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195勝

Photo

日本大学第二高等学校 硬式野球部は、昭和5年(1930年)第16回夏の選手権東京大会に初めて出場した。

初出場以来、夏の選手権東京大会<予選>通算勝利数は、今日まで (2014年夏)

195勝

195勝は、先輩・後輩選手たちの一勝一勝の貴重な積み重ねで成し遂げたものだ。

汗と涙と笑顔で、築き上げた勝利。

 甲子園で活躍した年代。

甲子園を目前に敗れ去った年代。

甲子園を遥か遠くに敗れ去った時代。

まさかの、敗戦に涙した年代。

それぞれの年代の選手たちの結晶が、「194勝」に込められている。

また、「195勝」は、選手だけのものでない。

 ベンチでスタメンの戦況を見つめるもの。

スタンドで、声をからして応援する選手。

 大切な青春の時間を高校野球に賭けた、女子マネジャーたち。

 さらに、真夏の炎天下、母校の選手の活躍に応援してくださった応援団・ブラスバンド、在校生、卒業生の人々。

父母・教職員・関係者の方々の応援があった。

そして、名門野球部に一旦は入部しながら、諸事情で、ひと足早く,野球部を卒業していった先輩・後輩の選手たち。

 名門野球部に入りたくても、入部さえ叶わぬ者もいた。

それぞれの思いと、汗と涙が凝縮した

195勝」。

そして今、新たな母校野球部の歴史が始まる。

野球部のOB・OG、 一千人の心はひとつになって。

 まずは、夏の選手権東京大会(西東京)通算 200勝を勝ち取りたい。

そして 明年の創部80周年から、創部100周年へ目指して戦いの駒を進めてまいりたい。

その暁には、秋国体以来の、甲子園全国制覇の道筋が見えてくる。

それぞれの思いが詰まった「195 勝」

   新たな、歴史が今はじめる

1_6_7

(写真 田辺 晃選手 夏の甲子園 池田高校戦)

http://jp.youtube.com/watch?v=8gLulH_bjgI

(西東京決勝 日大三高戦 )

http://jp.youtube.com/watch?v=1z_APqOW4Fs&feature=related

<雨の甲子園 ~ 雨の中の大応援~>

【夏4回 春2回 甲子園出場 国体全国制覇 1回】

http://jp.youtube.com/watch?v=G3MnzGnvoL0&feature=related

<甲子園で勝利 ~校歌~>

男を磨く場所

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日大二高野球部を一言でいうなら

【男を磨く場所】。

◆入学も平等

◆入部も平等

◆選手選考も平等

ただし、平等の背景には、苛烈な競争もある。

その苛烈な競争の過程で、男を磨いていく。

ちなみも、今年は、あれほどの練習に耐えた、選手たちの中で、今年は野球部から、4名の早稲田大学を合格、さらに、医学部の合格するメンバーの姿もあった。

【文武両道】

それは、当たり前の 野球部だ。

二高野球部には、野球道がある。

野球で勝ち、勉学で勝ち、人生で勝つための、野球部だ。

受験だけではない、大学を卒業した後の、就職活動の実績を見れば、(今年も上場企業に

就職するメンバーが続出した)、日大二高野球部での3年間が、今後の人生のための

活動であったかが、わかる。

3年間の鍛え、学びがその後の30年,、そして生涯にわたりに、通用する野球を教えているのが、日大二高野球部だ。

 


思いは白球を超えて

東京六大学硬式野球、同期OB戦が、六大学全チーム揃い開催されました。
当時の応援団、チアーリーダもスタンドに陣取り、応援合戦。
対戦相手は、法政大学。小早川選手(広島~ヤクルト)・銚子選手(広島)など、元プロ選手も、出場しました。

僕は、5番 ショートで、スタメン出場。...
現在の公式戦と同じユニフォームを着させていただきました。

背番号は 『6』

30年前に、摑みきれなかった夢が、30年たって
目の前に現れました。

青春時代、本氣で仲間と、ひとつのことを打ち込むと、30年たっても、
色褪せない、黄金の絆ができる。

あ・り・が・と・う

最高の仲間と、最幸のプレーを、存分に楽しめました。

最高の仲間に
   感謝!
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人生のスコアーボード

Photo_3 「野球の試合は9回で終わるが、人生のスコアーボードは、一生続く。君たちは、その長いスコアーボードで、ずっと戦っていかねばならない。」(沖縄・興南高校野球部我喜屋優監督)

