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本氣の円陣

 

雨の立川グランド。

春大会初戦の前日、母校立川グランドに立つ。

 雨が降る中、若き青年助監督のノックが、内外野の選手に放たれる。

この春大会には、彼らには、目に見える背番号はついていない。

母校野球部のグランドは、東京一、グランドの水はけがいい。

いや、全国一かもしれない。

母校のグランドの土が、懸命に僕たちを応援してくれている。

母校のグランドの土も、僕たち野球部の復活の時をじっと待っていた。

いや、いちばん母校野球部の復活を待っていたのは、立川グランドの土かもしれない。

二度の甲子園大会を経験させていただいた僕は、甲子園の土を、母校グランドの

内野のポジションに、そっとかえした。

21世紀も後輩たちが、続々、甲子園にもどってくるために。

雨が降る中、室内練習場ではなく、雨のグランドのなかで、投手を含めた内外野選手の熱気が伝わってくる。

3年生のファイターであり、キャッチャーの大きな声、気持ちの入った、コントロールされた正確な2塁へのスローイングが、グランドの選手に、さらに元気を与える。

僕は、一塁側ベンチの中に立ち、彼ら、一人ひとりを見つめている。

実は、見つめているだけでなく、一緒にノックを受けているように

体を動かし、選手と一緒に、『一球同心』で、一球に集中している。

ノック終了後、選手たちが、一塁側ベンチ前に、走ってくる。

選手たちを、手を上げ、ガッツポーズで、迎え入れる。

「そうだ!!

明日の、大会初戦は、俺たちの熱い思いにかかっている。

春大会に、ベンチ入り出来ず、不本意で、悔しい気持ちを迎え切れない選手も、いるかもしれない。だけど、ここが勝負どころだ。

そんな中でも、自分以外の他の選手をために、つくす経験が、人間の土台をつくる。

人間力をつける。

その力が、夏への原動力になる。

明日は、俺たちの力で、勝つ。

この春大会は、俺たちの、思い、人間力をぶつける。

俺たちの心には一人ひとりに、黄金のレギュラーの背番号が輝いている。

俺には、輝いて、はっきりと観える!

だから、明日は、胸を張って、球場に行こう!」

と選手に、呼びかける。

控えの選手と、心とこころで握手をする。

合宿所に入り、二人の3年生と、ミーティングをする。

「そうだ!

俺たちが、どんだけ、熱くなれるか、それで、この春大会は、決まるといっても過言ではない。」

応援リーダーでもある、1人の3年生の眼が鋭く光る。

「90人の部員が、一丸となって、春大会に挑んでいく。

君たち、二人が、本氣の応援の指揮をするなら、グランドの選手、スタンドの選手に

必ず伝わる」

お互いに、眼と眼で伝え合う。

本気の眼をしている。

合宿所内の、ミーティングルームで、3人で、円陣を組む。

現役とOB,選手とアドバイザーなど、そんな区別を超え、

一体となり、熱い思いを確認しあい、人間力をぶつけ合う

本氣の円陣だ。

二人の3年生現役選手と一人のOBアドバイザーが3人で、肩を組みあう

本氣の円陣だ。

「絶対俺たちの力で、チームをひとつにする。

目指すは、頂点!

立川の空から、神宮の空へ。

神宮の空から、甲子園の空へ!

 行くぞ!ノンストップ甲子園!

   勝つぞ!二高 甲子園!!

Go! Fight! Win !!」

3人で、本氣の円陣を組み、熱い思いを一つにした。

その本気の円陣を、監督も笑顔で見つめてくれていた。

本氣の円陣から、

いよいよ

立川の空から

神宮の空へ!

神宮の空から

 甲子園の空へ!!

 俺たちの熱い戦いが 始まった。

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【写真 東京高校野球.com】

3勝3敗

夏・秋の、甲子園を賭けた東京大会での決勝戦。

日大三高との対戦成績は3勝3敗の五分だ。

先輩たちは、東京大会の決勝では、日大三高に勝ち越していた。

昨年の夏で、日大三高は、追いついた。

いよいよ、これからが、ほんとうの戦いだ。

何ゆえに、先輩たちは、決勝戦で、日大三高を破り、優勝できたのか。

「決勝戦が、三高ならば、当然勝てる」とのイメージがある。

「負けない根拠は何なのか?」 「当然勝てる根拠は、何なのか?」

その問いかけが、

「俺たちには、負けない根拠がある」!「俺たちには、当然、勝てる根拠がある!」

という 究極の強気なスピリットと、あらたな試合展開を生み出していく。

21世紀、今度、そのことを証明するのは、君たちの番だ。

 

二高魂

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創刊から数えて、第3号の『二高魂』

この3月卒業した3年生たちの、魂の文集だ。

 部長、監督、助監督のメッセージも書かれている。

この文集を読むと選手たちがどれだけ、濃密な3年間を送ってきたかがよくわかる。ある面、21世紀のニコウ野球部の新たな歴史は、『二高魂』とともに始まったといえるかもしれない。

 3年生の魂の文集の中には、、自分の名前を書いてくれた選手もいた。

昨春大会に、大活躍した中軸の打者だ。

君の豪快な、あの構えが、どれだけ周囲に、希望と、ニコウ野球部の復活を彷彿させたか、計り知れないと思う。

 また、君には、厳しい試練の時もあった。

それを君は、しっかりと、乗り越えることができた。

『恩感力』という言葉がある。

恩を感じることのできる力だ。

 君の凄さは、打者としての打力以上に、恩を感じることのできる能力だと思う。

『恩感力』のある選手たちが、昨春大会も、そして、昨夏大会も、大活躍した。

僕自身も、『恩感力』をもっとつけていかなくてはいけないと、君たちの活躍をみて

あらためて気づいたんだ。

 これから卒業して、卒業生には、たくさんの甲子園の道がある。

大学生活の甲子園。

恋愛の甲子園。

就活の甲子園。

ビジネスの甲子園。

結婚の甲子園。

子育ての甲子園。

家庭生活の甲子園。

それぞれの甲子園の道が、待っている。

 そして、「君なら 出来る」

また 「勝たねば、ならない」

「君なら 勝てる。」

 あとに続く、後輩たちのためにも、自分のためにも、人生の甲子園で、

勝って、勝って、勝ちまくれ!!

偉大な卒業する選手たち、

    有難・敬愛・感謝!!

昨夏の西東京大会決勝で、あとに続く後輩たちのためにも、最後の最後にもぎ取った、3年生のあの2得点を、僕たちは決して忘れない。

≪卒業する、偉大なる準優勝の選手たちに捧ぐ≫

忘れまじ

 最終回の

   2得点

 輝く

  新たな道は

   遂に開けり

http://www.youtube.com/watch?v=DmIEzwbIToQ&feature=related

雨の三塁打

Dh0000252 <2010夏・西東京大会優勝まで、あと161日>

「打つのは、楽しい」

「走るは、尚楽しい」

昨年秋の、都立東大和高校との21世紀、夏の西東京決勝戦の再戦。場所は、母校の立川グランド。

雨振る中、当時の選手が、全国から集まってくる。

小雨降る中、両校の熱い戦いが始まる。

 2対2で、6回から、5番サードで、途中出場。

実は、初めて、地域の少年野球大会の試合出場は、5番サードで優勝する。

今でも、自宅の部屋には、当時の優勝の盾が飾ってある。

少年時代がよみがえる一瞬。

6回、ワンアウト、ランナー無しからの、初打席に入る。

公式戦(東大和との試合は、21世紀の公式戦)では、はじめての左バッターボックスに入る。

チームメイトからは「誰だ!」との声。

初球、インコースのストレートを、ドンピシャ、

ジャストミートして、ライトオーバーへ、3塁打を放つ。

この雨の三塁打は、心の恩師、都立東大和高校の佐藤道輔監督が打たせてくれたヒットだと思う。

三塁ベース上で、空(宇宙)を、見上げる。

都立東大和高校佐藤監督が、宇宙(そら)から、僕たちの試合を、見つめてくれている。

次打者のサードゴロの、一塁送球の間に、ホームへ突っ込む。

雨のグランドで足がすべり、ベースのかなり手前で転んでしまいヘッドスライディング。

「セーフ」

勝ち越しの3点目が、入る。

雨のグランドでの、ヘッドスライディング、そして泥だらけのユニフォームと顔。

思わず、嘲笑の笑いもあった。

懸命に、雨のヘッドスライディングで、泥だらけのホームイン。

でもいいんだ、きっと佐藤監督が、一番喜んでくれる、雨の中の、泥だらけのユニフォーム姿だから。

そして、現役時代と同じだ。

練習を終えたとき、ユニフォームがきれいな日など、一日もなかった。

やっぱり、ベースボールの原点は、打つこと。

野球の原点は、守ること。

打つことは、楽しい。

走ることは、なお楽しい。

 打って走る。

投げて、守る。

21世紀の高校野球は、この順番でいきたい。

<21世紀の決勝戦のスコアーブック>

http://blogs.itmedia.co.jp/katabami/files/nichidai2-tohigashiyamato_score_20091025.pdf

<心の恩師 元都立東大和高校監督 佐藤道輔先生に捧ぐ>

恩師と

共に打った

 三塁打

雨のグランド

 空から見つめん

    感謝 合掌

   

Dh000007

http://www.youtube.com/watch?v=-t_LJuXDjiM&feature=related

大優勝旗

Dh000060_2  冬の立川グランドでは、秋大会から、進化した選手の姿があった。

  練習の合間に、チームのキャプテンと、グランドの真ん中で、優勝旗授与のリハーサル(練習)をした。

僕自身、夏の西東京大会の優勝旗は2度、この手に感触が残っている。

真冬の立川グランドで、真夏の神宮球場で、授与される優勝旗の手ごたえ、重さをキャプテンと、一瞬分かち合った。

もちろん、手元には、実物の優勝旗はない。

ただ、先輩たちが受け継いできた魂を、後輩たちに伝授する思いで、優勝旗授与(練習)を行ったのだ。

キャプテンに、「真夏の神宮球場のスタンドにいる、応援してくださる方々に、優勝旗を見える角度に持ち上げてくれないか」とリクエストした。

キャプテンは、優勝旗を、すこし持ち上げてくれた。

新チームも、ホップ、ステップ、ジャンプの道のりだ。

「優勝したい」レベルでなく、、「優勝できる」の段階。、

さらに上の、「当然、優勝する、優勝して当然。」の段階(勝負するからには、ここまで行かなくては)がある。

真夏の頂点を極める戦いが、すでに始まっている。

 大優勝旗は、まだ、手にしたことはない。

後輩たちが、いつの日か、つかむであろう大優勝旗を、一度、自身の両手で握りしめてみる。

その日を、心に強く念じて、新しい春を迎える。

 日大二高硬式野球部、21世紀の黄金期が、いよいよ 始動する。http://www.youtube.com/watch?v=gr2xcqIjf6w&feature=related

今年のニコウ野球部のイメージぴったりの曲『君という名の翼』(コブクロ)です!

