の脇に、小さな道場をつくりたい」とも言われていた。

極真会館の道場での稽古で、指導員の方が

「蒼島さん、バッティングの構えをして、ハイッ!、それに、両手を上げて、顔面ガード、ハイッ! それが、空手の後屈立ちの構え!! ハイッ!!」

「ハイッ! その構えから、バッティングのように、腰を回して蹴って!、ハイッ! そう。それが回し蹴り!!」

この極真会館の指導員は、ほんんど、野球のイメージで、僕に、極真空手を教えてくれた。

「ハイ!次は、両手を上げて、顔面ガード、!前の手は、グローブと同じ!、後ろはゲンコツ!! 前の手で、相手のパンチを、グローブでボールを捕るように、サバキ、かわして!ハイッ! 右手のゲンコツは、スローイングのように、オーバースローからパンチ!ハイッ!サイドスローからのパンチがフック!ハイッ! アンダースローは、アッパーパンチのように、ハイッ!やってください!!」

「蒼島さん、空手も野球も、本質は同じ。 野球も護身術だということです(?!)」

「街で、チンピラにからまれたら、サバキ、かわし、乗り越える」

「それでも、だめだったら、そばにバットとボールみたいなものないか探して、あったらそれらを使って、反撃してください」

「それでも、だめだったら、機動力(走塁)足を使って、逃げるが勝ち!」

 「蒼島さん、あくまで、自分からしかけちゃだめですよ。くれぐれも、正当防衛が許される場合の限定の技ですよ!チンピラにからまれそうになり、ケガしたら、野球できなくなっちゃうから、それを護るために、野球流の護身術で、自分を護ってくださいね。」

 「 はい、脇田先生、ありがとうございます。」

「 蒼島さん、はい、ではなくって、押忍(おす)!」

 極真空手のユニークな指導員から、野球流護身術の伝授を受けた。

「押忍! ありがとうございます!!」

http://jp.youtube.com/watch?v=Yw2KMhEGhvc

麻生ジャイアンツ

 元巨人の桑田真澄選手が会長を務める、ボーイズリグ麻生ジャイアンツ。

その麻生ジャイアンツの関谷俊郎総監督は、明治大野球部時代の一学年上の先輩だ。栃木の大田原高校出身の、捕手出身だった。

関谷俊郎総監督のコメントを読んで、考えさえられる。http://www.denentoshi.com/public/kawasaki/story/004a/

「私が現役(明治大学野球部OB)で練習をしてきた頃と比較して、大学の野球部も根性論的練習方法から脱却し、科学的練習メニューや体のメンテナンスが取り入れられるようになっています。野球界は進化してきました。

ところが息子が野球をするようになって、一親として練習を見に行くと、そこでは目を覆いたくなるような旧態依然とした練習が行われていました。野球界の大事なすそ野であるはずの小学生、中学生の指導方法は、まだまだ時代に取り残されていることに驚きました。」

その中にある

「大学野球部も根性論的な練習方法からの脱却し、野球界は進化してきた」

 関谷さんとは、ともにそれこそ「根性野球の極致を通過してきた」世代の僕たちにとって、この言葉の持つ意味は、大きい。

「息子が野球をするようになって、一親として練習を見に行くと、そこでは目を覆いたくなるような旧態依然とした練習が行われていました。」

 関谷さんが、少年野球の指導の改革に、共通の知人をとうして、巨人の桑田選手ともに実行に移された。

 麻生ボーイズのようなチーム、子どもの未来を大切にするチームが、日本にどんどん

でてきてもらいたいし、他のチームでも、そのような取り組みが波及している。

 がんばれ 麻生ジャイアンツ

http://www.asao-g.com/index.htm

グラブ

今まで、自分自身ひとつだけ、不思議で、自慢できるものがある。

それは、少年時代に、はじめて、父から買ってもらったグローブを、いまでも持っていること。

初めて、手にした自分の愛用のグローブ。

いっしょに、ふとんの中で、抱きながら寝たこともある。

そのにおい、手触り、感触がうれしい。

そのグローブには、マジックで、「21」と書いてある。

 当時、初めてチームから、いただいた背番号だ。

実は、この「21」は、監督さんから、今、空いている背番号、3つの候補から選んだ。

「21世紀まで、野球がしたい・・・」そんな、気持ちも、あったのかな。

「監督、僕は、21番がいいです」

 初めて買ってもらったグローブを、今でも、大切にしていること。

そして、これからも、大切にしていきたい。

目標は、少年時代のいちばん野球が好きだった頃の気持ちを、これからももちつづけたい。

「ぼくは、やきゅうが、だいすきです。」

    あおしま としお  21ばん