2010年 現在の高校野球、東京・東西の王者、帝京高校・日大三高を破り、沖縄勢としても初の甲子園春夏連覇の偉業を成し遂げた、興南高校野球部我喜屋優監督の言葉だ。

さらに

「野球の技術を上げて、ライバルに勝って試合に出て、勝ち負けを争う。それは、あくまで

9回までのスコアーボードの話です。

しかし、学生はここから長い人生が始まる。

だから、最終的には、人生のスコアーボードにおいて勝者になるために、今は学んでください。

興南でも、なかなか試合に出られない選手にいうんです。

いずれは”人生のレギュラー”になって、社長になって、今試合に出ているレギュラーを

使ってやれ」とね。

野球では負けても、それは笑い話にしてしまえばいい。

「おう ちゃんと仕事しているか?」と言えるようになれば、痛快じゃないですか。

ウチの(興南)の選手たちであれば、それは可能だと思っています」

興南高校野球部我喜屋優監督の言葉を、母校球児、全国の球児に贈りたい。

「(甲子園に出ても、出なくても、試合で活躍しても、しなくても、)いつまでも、喜んでいる暇はないし、落ち込んでいる暇もない。

人生のスコアーボードで確実に点を重ねて、人生の勝利になってほしいと思う。」

いつの時代でも、どんな時代になっても、

高校野球の目的は、やがて人生の甲子園で活躍し、勝利するための”修業の場(トレーニング)”なのだ。

頂点の空

Photo 立川の空から

 神宮の空へ

 神宮の空から

   甲子園の空へ

  甲子園の空から

   頂点の空へ

監督と選手の絆

これが、いちばんの根幹にある。

高校野球で、目には見えないのだけれど、

これほど 共鳴できるものはない。

土台は、出来上がった。

これからも、一歩前進あるのみ。

220

夏のベンチ入り

Photo 夏のベンチ入りは

◆ 予選のメンバー

◆予選のメンバー変更(6月末くらいまで)

◆甲子園のメンバー

◆甲子園のメンバー変更(8月初旬まで)

実に、高校3年生の8月初旬まで、どの球児にも、ベンチ入りの可能性は残されているのだ。

だから、たとえ、サポートーにまわったとしても、選手は皆、自己の技術を磨いていかなければならない。

予選で、ベンチ入りせず、甲子園大会から、スタメンで活躍したメンバーもいる。

その意味をこめて、3年生だけの試合をニ高は、『開幕戦』と呼んで浸透している。

現役引退は、公式戦を終えたとき、3年生は皆同時にするものだ。

http://d.hatena.ne.jp/hayatonooyaji/20110626

野球と農業

昨年の4月、僕が発起人になり、母校野球部のグランドの入り口のそばに、

畑をつくった。

その名前は、

お元気ニコニコファームといいます!(ニコウ野球部から、NIKO NIKOを意味します)

同志の方々の、御支援していただいて畑は、今年も、おいしい野菜

を収穫することができました。

いままで、トマト、キュウリ、ネギ、サンチェ、ジャガイモ、スイカなどの苗を植え、夏大会前には、マネジャーが調理して、選手たちが食べました。

では、

なぜ、母校の野球部のグランドに入り口に、畑をつくったのか

実は、これには、深い哲学がある。

それは、以下のことがきっかけで、畑をつくった。

「野球と農業には密接な関係がある。

農業は土や芝生の上で作業をする。

用途によって道具を使い分ける。

天候に合わせて微調整が求められる。

時間と自然との調和も必要だ。

野球のフィールドにも、土と芝生がある。

ポジションや攻守によって使う道具が異なる。

風やイレギュラーなども自然との調和も求められる。

まるで、選手の育成で大切なことを自然や農業が教えてくれているようだ」

(『野球の神様がくれたもの』著 桑田真澄)

自分自身を育てる意味でも、野球と農業のは、密接な関係にあると思う。

野球と農業、この深い哲学が、わかる人間が、母校野球部のグランドにいることを信じている。

http://d.hatena.ne.jp/hayatonooyaji/searchdiary?word=%A5%E1%A5%F3%A5%BF%A5%EB%A5%B3%A1%BC%A5%C1

4つの感覚

日々の野球をやることの意識

◆練習のための練習感覚・・・・・三流意識(選手・チーム)

◆試合(練習試合)のための試合感覚・・・二流の意識(選手・チーム)

◆公式戦(大会・甲子園)のための試合間隔・・・一流の意識(選手・チーム)

◆毎日が甲子園の感覚・・・超一流の意識(選手・チーム)