夢力

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 12月、冬のニコウ立川グランドで野球交流会(少年少女野球教室)が、行われた。

小学生を対象とした、軟式野球ボールを使っての野球教室だった。

高校生が指導にあたる。

4グループにわかれて、それぞれの練習プログラムを行う。

僕は、少年少女の選手たちに、

一、夢☆宣言

一、野球の護身術(?!)

一、夢☆呼吸法

の3つのアドバイスを行った。

 夢宣言では、小学生たちが、堂々と手を上げて、自分の夢を大きな声で語ってくれました!また、いじめなんかに負けないように、野球の護身術も披露しました。

高校生相手にした、野球の護身術の実演では、子供たちから、歓声があがりました!

野球教室の最後に、寒い中、練習を見守っていたくれた、お父さん、お母さんに、選手全員で

熱いエールを送りました。

 少年少女(小学生)選手へのメッセージ

『夢があるから、がんばれる!

  明日に輝け!

   めざせ!君だけの

           甲子園!!

          by ニコウ野球部』

野球教室

  Dh000025_2                                                                                        

またひとつ、夢が叶った。

ニコウ野球部が、少年少女野球教室を企画、実現させます。

12月20日(日) ニコウの立川グランドで、小学生を対象とした少年野球教室が開催されます。(女子も参加します!)

ニコウの地元杉並区の小学生、その他の地域の小学生、100名を超える野球教室です。

 僕も、アドバイザーとして、参加させていただきます。

僕のアドバイスのテーマは、「Wakuwaku89(ワクワク野球)」

 「エラーしても、ガッツポーズ」です!

子供たちの「夢の実現」のお手伝いをさせていただきます!!

ストッキング

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母校野球部のストッキングは、紺青に真っ赤な2本のラインが入っている。

真っ赤な2本のラインは、『熱き情熱』の心を表し、、紺青は冷静な思考を表現しているのだと思う。

1本目の赤のラインは、チームの目標である、ひとつの球に、全選手が心を、ひとつにできる力をあらわす。

2本目の、赤のラインは、選手ひとり、ひとりの目標を達成させる力だと思う。

君だけの甲子園、君のベストがイメージされている。

 ニコウの伝統のストッキングに込められた、

『赤き熱き心と、青き冷静な思考』で、チームの目標、個人の目標を、ともに完遂していこう。

http://www.youtube.com/watch?v=Cm69en5-P4c

3人のエース

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高校の現役時代に、同級生には3人のエースがいた。

秋のエース、夏のエース 冬のエースの3人だ。

冬のエースは、一番苦労したから、冬のエースと、僕らが名づけた。

冬のエースの彼は、秋大会と春大会には、ベンチ入りした。最後の夏大会は、違う場所でチームをサポートしていた。

しかし、彼の気持ちは、最後まで切れなかった。

「甲子園大会では、ベンチ入りする」という彼の不動の決意があった。

昨今の高校野球の悪しき慣習の6月から7月初旬にやる、「3年生の引退試合」とは対極にある決意だった。

結果的には、その夏は、地区予選準決勝で敗退したが、彼の心は、夏の甲子園のマウンドにあった。

彼はひとり、枯れるまで、人知れず涙を流し、大学野球でのリベンジを誓う。

3年の夏ベンチ入りできなくても、「やれば、できる」という姿を、後輩たちに示すために立ち上がった。

東都大学野球など、複数の他大学を受験した。

3つの大学に、現役で合格した。

彼は考えに考え、首都大学野球1部リーグの大学に入った。

そこからが、彼の真骨頂だ。

高校の同期の秋・夏のエースと、大学のリーグ戦で投げあい、堂々と投げあい勝ったのだ。

大学野球リーグ戦の通算勝ち星で、高校時代の同級の秋のエース・夏のエースより、一部リーグで勝ち星の数を上げたのだ。

高校時代の冬のエースが、大学リーグでは、桜花爛漫の春のエースになった。

 真の勝負は、目先の勝ち負けではわからない。

そのことを、冬のエースから、春のエースになった彼から学んだ。

 ニコウには、こうのような先輩が無数にいる。

だから、君が、いまどんな状況にいたとしても、最後の最後まで、君だけの甲子園を諦めてはいけない。

 青春の

   夢と憧れ

     甲子園

<再び立ち上がる、ニコウ野球部の選手に捧ぐ>

http://www.youtube.com/watch?v=zkaqrjkwvys&feature=PlayList&p=49920DE313893A7A&index=1

ベスト8

試合シーン

「この秋、堂々のベスト8だ!」

夏は,右の剛投手、秋は、左の柔投手と対戦することができた。

<写真 高校野球.com>

 頂点を目指す過程には、様々なタイプの投手と対戦しなければならない。

「失敗ではなく、経験をした」

思えば、前々回の甲子園大会に出たチームの、秋大会では、相手チームの左腕に翻弄され

まったく相手左腕投手に、打者が手が出なかった。

場所も同じく、神宮第二球場だった。

そのくらい、秋の段階では、持ち味のある左腕攻略は、難しい課題なのだ。

このチームは、夏と秋に、いい経験を積むことができたと思う。

先輩たちも、秋の悔しさをバネに、春と夏へ、着々と力を着けていったのだ。

 次の春、そして夏へ、につながる試合だ。

いい経験をすることができた。

これからの秋から、冬へ、そして春へ。

ひとまわり、ふたまわり大きくなる二コウ野球部の真価を問われるのは、これからだ。。

中京大中京

 昨年から、母校野球部には若き青年指導者が、助監督を務める。

ベンチのムードが更によくなる。

彼は、全国の名門、夏の甲子園大会で全国制覇最多の優勝を誇る、愛知の中京大中京高校野球部の出身だ。

ニコウ野球部には、ニコウ野球部部だけでない野球文化が入り融合していく。。

他の名門高校の指導者を受け入れて、ニコウ野球文化に取り入れていく。

彼は、この夏、母校中京大中京高校の甲子園での活躍を、瞼にやきつけた。

また、甲子園で活躍する強豪高校をつぶさに観察していた。

 ニコウ野球部の中に、他の高校の野球文化受け入れる器がある。

この秋も、中京大中京高校の野球エッセンスが、ニコウ野球部に入っている。

これで、強くならないほうが不思議だ。

彼のサポートや指導なくして、ニコウのV字の復活はなかった。

ニコウ野球に、中京魂がはいる現在のニコウ。

新世紀 新時代、21世紀の快進撃は、止まらない。

http://www.youtube.com/watch?v=Km-ViZ0uxGo&feature=related

連続完封

秋の本大会、連続完封で、ベスト8進出。

チーム投手陣が、本大会でも、いかんなく力量を発揮する。

ニコウ投手陣が、いちばん大切にする基準は「何か?」

コントロール、スピード、球の緩急、その他 いくつかあるピッチングの要素で、一番重要視する基準は何か。

それは、ズバリ 「球のキレ」だ。

この秋の大会も、「球のキレ」で勝負する。

チーム投手陣の活躍する舞台は、これからが本番だ。

チーム投手陣は、さらに「球のキレ」に磨きがかかる。

マウンド経験豊富な3本柱のチーム投手陣が、東京の最高峰を目指して、投げ抜いていく。

 昨年春から、夏への貴重なマウンド経験は、この秋以降の糧だった。

連続の

 完封勝利で

   ベスト8

  更なる

    頂点

    粘投で勝つ

(連続完封の、ニコウのチーム投手陣に捧ぐ)

http://www.youtube.com/watch?v=W49FmsGWYkQ&feature=related

投手陣

絶妙な
テンポで
投げる秋大会

新たな
ニコウの
球史が始まる

(秋の本大会を好発進のニコウ野球部 へ)

http://www.youtube.com/watch?v=Zmn6pOU7wuo&feature=related

21世紀の選抜初出場

ニコウ野球部の、選抜大会初出場から、半世紀。

そのセンバツ出場を決めた、前年秋の大会では、

準決勝   日大二 2-0 早稲田実
決勝    日大二  1-0 日大三

連続完封で東京大会を制覇する。

それが、翌年春の選抜大会初出場につながる。

 球史は、いつの場合でも、好投手の出現から始まる。

そして、半世紀後、新たな好投手陣を擁して、ニコウ野球部が

新たな歴史をつくる。

この夏 7月11日 午後7時31分、ニコウ野球部の室内練習場で、全部員90名一人ひとりの、今後の決意を聞くことができた。

その中で、ただ一人だけ甲子園出場ではなく、「僕の夢は、全国制覇することです!」と声高らかに、宣言する2年生投手がいた。

僕は「そうだ!君の夢は、甲子園に出場することではない。甲子園出場は通過点にすぎない。君は、君らしく、甲子園で勝つ野球をすることなんだ」と僕も、心で叫んだ。

そして

「君ならできる。」

ここまで、どんなに苦しくても、これは、天から与えられた、君への試練だ。

けれど、君のメンタル力なら、必ず復活できる。

東京NO.1、そして全国へ。

甲子園が、君を待っている。

http://www.youtube.com/watch?v=EUR0aAxB_bM

 

土壇場力

秋大会も本番。

田中監督の隠されたすごいところを、ここでは、ひとつだけ紹介します。

現役選手にとって、田中監督の有難さは、最後の最後に解ると、僕は思っています。

田中監督のすごいところは、万が一部員が、「野球部を辞めたい」と申し出たとき、どんな部員であれ、「辞めるな!辞めても、君が成長できるとは思えない」といって、懸命に、真剣勝負で選手を、引き止める監督なんです。

入部した部員は、最後の最後まで、平等に見守り、育てる監督さんです。

田中監督は、第60回大会は、コーチとして甲子園を経験しました。

そのとき指導した1年生は、64回大会に、甲子園に出場しました

息子さんは、甲子園に出場されました。(3年時は、日大三高の4番です。2年の夏には、ハンカチ王子、早実の斉藤祐樹投手から、神宮第一球場で、ライトスタンドにホームランを放ちました)

 短期間に、東京ベスト8、ベスト4、準優勝に導いた、半端ではない情熱ののある監督さんです。

ズバリ、甲子園に賭ける情熱は、日本一の監督さんです。

その指導者のもと、ニコウ野球部は、入学条件も、入部条件も、皆同じです。

「野球が大好きで、甲子園を目指すものなら、誰にでも、チャンスがある野球部です!」

これが、僕らの誇りと伝統です。

ここから、ニコウ選手の底力と夢力が湧き上がるのです!