「うちには、練習はない。毎日が試合(大会感覚)である」

間一髪

ランナーの走塁、リードについて考察します。

ランナーの第二リードのやり方には

◆ 右足の着地に、打者のインパクトを合わせる

(物理的には、その他、両足、左足で合わせるやり方もありえますが、私は、右足でインパクトを合わせるやり方を推奨しています)

両足で飛ぶようなシャッフルもありますが、両足が浮いていると、その間、宙に浮いているので何も、できず、ランナーは、とても、危険な状態になります。

また、スタート進塁&バック帰塁が、半歩~1歩 遅れてしまいます

この半歩の差が、次の進塁をとれるか、得点できるか、ライナーバック、バント空振りなどの帰塁できるか、間一髪、紙一重の明暗を分けるのです。

三塁コーチャーの基本

  三塁コーチャーの第一の基本は

「止めるを、覚えて、回すを覚える」

柔道に例えるなら、「止める」は、受身で、「回す」が、攻撃の技だ。

ランナーは、次の塁を取ろうと、突進してくる。

突進してくる走者を、止めること技術。

止め方にも、3とうりある。

・オーバーランさせて、止める。

・ベースストップ(ランナーを、立たせたまま)

・スライディングさせる(まっすぐ、右側へ、左側へ滑らせる)

 次に、動いている、走者をそのまま、加速させ、さらに走らせる指示。

 まず、その走ってくるランナーの止めることを、マスターした後に、回す(走らせる)を覚えていくこと。

 (はじめに述べたが覚える順序は、「回すか、止めるではない」)

確実に、止めるタイミングをマスターすると、迷いの範囲がすくなくなってくる。

そして、、どこで、回す(走らせる)タイミングかが、つかめてくる。

 アウトカウントに応じて、1アウトならば、慎重に、2アウトならば、思いきって本塁に回すなど、打順や回数、得点差によって、三塁コーチャーとして的確な指示が出せるようになる。」」

三塁コーチャーの基本の第二は

「(回すか、止めるか)、迷ったら、止めること」だ。

 止めさえしておけば、流れをきらず、次の攻撃に、可能性をかけることが出来る。

三塁コーチャーが、迷うと 、ゴーなのか、ストップなのか、ジェスチャーが遅れる。

 なんといっても、避けたいのは、「迷いながら、回すこと」

これは、流れを止め、リスクも大きく、相手野手からの、返球ミスや、キャッチャーの捕球ミスしか、得点の可能性がなくなる。

三塁コーチャーのポジショニング(立つ位置)も重要だ。

これには、2とうりある。(ランナーにとっても、コーチャーにとっても、判断しやすい位置)

 一塁走者が、3塁に進入する場合は、コーチャーズボックスの、レフト側に立ち、判断を示す。

2塁ランナーがいる場合は、2とうりあり、コーチャーズボックスの

◆ レフト側に立ち、走者とともに、(ホーム方向に)動きながら、走者に判断を出す。

◆ホームベースよりに立ち、その場から、大きく動かずに、走者に判断を出す

3塁コーチャーとして、自分が、判断しやすい位置をつかみたい。

3塁からのタッチアップは、事前に走者と確認でき、外野の位置と肩と、ランナーの走力で

判断をする。

さらに、相手投手の、牽制球のクセの確認だ。

特に、ランナー3塁では、ボークぎりぎりのけん制を仕掛けてくる投手がいるので、ランナーに

そのくせを的確に伝えること。

そして、ランナー二人に、指示を出す場合がある。

3塁ランナーを、指示しながら、後ろの2塁ランナーに対して、瞬時に切り替え、指示をだす。

 

※ 気をつめなければいけない場面として、ランナー1塁で、ライト前ヒットのケース。

1塁ランナーは、3塁進塁を狙う場面。

ここでは、早めに、走者に、3塁コチャーが、判断を出さないと、仮にストップの場合、オーバーランで、アウトになってしことがある。

2塁ベースを回ってすぐには、走者は止まれないので注意が必要です。

 ◆ 最後に、3塁ランナーとは、お互いに目で、ベンチからのサインを確認できるようになれば、コーチャーとしてひとつ上の、役割が果たせるようになる。

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間一髪の走塁 紙一重の攻防 チームの得点力 機動力を極める

   『三塁コーチャーの強化書』

http://sanrui-c.blogspot.jp/

  三塁コーチャー究極塾のエッセンスを公開

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三塁コーチャー<究極塾>

究極コーチャーの定義

【コーチャーーは,監督の分身であり、チームの得点能力を、最大限に高めるために在る】

コーチャーの指示力= 大きな声+大きな動作(ジェスチャー)+手話も取り入れ、ランナーと一体になり、得点を積み重ねる

コーチャーのメンタル(心理)

・中立の心理 回す(ゴー!)) 5:5 止める(ストップ!)