さあ秋の陣!

 激戦を

  勝ち超え

     堂々

      甲子園へ

 

そして、もうひとつの戦い、ニコウ受験生へ

  ニコウ 野球部は

     野球だけでなく、

       青春の大切な

        宝を掴める  

          野球部です。

    今、懸命に勉強し、

       来春は、立川のグランドに立つ

         甲子園のグランドに立つ

      君の姿を、一日も早く、観たいです。

http://www.youtube.com/watch?v=iV_-F4HqZOA&feature=related

参謀の力

 

チーム(組織)を機能するには、参謀の力が不可欠だ。

横浜高校野球部の渡辺監督の参謀には、小倉部長がついている。

日大三高野球部の小倉監督の裏には、三木助監督がいる。

かつてニコウ野球部には、高本監督の参謀に、上野助監督がいた。

監督ひとりの力で、どうでもなるものではない。

すべての事を、監督にゆだねることは、高校野球の現場をしらないたわごとだ。

チーム力は、監督ひとりの責任ではない。

チーム(組織)を機能させる、参謀の力

あらためて、チームの参謀力がどうか、強豪高校の野球部に問われることだと思う。

この秋も、勝負の表舞台に出ない名参謀が、勝利の流れを引きつけるのは間違いない。

本大会

 

Img04 秋のブロック戦いに勝利し、いよいよ 本大会へ。

今の2年生は、準決勝、決勝大会を経験し、優勝することのイメージが出来ている。

【写真 高校野球.com】

 頂点への道を歩め!

   「練習は実戦、実戦は練習」

  Go!Fight!! Win!!!戦いは、これからだ!!

   

   

約束

Img18 

夢の約束を果たす時・・・」

この春、「三塁コーチャーを、みてくれないか」という田中監督の要請を受けて、母校の立川グランドに立った。

その瞬間、「強かった時代の伝統は、よみがえっている」と肌で感じることができた。

写真【高校野球.com】

助監督以来、はじめて母校野球部のグランドで、レギュラーチームにコーチングをさせていただいた。

この春、一番はじめにやったコーチングは、キャプテンへの優勝インタビューの練習でした。

マイクを差し出して、

「 準々決勝、日大鶴ヶ丘、準決勝 日大三高、決勝の早実高校を、撃破しての西東京大会での優勝、大変おめでとうございます」

「(笑顔)ありがとうございます!」

「キャプテンとして、、また、三塁コーチャーとして、ここまで、苦労があり、チームのどこに壁があり、またそれを乗り越えて来ての優勝だったのですか・・・・」

「はい、それは・・・・・・・」

という練習でした。

(※この夏は、準決勝終了後、キャプテンのインタビューが、テレビで放映されました。

多くのOBが、堂々とした、ニコウらしい、受け答えだったと褒めてくれました)

また、夕方、選手全員が、三塁コーチャーになり、それは、元気よく声をだし、ベースランニングしましたね。

春大会中、別の日に、メンバー以外の選手に、室内練習場で熱く語りました。(熱くなりすぎました・・・・ごめん)

「君のポジションは?君の心の中にある、背番号は、何番がついているのか?」

「センターです。8番です」

「 そうなんだ!だから、胸張って行こうよ!」と・・・・

そして、春大会中に、全ての選手と、夏の西東京大会の決勝を勝利した瞬間に、神宮球場でやる、ある事を約束しましたね。

ベンチ入りの選手も、スタンドの選手も、神宮球場での決勝戦終了後、すぐにやる、ある事ですよ。

(覚えていますね・・・・)

この夏、7月11日も、田中監督のが声をかけて下さり、、夕方室内練習場に行きました。

そこで、再度、夏の西東京大会、神宮球場の決勝戦の優勝の瞬間、すぐにグランドの中でやる、ある事を、ニコウ野球部員全員90名、そして、今度は、父兄を含めて、ある事を約束しました。

みんなで、ひとつになり、元気よく、何回も 練習もしましたね。

「西東京の決勝の神宮球場と、甲子園で試合勝利後、ある事を行う約束。」

選手のみんな、ベンチもスタンドの選手も、それに、父兄の皆さん、OBの皆さんも、準備はいいですか!

 これからも、みんなとの約束である、あることをするために、(みんながやっているかを確認するため?!)試合場に行きます。

もちろん、僕も優勝試合終了後、あのことを誰よりも、いちばんでやりますよ。

「準備は、いいですか!」

「楽しみです。」

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=8gLulH_bjgI

9回2死から

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この夏の、西東京の決勝戦は、西東京の勇者 日大三高校との試合。

序盤で、三高の猛攻を、ニコウ投手陣が迎えられず、試合を決定付けられる。

しかし、ニコウの次の時代につなげるための攻撃が、9回2死から始まった。

9回2死、ランナー1・3塁から、サードで6番打者が、左中間へ ジャストミートの鮮やかな2塁打を放つ。

2点が入る。

彼は、この春の大会、センバツ帰りの国士舘高校戦(5対7)で、チャンスに一打がでず、

試合後、いちばん悔しさが伝わってきた選手だ。

その彼が、春の雪辱で、この夏の大会では、いいところでヒットを打つことができた。

ニコウの新たな歴史は、この9回2死から、2点から始まる。

いつの日か、あの決勝戦の、あの2点があったから、今のニコウの栄光があるという日か、

必ずやってくる。

9回2死からの2点、二コウ野球部の新たな歴史が始まった。

新時代

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昨年、公立高校(都立)のスポーツ推薦制度を活用するため、中学生の選手を練習見学に連れて行った。

公立高校でも、スポーツ推薦を実施する時代に入っている。

この夏の、決勝戦をバックネット裏で、観戦して思ったこと。

母校野球部でも、スポーツ推薦、野球推薦制度を実施する段階に入ったということだ。

ただ、野球の技量がいいだけではなく、人間的にも、ひたむきな中学生。

性格的には、素直で負けず嫌いな選手がほしい。

 21世紀の新時代には、母校野球部でも、スポーツ推薦、野球推薦の枠の確保が必要となる。

その実現のためにも、微力であっても全力を尽くしていきたい。

http://www.youtube.com/watch?v=M0Ne3nBrNPA

甲子園の道

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「二流・三流を見ていたら、一流はわからない。

一流を見ていたら、二流・三流は、すぐわかる。

鑑識眼がでてくる。

だから、最初から、最高のものに触れるべきです」

凱歌をあげよ、胸を張れ!

悔しさが、甲子園への道を開く!!。

21世紀甲子園の道は、いったん開いてしまえば、そこまでの到達点までの仕方がわかるようになる。

大学野球部との試合

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僕らの夏大会前、6月は大学の野球部(新人の1・2年生選抜)との練習試合が毎年組まれていた。

東京六大学、首都大学野球、東都大学野球リーグ、

すべて、OBがいる大学野球部だった。

こちらから、大学のグランドへ向かった。

慶応大学野球部のとの練習試合。

恒例の明治学院大学野球部との練習試合。

国学院大学野球部との練習試合。

大学生との練習試合は、高校生との試合とは違ったものを得ることが出来る。

大学生は、木のバットを使用する以外は、通常のルールだ。

時には、大学3年生や、4年生が、マウンドにたってくれる(サービス?)もあった。

投手のスピードの違い、打者の打球の違いなど、大学野球部との交流戦で、高校野球ではない、投手のボールを打ったり、打球を処理したりする生きた練習ができた。

高校の頂点を極めるだろうというチームでさせ、普段、こちらは大学生と試合をしていたので全然 苦にならなかった。

高校野球の基準でだけでなく、大学野球(にも負けない)基準作りができた。

これは、大きかった。 

そして、、大学生が、立川グランドに来て、バッティング投手を務めてくれたりした。

大会前から大学生相手に野球をやっているので、大会に入っても、高校生のチームでは、強さは感じない。

高校のベスト4までのチームは、3年間、相手の野球が気にならなかったように思う。

21世紀になり、再び、大学生との交流戦などがあれば、現役選手もいい刺激・経験になると思う。

切磋琢磨

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「習うより、慣れろ!!」

真夏の西東京の決勝戦。

選手の健闘と、これからのことを考えて、観戦していました。

決勝から先に必要なのこと。

【写真 高校野球.COM 】

これは、今まで一貫していた考えでしたが、今回それが確信に変わりました。

決勝の投手の140キロ台のストレートと、変化球。甲子園に出てくる投手は、140キロ台のストレートがあります。

 僕らの時代には、センバツ大会の速球王(今で言えば、岩手花巻東の菊池投手)を、夏大会前に、立川グランドに招き、練習試合を行いました。

ブルペンで見させていただいたストレートの速さ、試合での威力は、いまだに脳裏からはなれません。今でも、各打者の脳裏に焼きついているほどです。「あの速球を打つにはどうしたらよいか」、「あの変化球を打つにはどうしたらよいか」という日々の練習のテーマもできました。

 逆に、センバツの速球王と切磋琢磨する中で、ストレートの速さには、各打者には免疫(基準)ができ、その後は他校との速球派の投手にも気後れすることは、ありませんでした

さらに、決勝の打球の速さです。

決勝戦のプレッシャーもあったのか、三高の打者の打球に、内野・外野の野手が一歩反応が遅れていました。

昨秋の定期戦後に、内野手が、「三高の打球の速さ」の違いについてコメントをくれました。

僕たちの先輩等らは、東海大相模の原選手(現巨人監督)と練習試合を行っていました。

原選手のほかに、津末選手、村中投手、岡部投手など、超高高級の打球、投球を、肌で感じていました。

「速球と変化球」「打球の速さ」へ対応、これは、理屈ではなく、体感、経験でつかむしかありません。 各選手が、球速と打球の基準をつかみ、基準をあげるしかありません。

西東京大会、昨年のベスト4 この夏の準優勝、この実績から、あらたなネットワークがひろがり、特に春大会以降4月の下旬から、5月と6月と大事な時期に、強豪高校との切磋琢磨から、何かをつかんでくれればと思います。

(※ OBとしても、大会の結果だけでなくだけでなく、大会に向けてのチーム力、仕上がりを客観的につかむ上で、強豪高校との試合経過は、貴重な情報となります。プロセス(強豪高校との試合経過) の大切さ、そして、結果(大会成績)。 大会成績は、運も左右されるので、それだけでは、一喜一憂はしません。)