・攻めの心理 回す(ゴー!)  7:3 止める(ストップ!)

・守りの心理 回す(ゴー!)  3:7 止める(ストップ!)

※ 基本は、中立なスタンスで、戦況(注:コーチャーの判断基準を参照)を観て判断する。

この3つから、最高の判断力が生まれる

コーチャーの3つのスキル
1.大きな声
2.大きな動作
3.簡単な手話

※大きな大会(甲子園)では、観衆の声援も大きく、声はもみ消され、声だけでは伝えられないケースもある。大きな声以上に、大きな動作、選手と手話を使うような伝達を心がける。

コーチャーの基本

基本1.「止めるを覚え、回すを覚える」

(コーチャーの止めるは、柔道の受身、回す(走らせる)は、柔道の攻め技にあたる)

基本2 「迷ったら、止めること」(わからなくなったら、早めに止めること。次のチャンスを信じ、つなげていくこと)

◆コーチャーの立つ(ポジション)位置(3塁・1塁とも)

・ランナー無しの場合は、ホームベースよりに立つ(バッターに近く、バッターに激励、応援の声)
・ランナーありの場合は、ベースより立つ(ランナーに近い場所、すこしでも選手に近く伝えやすい)

◆ コーチャーの種類

1.三塁コーチ
2.一塁コーチ
3.ホームベースコーチ(次のバッターが、ホームベースのクロスプレーの指示をだす)
4.ベンチコーチ(ベンチのメンバーが、各コーチャーに確認させる)
5.セルフコーチ(ランナー自身の判断、身近な野手のエラー、ハンブルなど)

※ランナーコーチは、ある特定な選手というはなく、全員がコーチャーであるという考えが大切かと思います。5つのコーチャーのネットワーク(連携)で、機動力がアップします。機動力は、単なる足が速い=盗塁ではないと思います。特に、忘れがちな、ホームベースコーチ(ネクストバッターの、指示が忘れがちになります)
一点を争う、本塁のクロスプレーには(キャッチャーも懸命ににブロックしてきますので)、ホームベースコーチの指示を習慣化させます。

三塁コーチャーの強化書

間一髪の走塁 紙一重の攻防 チームの得点力 機動力を極める

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の連載がスタートしました。

 『思いは白球を超えて』 同様、読者の皆様の応援よろしくお願いいたします。

                          蒼島 俊男

 

考撃野球

日本一」は行動で掴む。

考撃野球

基礎投、捕、走、振、バント)の徹底による

勝負強さ

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コーチャー

「ナイスコーチャー !」

 特に、一塁コーチャーの 判断が いい!

  ワンヒットが 、ツーベース!

 三塁と一塁コーチャーの、絶妙なコンビ。

 追撃の手を緩めず

     戦い抜け!!

 

 

この夏

先制しても、離しても、緩めず

  先制され、離されても ぶれない

    9回の内に 【きっちり】とDscn0394  仕留める野球

    

希望

希望は勇気となり

勇気は行動となり

行動は未来となる

   ☆

   PRAY FOR JAPAN《独りではない》

http://www.youtube.com/watch?v=IxUsgXCaVtc

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立ち上がれ 

立ち上がれ

 這い上がれ 

   そして

      振り向くな

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=2rLraPLoBpI

君へ(未来)

未来に

 繋げる

   センター前へ!

二高野球部の新たな歴史は

  この一打一瞬から

     はじまったんだ!

Micro/Yukiyanagi 雪柳~

http://www.youtube.com/watch?v=HwIHHR3aTTg&feature=related

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君へ(自分の気持ちに負けない)

 君へ

怪我が引き金となって、、

心まで、くじけては、いけないよ。

 「もうだめかな」と思う気持ちは、

君の錯覚だ。

「君は、ダメなんかじゃない」

 君が、再び立ち上がる姿を、

君だけを信じて、

見護る人がいるのだから。

立ち上がれ

 這い上がれ

  振り向くな!