新チーム

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新チームは、秋大会向けて、決勝の試合(7月30日)が終わった瞬間から、スタートした。

はやくも、8月1日より、静岡遠征・合宿が始まる。

一言で言えば、この新チームは(2年生・1年生は)、非常に期待できる

写真【高校野球.com】

夏大会は、半分は、2年生・1年生がベンチ入りする可能性があったほどだ。

今年の一年生は、入部したときから、意気込みの違いを感じた。

熾烈なレギュラー、ベンチ入りのための戦いが始まる。

 内野手に、動きのいい選手が目立つ。捕手も、経験さえ積めば、期待できる。投手も、夏大会ベンチ入りした3人が残る。

2年生も、これからのために、いままで、力を蓄えてきた。

新キャプテンのもと、秋大会、センバツ目指して、チームが始動した。

ホップ(ベスト4)、ステップ(準優勝)、ジャンプ(優勝)の軌道へ、確実にチームは入っている。

勝負の秋(とき)に、ニコウ球児の活躍が瞼に、早くも浮かんでくる。

 

笑顔と元気

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この春、入部した女子マネジャーには、笑顔と元気がある。

「マネジャーがいいときは、チームの状態がいい」と、先輩から常々教えられた。

この夏大会 、3年生の女子マネジャーは、一人。

下級生のマネジャーを指導し、選手のサポート役に、いままで徹してきた。

写真【高校野球.com】

この夏の大会、『東京選手名簿』の中で、大会への抱負として、彼女はこう綴ってくれた。

「 あと一歩のところで手が届かなかった去年の夏。

あの悔しさをバネに、自分たちらしく、『粘り』の野球で古豪復活を誓います。

家族よりも長い時間を共にした大切な仲間たちと、最後の夏を最高の夏に、全員野球で戦い抜きます。」

と書かれていました。

古豪は、たしかに 復活しました。

あとは、これからの後輩たちが、さらに続いていきます。

後輩たちも、先輩マネジャーの後姿から、たくさんのことを学んできたと思います。

これからも、いつまでも、ニコウ野球部を応援していってください。

記録員と学生コーチ

Img02 「(甲子園の) 写真が、2枚ポケットに入っています

真夏の神宮球場の決勝戦の直前に、この大会に記録員としてベンチ入りした3年生が、

僕に声をかけてくれた。

写真【高校野球.com】

準決勝の試合前に、彼に渡した 甲子園の2枚の写真のことを話してくれたのだ。

田中監督の最も信頼する選手の一人。

彼の姿を、春季大会から、ずっと見続けてきた。

 この夏の大会も、彼は、記録員でありながら、ユニフォームを着て、常にベンチ入りしていた。(記録員は、制服とユニフォームの着用を選択できる)

だから、背番号はついていない。

90名の部員の中から、選ばれた記録員としての役割をもった彼。

ただ、彼は、ただの記録員ではなかった。

 試合前の練習では、ストップウォッチを左手に、右手にメガホンで、20名の選手に

大きな声で、指示を出し続ける。

試合中も、相手チームの打順表を、大きな声をともに、ナインに伝えていく。

スコアーブックは、常に、立ちながらつけている。

その姿は、まさしく 学生コーチ、新人コーチそのものだった。

母校野球部は、この夏の部員数は、90名。

来年は、100名を越えるかもしれない。これからは、各学年、彼のような、学生コーチ、新人コーチの役割をもったメンバーが、監督の分身として、同級生や、下級生の指導にあたることが必要な段階に入ったように思える。

もう一人、忘れられない3年生がいる。

応援では、サブリーダーのような役割を、していた彼だった。

立川のグランドへいくたびに、彼のプレーが目にとまる。

ポジションは、ファーストだ。

つねに、懸命にボールを追いかける彼。

ノックの最中、誰よりも、声をだし、チームのみんなを盛り上げる。

練習の合間の、準備では、率先して、走り回る。

春大会でも、各選手の名前や応援歌のボード、応援する方々に、見やすいように、グランドの選手に背を向けながら、伝えていった。

 僕は、大会直前まで、彼は2年生かと思っていた。グランドの中の、移動も常に走り回り、ユニフォームを泥だらけにしながら、練習に励む姿をみて、2年生だとおもってしまった。

3年生と気づいたのは、この7月11日の、室内練習場であった時、「3年です」といわれ

はっとした自分があった。

 この夏の大会も、彼は、スタンドで、彼ができるすべてのことに、完全燃焼していった。

彼に 「大学でも、野球を続けるのか?」と質問をすると

「僕は、審判を目指そうと思うんです」

という答えが返ってきた。

「そうか、君なら、立派な審判に必ずなれるよ。

君こそ、二コウ野球部の甲子園の心を体現した選手なんだから・・・・」

 僕は、90名もの選手の中に、たとえ表舞台に立てなくても、自分の甲子園を目指し、最後まで戦い続けた選手がいたことを、誇りに思う

二コウ野球部員に 甲子園の心と、夢力がある限り、母校野球部は、これからも、必ず発展していくことだろう。

夢の続き

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完敗でした

神宮球場での真夏の西東京決勝戦は、大差で母校野球部を退け、日大三高が甲子園出場を決めた。

写真【高校野球.com】

「試合前、試合中でも、選手に笑顔が見える三高」をはじめてみました。いつもは、まるで修行僧のような、試合前や試合中、打っても、投げても表情を、あまり出さない三高が自然体の笑顔で、(高校生の表情をした、三高選手をはじめてみました?)始終プレーをしていました。リラックスしたチームの雰囲気が、潜在能力が高い選手たちの能力を、さらに出しきることになったと思います。

それに気づき、準決勝の後、選手を指導した日大三の小倉全由監督は、見事でした。

 ニコウの選手も、持てる力は出しきったと思います。

再三のピンチに、エースの選手が、投球の合間に、帽子のひさしを、左胸のNマークのところにあてていました。

僕は、知っています。

彼の帽子のひさしの裏には、「全員野球」の4文字と、ベンチに入れなかった選手、3年生全員の名前が、書かれていたことを・・・・。

そして、逃げずに、強打者に挑んでいきましたね。

ありがとう

 6回表一死まで、ニコウ打線は、パーフェクトに抑えられていました。

そこで、出てきたのは、途中出場の、一番大きな背番号の3年生。

5月の最後の日、君と立川グランドであった時、君は松葉杖をついていました。

突然の怪我です。

夏大会のメンバーを、決める時でした。

去年の秋、三高との定期戦で、君のプレーをはじめてみて以来、ずっと応援していました。

しかし、松葉杖の君に、僕は、一瞬声をかけることができませんでした。

僕から、離れない君に、「よし、メンタルノックやるぞ!」といいました。

「目をつぶって、今から、ノックするから、イメージの中でプレーして。

土のグランド、正面のゴロ。はい、捕って、一塁へ。

はい、次は、ベースよりのゴロ、とって、一塁へ。

次は、人工芝のグランドで、2塁ベースより、ゲッツー。

次は、メンタルのバッティング練習やるよ・・・・・」

「いいか、怪我してたって、やれる練習は、たくさんあるよ。

体が動かせないから、かえってやれる練習、実行のチャンスがあるんだ。

体を動かすことができないときは、逆に、野球の考えを深めるチャンスなんだ。

(『考える野球』という本を、僕のバックからだし、)この本を、プレゼントするよ。

この怪我のときが、「考える野球」を学ぶ絶好のチャンスだよ」といいました。

その彼が、一番大きな背番号をつけて、決勝でも、途中出場しました。

最終、最後ギリギリで、メンバー入りしました。

それだけでも、僕にとっては、キセキでした。

その彼が、いつものように、ヘルメットのひさしを深くさげ、ここまで、パーフェクトピッチングをする相手投手を、睨み付け打席に入りました。

6回表一死から、  彼はジャストミートで、見事チーム初ヒットを打ちました。

ほんとうに、「キセキ」でした。

ありがとう

そして、最終回、大差を離されても、スタンドの応援は、初回から、最後まで、最高のボルテージでした。90名全選手の思いと、応援してくださるすべての人々の思いがひとつになり、

点」をもぎ取りました。

対19

この点は、ニコウの「粘り強い野球」の点であり、夢の続き、全部員90名でとった点です。  

今回は、準優勝でした。

けれど、これからの君たちの人生では、準優勝の「準」をとり、優勝していってください。

ありがとう

後輩たちが、いつの日か、近いうちに、必ず三高の壁を破り、を実現させていきます。

 日大二000000002=2

 日大三32904010×=19

PS

神宮球場で決勝戦が終わった瞬間やる、約束「ある事」は、秋まで、お預けだね。

http://www.youtube.com/watch?v=H09SpfPJ5z8

夢の力

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「なぜ、最強のチームに勝てたのですか?」

と、ある先輩に尋ねた。

母校野球部は、20世紀 初めて、センバツ大会に出場した時に超えた最強チーム。

20世紀の最後の夏にも、乗り越えた最強チーム。

写真【高校野球.com】

常に、母校野球部の甲子園出場の前にあった最強の壁、兄弟校の日大三高

先輩は、短く答えた。

「夢の力だ」

「夢の力?」

「そうだよ、ニコウ野球部には、夢の力が集まっているのが伝統なんだ。

野球が好きなものは、誰人だろうと受け入れる。

入学試験も平等だし、入部条件も平等なんだ。

甲子園という夢』があれば、だれでも入部できるんだ』

さらに、

「シニア・ポニーリーグの硬式だけでない。軟式野球、少年野球の経験者。さらには、

中学時代に野球経験のない者さえ、入部することがある。

入部条件は、『野球が大好きで、甲子園という夢がある』かどうかと、いっても過言ではない。指導者は、全部員の夢を、体を張ってでも、諦めないように、無意味に辞めないようにサポートするのがニコウの伝統なんだ。

だから、毎年、附属の日大二中の軟式野球部からは、たくさんの球児が入部する。それを、受け入れる伝統がある。いわば、中学と高校が、こころひとつで選手を育成する。

今年のチームも、日大二中の軟式野球部出身6人がベンチ入り(そのうち3人がレギュラー)した。その伝統は、21世紀になっても、変わらない。20世紀、東京の予選決勝で、三高を完封し、夏の甲子園で、センバツ大会優勝チームを連続完封したのは、日大二中軟式野球部出身のバッテリーだ。」