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本氣の5か条

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            本氣の5か条

一、私たちは、日本一の人間力野球で、全国制覇を果たします。

一、私たちは、育てていただいた、親、周囲の方々に感謝し、恩返しをします。

一、私たちは、昨日の自分に打ち勝ち、夢を実現します。

一、私たちは、積極的な姿勢で、人生を生き抜き、一流の人間になります。

一、私たちは、仲間と野球できることに、感謝と喜びを感じ、今この一瞬を大切に生きます。

http://www.youtube.com/watch?v=lLdlATLrOdg&feature=related

コーチの条件

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コーチの条件11

一、情熱を持っていること

一、対外的に絶対に、愚痴を言わないこと

一、選手の状況変化など報告を、監督に確実にすること

一、選手の指揮権は監督にゆだねること(選手の技術を変える時など)

一、監督を中心に問題を討議し、相談して意思統一を図る能力をもっていること

一、即座に下せる判断能力を持っていること

一、各種のプレーに対して、コーチとしての役割を熟知していること

一、選手の能力(長所、短所)を把握していること

一、試合全般に対する知識を豊富に持っていること

一、技術の基本を豊富に持っていること

一、野球規則に熟知していること

http://www.youtube.com/watch?v=0_n6yUTMl50&feature=more_related

君へ(最上級生)

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君へ

 君も、最上級生になった

君の目指す

 君だけの頂点を 見つめて

  戦いが はじまる

 君も 僕も

   今の自分を超える

     魂の戦いが続いていく

http://www.youtube.com/watch?v=mo3pav9Ux7k

君へ(あの空へ)

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君へ

立川の空から

 神宮の空へ

 神宮の空から

   甲子園の空へ

 そして

   甲子園の空を眺めながら、君だけに伝えたいことがある

http://www.youtube.com/watch?v=DAcPPta0Gkw&feature=related

君へ(恩返し)

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君へ

「自分のプレーを通じて、仲間に伝えたいことがある」

「自分のプレーを通じて、後輩に残しておきたいことがある」

「自分のプレーを通じて、お世話になった人に恩返しする」

そのとおりに、有言実行の

君の執念の一打は、球場のすべての人々に、勇気と希望をあたえたんだ

http://www.youtube.com/watch?v=jDaWDS1814s

 

君へ(全員野球)

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誰ひとり

 かけても

 僕らの、目指すべきチームにならない。

自己に打ち克つ 

   勇気を持て!

http://www.youtube.com/watch?v=mrb332pVT5g&feature=related

NEWプロフィール


『思いは白球を超えて』

《NEW ☆ プロフィール》

蒼島 俊男 といいます。

日本大学第二中学校~日本大学第二高等学校~明治大学Ⅱ部商学部産業経営学科卒

【座右の銘 】

”How you think is everything”  「全ては思いによって決まる」 

                        (by 神山 修)

【取得免許】

メンタルアドバイザー <SBT スーパーブレイントレーニング JADA認定>

NPO日本食育インストラクター・プライマリー認定

高校社会科2級教員 中学校社会科1級教員免許

【ベースボール】

 小学・中学・高校・大学と野球やっていました。
 怪我が多く、プレッシャーにも弱く、体から力みが抜けない、硬さの残る選手、ほとんど活躍・結果を出せない選手でした。

苦い思い出の多い、野球生活・過去は振り返りたくなかったのです。

 ですから、同窓会・同期会は極力避け、苦い野球の思い出は、遠ざけていました。

◆ 甲子園大会は 夏2度出場 (2年の夏、背番号は13と、大学3年で学生コーチ)
◆ 大学は、一応、東京六大学野球リーグに加盟する大学野球部に、セレクションで入りました。

◆ 3大会連続 高校硬式野球部で助監督としてベンチ入り

    

しかし、ここまでで、その上にはいけませんでした。

自分の目指す、ベスト、頂点へ 行くことが出来なかったのです。

   大いなる挫折の連続でした

 ほとんど、中学・高校・大学と、怪我だらけ、監督・コーチとのプレッシャーに、押しつぶされそうな現役生活でした。

反面、常に、どうやったら、メンタルが強く、怪我しづらい選手になり、結果がだせるのか、そればかり考えていました。

その苦い体験を乗り越え、今、社会人になり、現役の選手に、励ましのアドバイスを急に送りたくなったのです。

野球を遠ざけた日々から、一大転機が訪れます

                     ☆

それは、悲しい話ですが、生涯の親友の死でした。

彼は、横浜高校野球部出身で、2浪して、明治大学野球部に入部しました。

通い野球部時代は、2年間、同じの下宿部屋に住んでいました。

 生涯の親友、平川憲彦君です。 (明治大学野球部時代は、背番号は『3』)

僕の現役引退試合は、僕とバッテリーを組んでくれましたね

 3年前、神奈川の病室のベットで、話も出来ない、ほとんど意識のない彼でした。

そんな彼に、僕はバックから持参したボールをとりだし、握らせました。

すると、彼はニッコリ笑ってくれました。

そして、一筋の涙を流してくれたのです。

「平さん、しゃべれないけれど、うなづけないけど、わかっているんだ!」

 神奈川の病室での、平さんとの、キャッチボールが、今世での、最後のキャッチボールになってしまいました。

「平さん、今でも 大好きだよ」

  そして 

「 平さん(平川憲彦君)と、一緒に野球をやってきて、感じたこと、気づいたこと、教えてもらったことを、平さんに変わって、次世代の選手に、伝えていこうと思ったんだ。」

その瞬間、急に、今まで遠ざけていた、野球のスイッチが、僕の中で再び入ったんだ! 

ブログを書いているときは、今でも、平さんと、対話しているつもりで・・・・・。

平さん 、これからも、天空から(宇宙の片隅から) 僕(たち)見つめていてね。

                 ☆             

         ☆

『夢があるから、顔晴(がんば)れる!

明日に、輝け!!

 ワクワク魂で

目指せ、君だけの頂点

 君だけの ベスト

君だけの 大優勝旗!』

              by 蒼島 俊男

生涯の親友

 明治大学野球部OB

    故 平川憲彦君に 捧ぐ

 青春を

   君と一緒に

    走りぬく

   光輝の一球

     永遠に輝く.

歌手熊木杏里さんの、映画バッテリーの主題歌『春の風』を聴くと、平さんを思い出します。

この曲が、世に出たと同じ時に、彼は 天空(宇宙)にかえっていきました。

この曲の,詞と同じような、生き方を平さんは、僕たちに見せてくれました。

「平さん、ありがとう・・・ 」

明日へ

愛する 母校野球部に捧ぐ

伝統の

 強打と

  喜動(機動)で

   新世紀の甲子園へ

ブログを応援してくだる皆さんへ

青春の

 夢と憧れ

 甲子園へ再び

 凱歌の栄光

  共々に 輝く


YouTube: 絢香 - みんな空の下

全国優勝からの逆算

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全国をリードする、トップチームの特徴は

1.絶対的なエースがいる。

2.長距離打者を備えた、パワフルな打線

3.甲子園での勝利(イメージできている)

の3つがある。

それでは、母校野球部が、全国トップチームの勝つ根拠をつぶすには、どうすればいいのか。

ここは、戦略が問われる。

それぞれの、考え方(戦略)は、あるとは思うが、僕は、

2番の、全国トップチーム以上の、パワフルな攻撃力に特化したチーム創りを選ぶ。

理由は、2を備えることにより、まず、トップチーム、1の前提を、崩すことにつながる。

そして、全国のトップチームを上回る、打ち勝つ野球で頂点を極める。

対極な意見もあることも承知の上で、さらに考えてみたい。、

守りのリズムから、打つ発想から、打つために、守りのリズムを創りあげる、

発想への転換。

しかし、それは、大味な、振り回す打線ではなく、繋ぐことができる強打の打線。

相手チームから、嫌がれる野球を考えるなら、1点づつ、コツコツの積み上げ方式の打線ではなく、集中打でビックイニングを創り上げることのできる打線へ。

強力打線と機動力で、「これでもか」と点を取りにくる、攻撃型の怖さのあるチームへ。

その意味では、近年では、母校野球部の2006年、2008年、2009年の中軸の打線、それ以上の強打と機動力を創り上げることが、今後、全国の頂点を目指すうえで、不可欠となろう。

喜動力(機動力)

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「野球の試合は、相手チームより、ホームベースを多く踏んだほうが勝つ」

この単純な定義から、導かれるものは何か。

それは、すべてのランナー(打者走者も含めて)が、次の塁へ、次の塁へと進塁の目指す意識の高さが、どうなのかが問われる。

この春の選抜大会の決勝では、走塁ミス、ランナーの怠慢な判断などで、試合の流れを大きくわけた。

 打者が「凡フライ=しまった」ではなく、万が一、千が一、百が一の可能性にかけて、切り替えて、2塁へ全力で走り、凡フライを、2塁打に変えるチャンス、走塁ができるか、どうかが問われている。