そして

「ニコウ野球部員には、の力がある。

いろんな選手が、集まる合衆国のような野球部。多様性の価値観があるんだ。創意と工夫が常にある。柔軟性がある。それに対して、日大三高野球部は、どちらかというと中学時代のエリートが,大阪など全国からあつまるチーム。その伝統、目的である、人間形成と目標である優勝への意識は、それは、とてつもなく高い。それは、全国球児の模範だ。ただし、民族で言えば、単一民族のようなところがある。画一的な面があり、時に硬くなりすぎる。多様性がないような見えると時がある。だから、実力を発揮できないで終わる場合もある。」

さらに「ニコウのは、自分たちだけのでない。、野球の大好きな者が、平等の入学条件、入部条件をへて、甲子園を目指す。一生懸命に・・・・・。

その選手の一生懸命な姿を通して、周囲の人々に、『夢感動』を与える野球が、ニコウの野球なんだ。

一生懸命をプレーが支えてくださる人々や、他の公立高校や、私学の高校野球部の球児に、、全国の球児にまでに、『勇気と希望』を与えることのできる野球なんだ。」

「ニコウに、できるなら、俺たちにも できる。Yes,We Can !!なんだ」

だから、レギュラーであろうと、ベンチ入りだろうと、スタンド選手であろうと、ニコウ野球部員の根底には

夢力』がある。は楽しい。野球を楽しむ力があるんだ」

「根底で、どっちが、試合という試し合いの場で、楽しんで野球をやっているのか」

夢力は、目標や目的を超えることができる。

夢力は、チームがひとつになれる。

夢の力で、先輩たちは、強豪である、最強チームに勝つ事が出来たんだ」

明日の超決勝は、目標・目的意識の力 対 夢の力との試合になる。

最高の相手と、最高の仲間と、最高の応援で戦う、楽しい夢力を発揮する場になる。

「ニコウの野球部員の夢は、見るものではなく、、掴み取るものなんだ!」

「夢の力で勝ち進む!!」

ニコウ球児の夢力の伝統は、21世紀も続いていく。

http://jp.youtube.com/watch?v=8gLulH_bjgI

原点

試合シーン

写真【高校野球.com】

「イチ・ニー!イチ・ニー! 

イチ・二・サン・シ・二 コ オ ー!!」

立川グランドで、列になりランニングする、総部員90名の声が、ひとつになり響き渡る。

2年前の夏に、田中監督が現役時代(僕たちの現役時代)の伝統の掛け声に、戻した。

 2年前の夏、、久しぶりに母校野球部は、バランスのある力を備えて、期待できるチームをつくりあげ、大会を迎えた。

しかし、その大会待っていたのは、緒戦で、9回に、大量5点をもらい、一瞬でひっくり返えさせられるという、まさかの短い夏だった。

今の3年生は、1年生の時、その先輩の「まさかの涙」を見ながら、立ち上がったメンバーだ。

そして、チームは、原点に戻った。

ランニングの際のかけ声も、原点にもどり、田中監督の時代の声の出し方に戻したのだ。

そのかけ声は、秋大会に、総部員9名プラス1名(秋大会)で、日大三高に挑んだ時代に出していたかけ声だ。(主将の嶋先輩・中村先輩・爪川先輩の2年生と、田中現監督・大場先輩・早川先輩・大竹先輩・内林先輩・松本先輩の9名の部員、そして阿久津女子マネジャー)

 厳しい練習に耐えたものだけしか残らなかった時代、80年の伝統がある母校野球部で、部の存亡がかかる厳しい秋(とき)でもあった。その時の、9名の選手は、一人が10人分の働きをし、日大三高に挑んでいった。

そして、20世紀の、総部員9人の時代から、21世紀に、総部員90名がひとつになって、互いにリスペクトもしながらも、、夏の決勝の永遠のライバル 日大三高に、挑もうとしている。 

時代や環境、部員数は、変わっても、二コウ野球部に流れる「熱い気持ち」は、

過去も・今もそして、これからも変わらない。

超決勝へ』 ニコウ野球部の新たな時代を創るべき、瞬間がやってきた。

超決勝

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今日は、決勝戦なんだ

準決勝の試合前に、キャプテン、記録員(学生コーチ)、女子マネジャー、応援リーダーたちに、甲子園の写真を渡しながら伝えた。

写真【高校野球.com】

今年7月15日に、新装 21世紀甲子園を視察した際に、撮影した写真だ。

キャプテンは、後ろのポケットに、21世紀甲子園の写真をいれてくれた。

母校の野球部員たちに、より鮮明に、甲子園のイメージを、脳裏にインプットしてもらいたかったからだ。

「今日 7月28日は、準決勝でなくて、当初の日程で、予定どうり決勝戦。そして、次の戦いは、超決勝戦なんだ。

今日は決勝戦なんだから、すべてを出し切って戦おう」との熱き思いを伝えた。

そして、ベンチ入りの選手も、スタンドの選手も、力を出し切り、今日の決勝戦を勝利した。

 さあ、7月30日は、超決勝戦、相手は兄弟校の日大三高。

超決勝戦は、決勝を超えるプレー、自身の壁を、チームの壁を越える戦いの場だ。

超決勝戦は、常識を超えた意識のところでの戦いとなろう。

決勝戦に勝利し、超決勝戦に挑む ニコウ野球部90名の部員。

キセキの夏、二コウ野球部の総仕上げの戦いは、これからが本番だ。

<↓ 後輩のニコウ野球部選手に 渡した、21世紀甲子園の写真です>

2009071516060000

http://www.youtube.com/watch?v=W1YxDir6QAE&feature=related

2勝1敗

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夏の東京大会、決勝戦のライバルは 、兄弟校の日大三高。

 両校には、互いをリスペクトする信頼関係が今でも構築されている。

夏の決勝戦で言えば、 過去の東京大会決勝で、3回対戦している。

日大二 1対8 日大三 (東京大会決勝)

日大二 2対0 日大三 (西東京大会決勝)

日大二 2対0 日大三(西東京大会決勝)

 夏の決勝の大会だけを見れば、日大二が、日大三を、2勝1敗で勝ち越している。

先輩達は、甲子園に行く過程で、兄弟校 日大三高の壁を常に乗り越えてきた。

準決勝以下の試合では、日大三が、日大二を大きく勝ち越している。(準決勝以下では、

3勝8敗)

 当時の日大三は、投手力を軸に、堅い守りで、最小失点、ロースコアーで勝つ野球。

一方、日大二は、左右の投手力、それに 強打と機動力をからめた野球。

 さらに、両高の野球が、これからどう進化していくか、ほんとうに楽しみだ。

 

僕たちの現役時代は、

2年の夏、西東京大会 日大二優勝

3年の夏、西東京大会 日大三 優勝

コーチ・助監督時代の夏大会(3年連続対戦)は

 日大二 2対0 日大三(決勝)

 日大二 9対2 日大三(2回戦7回コールド)

 日大二 3対4 日大三(準々決勝)

2勝1敗だ。

 しかし、この十数年間の夏、 日大二は、日大三に大きく距離を離された。

その間、夏に最頂点を極め歓喜の日大三と、常勝のリズムがつくれず、その間もがき苦しみ抜いてきた日大二。

その日大二が、この数年でV字回復で盛り上げてきたのだ。

甲子園という目標意識もった王者エリート軍団VS夢の実現へ執念を持ち、逞しさを持ち合わせた夢力のあるチームの激闘が、これからも繰り広げられる。

これからも、繰り広げるだろう、日大二と日大三との、真夏の決勝戦。

20世紀の先輩たちに出来て、21世紀の主役たる君たちに出来ないはずはない。

次回の夏の決勝戦で、2勝1敗から大きく勝ち越す。

その熱い思いは、過去も、現在も、未来も変わらない。

http://jp.youtube.com/watch?v=8gLulH_bjgI

(西東京決勝 日大三高戦 )

一戦必勝

Ca0lqj8x 「高校野球は、一本勝負。だから何が起こるかわからない。ゆえに、試合中は、どんなに点数をとっても勝った(勝利の錯覚)と思ってはならないし、逆に、どんなに点数を離されても諦めない。試合は、勝利への執念が、勝るチームに凱歌があがる」

母校野球部の先輩たちに、何度も教えていただいた言葉だ。

高校野球は、毎日が決勝だ。

母校野球部のキセキ(軌跡)は、全選手たちの「汗と涙と笑顔がしみこんだ、母校野球部のグランドだけが知っている」

母校野球部の21世紀のキセキ(軌跡)は、一歩一歩づつ、確かに刻まれている。http://www.youtube.com/watch?v=ntMCQIa8wOs&feature=related

185勝

Photo01  神宮の

   快進撃は

  打ち続く

   軌跡とキセキは

     ここから始る

       2009年 夏     

http://www.youtube.com/watch?v=UoZxNlalLSk&feature=related

    

4時間03分

Thum06

母校野球部立川グランドの最寄り駅JR立川駅より、甲子園までの時間は、

4時間03分

4時間03分かかる時間を、いままで24万時間をかけてきました。

24万時間を一瞬に込めて、後輩たちが見事な戦いを繰り広げてくれています。

スタンドで応援する3年生の思いは、元気度は、すでに日本一です。

 後は、90名の代表である20名のメンバーが、胸を張り 戦うだけです。

君たちは、「この1年間 時間をかけて、上質な練習、量を行ってきました」

それは、「 汗と涙と笑顔が、染み込んだ母校のグランド」 がすべてを知っています。

 だから、この後の戦いは、一言

普段どうりでいい」 。

全員野球

Img04  母校野球部は、現監督をむかえて、5年目になり、着実に成長進化している。

それは、技術面だけではない。

「心・体・技 そして生活」 バランスよく、しかも高いレベルで、基準が月々日々上がっている。

新合宿所を見れば、整理整頓、清掃・用具管理など 見事に行き届いている。

何より、現監督が掲げる、「粘り強い野球」と、「全員野球」が全部員に浸透してきた。

90名の部員を、キャプテンを中心に3年生の29名プラス1名の全員でチームを引っ張る。

下級生のように、グランドを全力で駆け回り、グランドの準備に奔走する3年生選手がたくさんいる。

自分の優先順位を、常に一番にかかげるような価値観の風潮の時代にあって、彼らは、その気持ちに打ち克ち 「人のために尽くす」ことに徹し、全力で奔走しているのだ。

「有限なる自己の時間を、自分のためだけでなく、他者のために、無限の価値創造のために使っていく君がいる」

「今、陰の目立たない配慮の仕事を、チームのため、他の選手のために全身全霊で尽くす選手は、必ず君の一生のなかで、君だけの甲子園、君の人生で一番大事なときに、栄冠は必ず輝く」