そして、すべてのランナーは、野手から、投手へボールが、正確に帰るまで、絶えず、次の塁を狙う姿勢を、崩してはならない。

万が一、千が一、百が一、内野手から、投手への、送球が、それる場合がある。

その一瞬の隙を、とらえ、進塁を狙う準備があるか、どうか。

機動力は、喜動力。

喜んで、動き、次の塁へ、絶えず向かっていく、姿勢が明暗を分ける。

野球の試合は、相手チームより、ホームベースを多く踏んだほうが勝つのだから。

今後の戦い

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この夏大会を通じて、感じたこと。

それは、戦いの中で、次の世代がイメージできたこと。

これが、あらたな伝統になる。

 母校は、次のファイナルステージへの戦う段階にはいった。

東京のトップクラスのチーム=全国レベルと、どう戦うか、課題はこれしかない。

トップ以下のクラスには、対応ができるチームに成長できた。

残すは、トップクラスのチームのみだ。

この夏の戦いの青写真は、あった。

初回の攻防。三者凡退へ。

初回、ノーアウトランナー、一塁の攻撃。

二回 ワンアウトランナー 2塁の攻撃。

3回 ノーアウトランナー 2塁の攻撃。

4回 ノーアウトランナー 1塁の攻撃。

前半戦の攻防にかけていたが、今回は、カタチにできなかった。

先輩たちが示した、勝利の青写真を、カタチにするのは、これからの後輩たちだ。

基準は、頂点だけにしかない。

いよいよ、その段階に入った。

頂点を越える、準備をいかに積み重ねるか。

強打の二高を復活させるしか頂点への道へはつながらない。

あらたな他流試合(強豪との遠征試合)も必要かとも思う。

心ひとつに、頂点のを歩む。

あとひとつ

260

~ あとひとつ ~


あと一粒の涙で 

ひと言の勇気で

願いが叶う

その時が来るって



僕は信じてるから

君も諦めないでいて

何度でも

この両手を

あの空へ

 