彼ら3年生の姿を見ていると「君こそ、まさしく僕たちの甲子園の心を体現しているんだ」

と胸の中で熱く叫んだ。

この夏の西東京大会は、ズバリ母校野球部の3年生 29人プラス1名の 底力を試す絶好の機会だ。

キャプテン中心に、3年生が一つになり、「人間力」で勝負するのが今大会だ。

後輩たちが、その勇士に連なっていく。

「君たちなら、できる 」

西東京大会、夏の頂点目指す、戦いが、いよいよ始まった。

守備力

Carygnjx 昨年秋の11月23日 日大三高との定期交流戦。

町田の日大三高 グランド。

試合前ノックを、じっくり見る。今年のチームに限るなら、二高の内野守備力のほうが、特に

二遊間の守備力は上回る感がある。

その中でも、特に2塁の控えも含め、動きがいい。

二遊間の守備力が、投手陣を援護する。

外野も、センター中心に、守備力が光る。

 右翼手も、いい位置に、常に入れる。

捕手は、昨年の経験を、今年どう活していくか 楽しみだ。

一塁・三塁は、気持ちの強い選手が入った。

最上級生投手のKKコンビは、粘り強い投球、強気のピッチングが真骨頂だ。

90名の部員の、こころは ひとつになって、西東京、夏の頂点へ挑む。

ノーシード

現役時代の3年の夏は、西東京大会ベスト4で終えた。

前年夏の甲子園経験者が8名、前年夏予選ベンチ入りは11名が、この夏ベンチ入りしていた。

歴代の野球部の中でも、期待の高いチームだった。

主戦投手背番号『1』は、身長185センチの右のオーバースロー。球速は140キロ台のストレートが武器。

東京No1の速球王だ。

前年の西東京大会決勝、甲子園大会を経験しているエースが、この夏は大会通じて、故障で1イニングしか投げられなかった。

エースの故障が、副主将だった僕の耳に入ってきたのは、開会式の間際だった。

エースを中心に最小失点に押さえる。強打の主軸打者も皆甲子園を経験している。機動力(盗塁と走塁)もある。速球王が抑え、1番2番7番が走り、クリンアップが返す勝利の方程式を、大会に入る直前に変更せざるを得なかった。

当時の指導者方々は、大会に入り、すぐに チームのスタイルを、打撃主体に切り替えさせた。

打ち勝つ野球を、全面に出させた。

全員野球で、エース不在の中で、戦い抜いた。 相手校(センバツ出場校)の準決勝まで、

無失点相手チームのエースから、6点をもぎ取ったのは、前年の秋からの練習のイメージどうりだった。

しかし、守りのリズムが、最後につくれなかった。

 準決勝のスコアーは 6対11。

勝者の学校は、僕たちの試合で、尽き果てたのか、決勝で、前年秋に、コールド勝ちにしている学校に惜敗した。

この夏の西東京大会優勝校は、ノーシードから、勝ちあがっての優勝だった。

昨夏は、初戦で、優勝候補でありながら、都立高校に初戦負けしたチームだった。

そのチームは、3年生を中心に、最悪の状態から、這い上がってきた。

大会の序盤戦、優勝候補の第一シード校の対戦を 1対0で勝利すると、勢いをつけ

するすると激戦をかいくぐるかのように、一気に頂点へ上り詰めた。

 ノーシードの場合は、大会の序盤戦に必ずヒト山ある。

この山を超えることで勢いをつけ、一気に頂点まで、上り詰める。

ホップから、いきなりジャンプのイメージだ。

序盤戦の山で、勢いをつけて、頂点を目指すのが、ノーシード高校の戦いの鉄則だ。

母校の野球部の伝統は、全員野球が信条だ。

 ベンチに入ろうが、入るまいが、いままで続けてきた3年生に対する尊敬の念があり、

後輩たちが続いていく。

いままで、ひたすら続けてきたことの価値は輝きはじめるのが最後の夏だ。

 3年生が、燃えなければ、後輩達の下級生は、続きようがない。

だから、3年生の責任は思いし、期待も大きい。

どんな時代がこようが、夏の大会は3年生のスピリットですべてが決まるといっても過言ではないと思う。

僕の現役時代の 西東京大会、準優勝、ベスト4 優勝 ベスト4の時代も、全3年生が、燃えに燃えていた。ベンチ入り外の3年生も、「甲子園では、俺はベンチ入りする。だから、自主練習も手を抜かない。甲子園でのベンチ入りに希望も、最後まで消さなかった」

伝統の全員野球で 挑む夏。

GO! Fight!! Win!!!

全員野球の3年生の底力を発揮するのは、これからだ。

そして、「大丈夫」

春大会の、全力で、スタンドで応援している姿を見ればわかる。

 3年生29人の集大成の勝負の夏が、いよいよ始まる。

「行くぞ!ノンストップ!!甲子園!!!」

「いくぞ!ノーシード!!甲子園!!!」

「行くぞ!全員野球で!!甲子園!!!」

序盤戦のヒト山越えて、一気に頂点へ ! 全3年生が導くしかない!!

練習試合

「類は友を呼ぶ」といわれます。

「甲子園の友は、甲子園を呼ぶ」

 僕が、現役・コーチ・助監督時代のお話を少しさせていただきます。

当時の練習試合の相手は、母校の立川グランドに、6月には神奈川の横浜高校や、7月には東東京の帝京高校が練習試合に来ていました。

また、東東京(当時)の早稲田実業は、夏の大会前の7月には、定期戦が組まれていました。こちらは、早稲田実業グランドへ行って試合をしていました。

すべて、1軍戦です。大会前の大事な日程の中での、夏の大会を占うことのできる試合内容を確認する位置づけでもありました。

 練習試合とはいえ、母校野球部には、神奈川の横浜高校や、東東京の帝京高校に勝利する力がありました。

早稲田実業には、1勝1敗でした。

栃木の文星芸大附属(旧宇都宮学園)や、愛知遠征や、和歌山(遠征合宿)にも、サンフラワー号の船に乗っていきました。

 神奈川の、東海大相模や、桐蔭学園は春・夏・秋、年に数回試合していました。

静岡遠征には、当時、甲子園の常連の静岡高校や、静岡商業と、春と夏に練習試合がありました。

ちなみに、神奈川の桐蔭学園は、立川グランドで、トリプルヘッター(桐蔭学園の監督さんのリクエストで、当日2試合から、急きょ3試合に。すべて1軍戦になりました。神奈川の桐蔭学園の監督と選手のほうが、先に立川グランドに到着して、すでに練習していました。 前年秋 ダブルヘッダー0勝2敗、そのチームにトリプルヘッターで夏は、最初に連勝し、2勝1敗 。1試合目は8回の裏逆転で、思わず3連敗かと冷や汗ものでした。)

各地の甲子園を経験する彼らと試合をしていると(また勝ちを重ねるごとに)、「甲子園に出るぐらいのことは、当たり前のこと・・・」といい意味で、だれもが自然と思えてくるのです。

 自分たちの練習だけで強くなったのではなく、練習試合を行う仲間のチーム(横浜高校、帝京高校、早稲田実業、東海大相模、桐蔭学園、静岡高校・文星芸大附属(旧宇都宮学園)との、練習試合とはいえ、大会と同じ緊張感のもと練磨した中で、力をつけていったのです。

このことだけは、後輩諸君が永遠に忘れて欲しくない事実です。

 僕は、母校野球部のセンバツ大会など甲子園初出場の時の選手や、選抜大会の優勝高校を、雨の再試合で破った時の選手をはじめ、春や夏の甲子園に出場した時のすべての世代の、選手と面識があり、今でも交流があります

 20世紀母校野球部が持っているよい伝統を、21世紀の母校野球部に、余すことなく伝えて行きたい。

今の現役選手は、質と量ともハードで、歴代野球部で最高最適の練習をしています。(練習環境も含めて。応援する人々には、決して試合の結果だけで判断するのではなく、彼らがどんなプロセス(練習・過程)経て、日々取り組んでいるか、自分の目で確かめてみてもらいたいです。

 21世紀の母校の練習試合は、千葉経済大附属や、浦和学院高校、日大三高、国士舘高校など、新たな組み合わせで、お互いに甲子園を目指し、そして甲子園で勝つことを目指し練磨しています。その輪は、さらに現在進行形で拡大中です。

  いよいよ、戦いの夏は、もうすぐです。

 

頂点への道

今、再び甲子園へ、さらに国体以来の全国の最頂点へ。

甲子園への道は、「99%の準備と1%の勝負運」で決まるといっていい。

99%の準備は、月々日々に、着々と積み重ねられる。

では、勝負を決定づける勝負運をいかにつけたらいいのか。

 運は、天や神に任せてしまうのか。

 いや、そうではない。

ある面、勝負運をつけることは、カンタンなことかもしれない。

「朱に染まれば、赤くなる」

それは、勝負運のあるチームと交わる、つまり練習試合し交流をかさねていくことだ。

彼らと試合する中で、勝てる考え方(新たな思考習慣)が、いやおうでも伝染してしまうのだ。

不思議とチームの風格(全国制覇)までもいい意味で伝染し、備わってくる。

 勝負運のあるチームと交流することにより、こちらも自然と勝負運が加速的についてくる。

まさに、否応なしに「勝ちの朱に染まってしまう」のだ。

考えてみてもらいたい。

 現在、甲子園へ勝ち進む学校と、そうでない学校の差は何か。

体力と技術に圧倒的に差があるのか。

そこの差を埋めるのは、準備のレベルだ。

強さだけの違いなのか?

そうではない。

現に、なにげに甲子園大会で試合している学校の中にも、技術的・体格的にも、お世辞にも上手いといえないチームがたくさん出ている。

彼らは、一般的に見ても、決して、強いチームとはいえない。

だけれど、唯一 勝負運だけはある。

突き詰めてみると、

勝負を決定付けるのは、最期は勝負運だ。

  好き嫌いで対戦する相手を決めるのではなく、強いから、弱いからでもない。勝負運があるかないかで、交流する相手を決めていく。

◆ 全国制覇の経験のある学校と交流戦をする

◆ 全国制覇を本気で目指している学校と練習試合する

◆なにげに甲子園へ出てしまう学校と練習試合を組む

 99%の準備を重ねと、1%の勝負運をつけていく。

さらなるステップアップへ、勝負運のあるチームと、なかんずく 勝負運のある監督と交流戦を重ねることが再び甲子園へつながる一番の近道だ。

http://www.youtube.com/watch?v=SM8EDdsoxU8&feature=related

福井慶一先生

 前回、前々回の甲子園出場の際に、陰で支えてくれた母校野球部の恩ある方がいる。

福井慶一先生だ。

国語科の教諭で、剣道部の顧問をされていた。

損得抜きで、野球部を応援してくださった。

冬には、直々に寒稽古で稽古をつけてくださった。

甲子園出場の際は、宿舎に寝泊りしてくださり、ミーティングでご指導をいただいた。

 野球部の精神的支柱であられるのが福井慶一先生であった。

福井先生が病気で亡くなられてから、母校野球部は、甲子園から遠ざかっている。

新時代の選手の活躍を、福井先生はいまでもじっと見られているに違いない。

 野球部の恩人である福井慶一先生に、今年こそ勝利の報告をしたい。

抽選会

春季大会の組み合わせが決まった。

各校どのブロックも、上位に進出するには、ひとつや二つの壁がある。

その壁に、いかに各校の選手が挑んでいくか。

ベンチ入りした選手も、そうでない選手も同じだ。

その高い壁に、挑むと覚悟を決めたならば、その壁は思ったより低く感じるはずだ。

まずは、一戦必勝。

 先を考えずに、ひとつ勝って、それから、次を考える。

勝って、次を考える、その繰り返しだ。

高い壁に、挑む中で、選手が大きく成長できるのが春季大会だ。

エース番号『1』

昨夏の予選で感じたこと。

2つのかつて、全国制覇したことのある名門校の試合を観戦して思ったこと。

両校は、1年生と2年生が、背番号『1』をつけていた。

また、ともに勝ち進むにつれても、試合で、背番号『1』の投手は、投げていない。

1年生投手は、バットボーイまでしていた。

2年生投手は、どうやら故障していたらしい。

ブルペンでも、投球練習をしていない。

そんな選手に、なぜ エースの背番号『1』つけさせるのだろうか。

 最後の夏を目指していた3年生投手の心境はどうだろうと思った。

エース番号『1』は、単なる背中についている数字だけではないと思う。

あまりにも、指導者が無神経に、背番号をつけさせているように感じた。

両校ともに、3年生投手は、いままでチームに貢献した投手だ。

エース番号『1』は、彼らにこそ、ふさわしいと、球場の外側からは見えた。

彼らには、昨年夏の悔しさをバネに、今後の活躍に期待したい。

松商学園

野球の恩師島岡御大は、長野県の出身。

御大の館(温泉)内に、島岡監督の記念館があるという。

今度、是非いってみたい。

 長野といえば、高校野球では、なんといっても松商学園。

高校2年の夏の甲子園大会では、整列の際に並んだのは、松商学園だった。

 ユニフォームにエリがあったり、帽子のマークのMの形は、明治と同じ。

入場行進の際、隣にいた松商ライトのH先輩は、明治大へ。2年後僕も。

不思議な縁だと思う。

試合でバックホームで刺した東築高のM先輩も、その後明治で一緒野球をする。妙につながっている。

さて、松商学園は、昭和3年には、夏の高校野球全国制覇している。

 長野県の高校野球は、松商学園や、かつてはセンバツ優勝で飯田長姫(光沢先輩)、現在の新たな強豪がひしめく。

現在は、創造学園、長野日大、東海大三高校など、熾烈な争い。

松商学園が長野を引っ張り、しのぎをけづり、全国で強い長野代表が見れるのも、もうすぐだ。

全国制覇の長野代表の時代、歴史は繰り返す。。。。

がんばれ!長野代表校!!

サブマリン

昨夏の神宮球場での、準決勝の試合前。

準々決勝の時点で、エースと、準エースにアクシデントがあり、十分に投げられないことがわかっていた。
この過酷な条件のなかで
、準決勝、いかに相手の強力打線を封じるか。

試合前から、今までにない戦いが予想される。

自分の現役時代、前年 夏の甲子園を経験したエースを思い出す。

彼も大会直前のアクシデント(右肩痛)のため、大会通じて投げたのは、準決勝の一イニングだけ。
西東京No.1の速球投手の夏は、短かかった。

しかし、昨夏の大会は、三番手のサブマリン投法が頑張った。

コーナーいっばいをつかった変化球。
縦横ストライクゾーンをフルに、使った投球術で、相手打者のタイミングをはずしていく。
最上級生が、持ち味を存分に発揮する。

打線は、最後まで優勝校
を追い詰めた。

守りは、紙一重で かわしきれなかった。

だが、最上級生の踏ん張りが、後輩たちに道を開いた。

三年生バッテリーの陰での活躍が、眩しく見えた。
先輩から、バトンを受けた後輩たちの戦いが、はじまった。

伝令

昨夏の大会、戦いの真っ最中。
味方ベンチから、伝令が走る。

最上級生だ。

絶妙なタイミングでタイムをかけてマウンドに走る。
形式ではない 先輩の言動が、監督の心をつたえきる。
ピンチだった下級生が、、本来のリズムを取り戻す。
目に見えないファインプレイが光る大会だった。

自分の役割に徹しゆく、最上級生選手の姿が眩しい。
土台は出来た。

さらに進化する母校野球部の挑戦は始まったばかりだ。

中島世代

今まで、中島前監督時代の選手とはほとんど交流がなかった。
ただ一度だけ、前部長から声をかけていただいて、グランドに顔をだしたことがある。
助監督を離れて以来、はじめて母校グランドの土を踏んだ。
ちょうど、10年前の正月の初練習の日だった。

選手とのミーティングに参加した。
終わりのほうで、一言もとめられた。
「ご苦労様・・・」
というつもりだった。

しかし、選手、部長と監督と父兄会(一部)の前で全く違うトーンの挨拶となる。

「考えてもらいたい事がある。
俺たちは、ここまで、甲子園に出るためじゃなくて、甲子園で勝つためにはどうすべきかかがテーマだったんだろう!」

部屋がいままでの和やかな雰囲気から一転して、シーンとなった。
部長と監督の立場はない事もわかっているつもりだった。
ただ、ここで叫ばなければわからないこともあると思った。

「今すぐ、部室前と玄関の下足を揃えなおしてこい!
全員で、直ちに、部室を掃除してこい!」と叫んだ。

下足を整頓し、部室を清掃した全部員が戻って来た。
部屋に緊張感が漂った。

「いいか、今大切なのは、意識の違いだけなんだぞ。
自分たちにとって、甲子園出場は、単なる通過点にすぎない。

今の基準では低すぎる。

個々の選手が、日々高い意識で練習することで、全国で戦える力がつくんだ。

今の壁は、東京ベスト4でなくて、甲子園ベスト4を破る壁なんだ。
全国の強豪に俺たちは勝つために練習しているんだ!」

自分の高校時代の野球日誌8冊を現役選手に持参し見てもらった。

久しぶりの母校グランドに帰り、ほんとうは、もっと紳士的な話しをしたかった。
帰りに、キャプテンに、母校の前々回の甲子園に出場した時のキーホルダーを渡した。

キャプテンは、受け取ってくれ、しっかり握手した。
その春、母校野球部は、躍進し、夏は西東京の第一シードになった。

その夏は、夢は掴むことはできなかったが、昨年夏にリベンジできた。

ただ、 本当のリベンジの戦いはこれからだと思う。

食事会

12月の強化練習に入る前に、監督とOB会幹事長、それに、高畑メンタルトレーナーと僕の四人で、食事会を持った。
とても、楽しかった。
料理もおいしかった。
監督は、食事会の中でも、関係者から携帯に電話が入る。
実に グランド以外での戦いが、たくさんある。
監督と幹事長の共通点は、人への配慮が自然と出来ること。
幹事長は、高畑さんに
後日、お手紙を書いた。
出来そうで、出来ない事だ。
幹事長も、現役の監督時代から、さらに進化している。
「それに、比べて自分は・・」
まあ、他との比較は、やめておこう。

春はもうすく。
浦和学院や千葉経大付属など、強豪高校との練習試合が組まれているという。

またひとつ、 新たな挑戦が、始まった!

謹賀新年

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母校野球部の新たな時代を築くべき、2009年が始まった。

「ベスト4からが、本当の戦い」とは、先輩から言われ続けてきた言葉だ。

ここから、この壁の先に行くには、もうひとつ上の意識、努力、練習が必要となろう。

「ベスト4の壁」をいかに、打ち砕くのか。

まずは、その壁に小さな穴をあけていきたい。

誰が、その壁に、小さな穴をあけるのか。

 ひとり、一人が 分厚いベスト4の壁に、小さな穴をあけ続けるしか、勝利の道はないであろう。

東京は、野球御三家 <日大三高・早稲田実業・帝京高校>の壁を破らずして、

東京制覇すら可能性はない。

 今の基準は、三高・早実・帝京を、いかに超えるしかない。

この三校に対して、母校野球部は、野球をするための外部環境的なもので勝るものはない。ならば、内的な要因を総動員して、乗り越えるしかないであろう。

この現実から、発想して、逆算して戦うしか勝機はない。

ここを、超える力が付けば、他の強豪校を超えることができる。

この壁を、越えたなら、全国でも戦える戦力が具わってくる。

東京最強豪の三高・早実・帝京の存在は、実に有難い。

そして、近々、必ずこの 三校を乗り越えるだけの力をつけてみせる。

 三高・早実・帝京 を乗り越えるために必要なことを、徹底気的に探り、実践練習していきたい。

そして、必ず、乗り越えくれる日が近いことを、僕は信じている。

              2009 元旦

                     新たな伝統を創る年  朝

                             蒼島 俊男

        

2008年を振り返って

2008年は、母校野球部にとって、新創部というべき一年であったように思う。

 春の大会 東京ベスト4 、夏の西東京大会 ベスト4、そして 秋の本大会 優勝校に2対3の惜敗といい、着実のな実績を積み重ねた1年であった。

「もし、あの時 ~」「もし、あの瞬間~ 」 悔しさも脳裏をよぎる。

いよいよ 真価の問われる2009年の決戦の火蓋がきられる。

母校野球部に好投手ありの、新たな伝統が加わった。

 伝統の強打と機動力が、復活できるか正念場の一年でもある。

混戦を抜けきり、大優勝旗を手にする母校野球部の選手の見るのが楽しみな年が始まる。

     激戦を

       勝ち超え 堂々

              甲子園

   2008年の熱い戦いに、選手全員 指導陣、関係者に感謝。

      

初戦が雨でノーゲームとなり、大会5日第1試合に変更になり、毎朝午前4時に起床。

その後、全員で朝の散歩を行い、朝飯を取り、バスで高野連から指定されたグランド(近隣の学校等)で2時間の練習。甲子園で勝つという目標を失わず部員一同練習していました。

各高の練習は甲子園で勝ち残っているチームがそれぞれの割り当てられたグランドで練習を交代で行っていた。

ある日、二高の後に5年前に優勝した兵庫県代表東洋大姫路が行った。アップの段階から見学していて声が良く出ていて、足並みも揃い、野球道具、スパイク等が整然置かれていた。

この時にコーチから、「これが甲子園で優勝するチームの練習だ。良く見ときなさい。」と一言。

又、宿舎には監督・部長・コーチ・引率教師と一緒でありましたが、4年前に甲子園に出場した先輩も宿泊しくださり、試合前ノックから、甲子園の雰囲気等参考になるアドバイスをミーティング中で話してもらった。

又、ノーゲームとなった試合のビデオを観て、再度相手チームの研究を行っていた。

大会2日目第4試合。初戦まで3日間。

予選では第一シードということもあり5試合全て第一試合であった。

起床時間も試合に合わせてゆっくり。対戦相手のエースが左腕。

前年秋のエース左腕が打撃投手を務める。

彼は思いの全てをぶっけて投げて投げて投げまくった。体調を崩し高熱になりながらも全てはチームの勝利の為に。
試合当日、ベンチ入りメンバー、控え選手ともやるだけの事はやり、充実感が漂っていた。我々控え選手一塁側アルプススタンドで戦いの時を待っていた。

前の試合では高知商業の2年生投手津野(後に日本ハム)が投げていた。

試合開始時間よりだいぶ遅れてプレーボール。

先攻の二高は初回自慢の左クリーンナップのタイムリーで2点を先制。

中盤にさしかかり相手4番(この大会の選手宣誓を行った)に逆転タイムリーを打たれ5回を終わり2対4でリードされていた。

試合開始後に小雨が振り始めていたが、途中のグランド整備前から大雨に変わった。

とても試合を出来る状態では無く、二高の6回表一死4番の攻撃中に一時中断。

しかし雨は一向に止む気配も無く、雷をともなった豪雨となった。アルプススタンドの応援団を中心とした一塁側はずぶぬれになりながら応援歌・校歌を歌い続けている。

一般の観客席は屋根の下にまばら居るだけで、両校のアルプススタンドから懸命の応援が続けられていた。

一時間近く待ったがグランドコンデション不良の為中止がアナンスされた。

二高にとっては、昭和40年夏の大会初戦、対岡山東商業以来の甲子園雨天中止(この時も1対3で2点差)であった。

しかし、昭和57年の夏大会は予選から順延が続き、決勝戦も雨で中止、甲子園に乗り込む当日も大雨の影響で新幹線が動かず東京駅近くのホテルに泊まる等、雨に影響された大会であった。

http://jp.youtube.com/watch?v=1z_APqOW4Fs&feature=related

慌しい一日のスタートとなった8月4日の早朝。

一転して晴天の中、甲子園に新幹線で向かった。

車中では甲子園出場高の雑誌を思い思いに見ながらリラックスムード。

4回目の夏の甲子園といっても部員は誰一人として甲子園の土を踏んだ者は居なかった。

正午近くに宿舎に到着。

昼飯後、憧れの甲子園練習。球場に足を踏み入れた瞬間に武者震いがした。

たった20分の練習であったが夢の舞台で練習できた感激はいまだ忘れることが出来ない経験であった。

西東京大会の初戦から行っている各ポジションに散って部員・女子マネ一同は最後の1分を正座して黙祷をした。

女子マネジャーたちのこの姿が、翌日のスポーツ新聞で写真入で掲載された。

夕方に抽選会が行われ、母校の対戦相手はなかなか決まらず、池田高校、東洋大姫路、津久見高校等の強豪が残っていた。

 春夏連続で出場してきた福岡代表の八幡大学付属高校と大会2日目第4試合に決定。夏4回出場の中で、3回目の福岡県勢との対戦。

過去は1勝1負(昭和34年戸畑商に延長11回3対2、昭和53年に東筑に延長13回0対1)。宿舎に帰り対戦相手の分析を行い、3日間に迫った試合に備えた。

(つづく)

優勝の余韻に浸り立川のホテルに全員帰り、慌しく祝勝会が行われた。

終わりに近づくと、甲子園のメンバーが発表された18名のメンバーから15名、3名が甲子園のベンチから外れる。

その中の一人が、秋の大会でエース番号をつけた活躍した3年生がいた。

選抜補欠高に貢献した左腕がはずれた。

この大会準々決勝で先発したが、思い通りのピッチングを出来なかったがまさかはずれるとは想像していなかった。
翌3日は天沼の学校で盛大に壮行会をして頂き、同日甲子園に乗り込む予定であったが、またしても大雨の影響で新幹線が止まり、東京駅周辺の都ホテルに一泊することになってしまった。
ただ東京駅で新幹線待ちをしている間に東東京代表の早稲田実業の選手達と一緒になり、先輩は気軽に話しをしていて盛り上がっていた。

そういえば、55年秋、56秋、57年春と全て破れていた
このチームの合言葉は打倒早実だった。残されチャンスは甲子園だけだ。

台風が夜中に去り一転晴天となった決勝戦当日。

球場では同じ日大応援歌が流れるなか両校の試合前ノック。

日大三高のエースはその年秋中日からドラフト指名された剛腕投手。

日大二高自慢の打線と三高の好投手をどう打ち崩すかがポイントであった。

それ以上に、二高は投手継投時期が勝敗を決すると思われた。

過去の三高との決勝戦は昭和30年1対8、昭和40年2対0で1勝1負の成績であった。

試合は序盤3回無死1・2塁から6番バッターのバントが決まり、2点を先制。
二高のエースが5回まで0点に押さえた。

6回頭から左腕のセンター外野手と交代。

彼は、1年の秋に、早稲田実業の荒木大輔投手から、ホームランを打った。野球センスはピカイチで、1年の夏から、レギュラーで活躍していた。

この日も、ドラフト指名された日大三高の剛腕投手を,彼のバットがとらえた。

 ツーアウト満塁からのライトスタンドへの一打は、台風の影響で、大風に戻され得点にはいたらなかった。

しかし、球場にどよめきがわく、この一打は、チームに「今日も、行けるぞ」という勢いをつけた。

修羅場でのリリーフも、彼はコントロールとカーブで、日大三高の打線をかわした。

終わってみれば、二人の投手リレーで、2対0のシャットアウト勝ち。

日大三高との夏の決勝の成績は、2勝1敗と勝ち越した。

 夏の甲子園を勝ち取り4年振り4回目の甲子園を決めた。

閉会式が終わった後、部長・監督を胴上げする。

続いてベンチに入っていない3年生全員がベンチ入りの選手から
胴上げされ涙を流していた。

このチーム一丸の団結した姿が、今も脳裏に焼きついている。

http://jp.youtube.com/watch?v=8gLulH_bjgI

第64回大会の8月1日。

台風が接近していて決勝戦は中止。

神宮第一球場が翌日使用出来なく、府中球場で行われると高野連から連絡
が入った。

 3年生は[どこの球場でやるのも同じ。ただ甲子園で戦えるのであれば西東京の決勝はどこでも構わない]。と全く気にしていない様子。

午前中は室内練習場で軽く練習して終わり。

ホテルに帰り昼食後、相手のデーターを徹底的に分析を行った。前年春の都大会準決勝、4対2とリードし9回あと2人まで追い込んだいた二高は逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれ、関東大会を逃がした相手。

当時のスタメンにはその悔しさをしるメンバー5人が残っていて、雪辱に燃えていた。

夕方、台風が東京上陸接近まじかと一報が入り、2年生はコーチ、OBと共に立川グランドのネットを降ろしに急いだ。無事にネットを降ろしたら、コーチーから砂ランの指示。

2年生は豪雨・強風の中、走りながら明日の決勝を前に決意を絶叫しながら走り続けた。

 誰一人として風邪などひく者は無く、スダンドで戦う部員達もより一層気持ちが強固のものとなった。  (つづく)

準々決勝をコールド勝ちして、準決勝の相手は後に阪神にドラフト1位入団した堀越。

昭和56春・夏に勝っている相手といえ、苦戦が予想される戦い。

この試合はいかに相手投手のカーブを打ち崩し、自慢の打線でいかに打撃戦に持ち込むがポイントとなっていた。
序盤はお互いに点の取り合い。

3対3の同点のまま、二高は8番のレフト豪快のホームラン等で大量得点。終わってみれば13対3のコールド勝ちをおさめた。

この試合で感じたことは、先(決勝戦)を気にせず兎に角準決勝に集中していた。

部員が、今何が必要で、何をしなくてはいけないか、一人一役を実行できた。この教えは指導者から徹底的に教えを頂いた。
決勝の相手は日大三高。二高としては三高に準決勝で負けた国学院久我山の方が戦いやすい相手であった。

久我山は春の大会準決勝で破った相手であつた。
 

いよいよ、西東京の頂点をかけて、兄弟校日大三高との決勝戦がはじまる。

 (つづく)

 母校野球部の黄金期のOBから、寄稿がありました。

過去の思い出というのではなく、今でも、大切な戦いのエッセンスが、盛り込まれていると思います。

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第64回大会の夏。

今までベスト4の壁を昭和55年秋~昭和56秋まで4シーズン連続で破れなかったチーム(2年連続選抜補欠高)が、同年春決勝早実に敗れはしたものの6年振りの関東大会に進み、選抜ベスト4の横浜商業等を破り、関東ベスト4迄残ったこのチームは、西東京第1シードとして大会に望んだ。
この大会は開幕から雨で順延続き、なかなかコンデション・モチベーションの維持を図るのは大変であったが、この年から立川のホテルに2、3年生は全て泊り込んでこの大会にかけていた。
 最初の関門は4回戦。後に日本ハムにドラフト1位で入団する好投手を擁する明大中野高校。

ベンチ入りしていない3年生が、全て対戦チームを先乗りして、この投手は決め球はストレートでくる、この場面ではヒットエンドラン等など、対戦相手のデーターは取り寄せていた。

データー通り決め球のストレートを序盤から狙い撃ちして得点を重ね、リードを保ちながら、相手投手は後半変化球に決め球を変えられ5対3で辛勝。

まず、最初の山を越えた。

明大中野は2年生エースの他に、キャッチャーも同じプロ野球に。内野手も明治大学野球部キャプテンを務めるなど、なかなか手強い対戦相手だつた。

                    (つづく)