あの日もこんな夏だった

砂まじりの風が吹いて他

グランドの真上の空

夕日がまぶしくて



「どこまで頑張ればいいんだ…」

ぎゅっと唇を噛みしめた


そんな時

同じ目をした君に出会ったんだ



「簡単じゃないからこそ 夢は輝くんだ!」と



あの日の君の言葉

今でも胸に抱きしめているよ



いつもどうしても素直になれず

自信なんてまるで持てずに

校舎の裏側

人目を気にして歩いてた



誰かとぶつかりあうことを

心のどこかで遠ざけた



「それは本当の自分を見せるのが怖いだけ!」だと

教えてくれたのは君



君と過ごした今日までの日々

初めて口に出来た

泣きたいくらいの本当の夢



あとひとつの坂道を

ひとつだけの夜を越えたなら

笑える日が来るって

今日も信じているから

君も諦めないでいて

何度でも

この両手を

あの空へ



「熱くなっても無駄」なんて言葉 聞き飽きたよ

もしそうだとしても

抑えきれないこの気持ちを

希望と呼ぶなら

誰が止められると言うのだろう



あと一粒の涙が

ひと言の勇気が

明日を変えるその時を見たんだ

無くしかけた光

君が思い出させてくれた

あの日の景色 忘れない



あと一粒の涙で

ひと言の勇気で

願いが叶う

その時が来るって

僕は信じてるから

君も諦めないでいて



何度でも



この両手を



あの空へ



のばして



あの空へ


YouTube: 「あとひとつ」フル FUNKY MONKEY BABYS

宮崎第一

雨で2日間、 順延になった宮崎大会決勝。

宮崎県自体も、非常に厳しい社会環境での今大会の開催。

決勝に進出した 宮崎第一の阿久根伸二監督は、明治大学野球部時代の同級生。

彼は、奈良の天理高校野球部時代、4度の甲子園出場経験を持つ、スラッガーだった。

 とても、ユーモアのある性格で、彼の周囲には、笑いがあり、チームメイトの誰からもから、好かれていた。

決勝の相手は、延岡学園。

今回は、2対6で、終半、突き放される。

彼の甲子園での采配を楽しみに待つ。 監督としての、甲子園初出場の日は、もうすぐだ。

早稲田佐賀高校

今春、佐賀県に開校された早稲田佐賀高校。

その硬式野球部 石井智久監督は、大学時代の友人の一人だ。

今年は、一年生だけのチームで、初の県大会に出場した。

惜しくも、一回戦で、姿を消したが、これからが、とても楽しみなチームでもある。

激戦の佐賀県高校野球界に、新風を巻き起こす日が、楽しみだ。

早稲田実業

この夏の西東京大会を制したのは、早稲田実業高校。

その和泉監督は、僕と同世代の監督だ。

 高校の現役時代、公式戦と練習試合を含め、3度対戦させていただいた。

1勝2敗だった。当時は、早稲田実業は、東東京の大会に出ていた。

毎年、夏の大会前に、定期戦を組ませていただいた。

高校2年の夏は、西東京代表が、日大二高、東東京代表が、早稲田実業高校だった。

和泉監督は、調布シニアから、早稲田実業(キャプテン)、早稲田大学で野球をされていた。

 捕手出身の、監督である。

東京の中では、捕手出身の監督で、優勝を狙う学校としては、希有の存在かもしれない。

 この夏の西東京決勝日大鶴ヶ丘戦などは、和泉監督の独自の配球考(論)が、早実のバッテリーに浸透して、打線を封じたようにも思える。

 和泉監督の西東京大会、優勝直後のコメントを聞き、この夏の甲子園大会にも、とてもいいイメージをもって、甲子園入りされるようだ。

早稲田実業高校が甲子園で、どれだけチームが成長・進化するのか。

さらなる可能性を秘めたチームであることに違いない。

甲子園で、またどんな戦い・采配を見せてくれるか、楽しみだ。

二高魂

               二高魂   

目標の先にあるもの。

俺たちの、夢目標は明確である。

甲子園出場は、大きな目標ではあるが、俺たちのほんとうの目標ではない。

俺たちが勝てば、俺たちの本氣の練習や試合を観れば、人々が、夢と感動、希望と勇気で満ち溢れる。

学校を変える

東京を変える

日本を変える(元気にする)

世界を変える(世界中に、卒業生がいる)

俺たちの夢目標は、俺たちの練習や試合を通じて、人々に、夢と感動、希望と勇気をあたえる野球をすることだ。

それが、俺たちの原動力である、夢力だ。

夢の誓い、夢誓だ。

必ず勝って、俺たちの夢誓で、新たな歴史を創る。

俺たちは、夢誓で、強敵に勝ち、必ず優勝し、全国の頂点に立つ!

             by ニコウ野球部

立川の空から

 神宮の空へ

 神宮の空から、

   甲子園の空へ

   俺たちの 熱い夏が始まった。Img11_3

             


YouTube: コブクロ LIVE映像 「君という名の翼」 5296 ver

小説『君だけの甲子園』(中)

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春大会は、東京のベスト8まで、こぎつけた。

昨年秋も、東京ベスト8。

この壁を破るところから、夏への始動が始まった。

この春から、実質、選手への指導をはじめた、コーチの高山哲は、選手への、細かなアドバイスは控えてきた。

しかし、春大会終了後、全体ミーティーングで、はじめて、詳細な指導を行った。

練習後の、合宿所でのミーティーングルームには、高山哲の妹、陽子がいた。

彼女は、アメリカ・ニューヨークで、スポーツのフィジカルトレーナーをしている。

今週末、中学の友人の結婚式のため、来日していた。

コーチの高山哲は、97名の部員に、まず英語で語りかけた。

「How you think is everything 、全ては思いによって決まる」

「目標<優勝>に対して、強い思いをもつこと。

そして、色々な場面で、その強い思いを言葉に出して、自らに訴えていくことよって

心と体が、そちらに向かって動いていく。

その結果、目標が現実化する可能性を限りなく高めることが出来る」

福田老監督は、選手の後方から、見守りながら、教え子の話を聞いていた。

「自己の思いを、声にあらわし、動作(プレー)につなげていく。

シンプルかもしれないが、これが、己の潜在能力を限りなく、開いていくんだ。」

とコーチの高山哲は、選手ひとり、ひとりに噛んで、ふくめるように伝えていった。

自分の現役時代は、ライバル兄弟高校の、聖橋三高との、夏の決勝戦について、言及した。

ライバル兄弟高校の、聖橋三高との決勝戦、2対0で、高山哲は、三高打線を完封した。

打のほうでも、後に、プロ入りした、聖橋三高のエース佐竹から、3打数3安打を放った。

その時、コーチの高山哲は、「はじめて、ボールが止まって観える体験をした。

無(ゾーン)に入った経験をしたのだ。」

さらに、コーチの高山哲は、選手に語りかけた。

「今と違い、夏大会は、東京1代表の時代だった。

7日間で、6試合の試合日程であった。

すべての試合先発し、ほぼ一人で投げぬいた。

抽選も、3回戦で、その春のセンバツ出場の明田高校、準決勝は、これまた、センバツ出場校荏城高校に延長11回 3対2で、サヨナラ勝ち。

決勝戦は、足首の捻挫、右肩は重く、試合前のキャッチボールは、数メートルしか届かない状態であった。

しかし、自分には、肉体的には、限界を超えても、精神的な、限界を感じなかった。

絶対に、悔いだけは、残したくなかった。

自己のフィーリングに、試合前から、というより、大会前から、聖橋三高に勝てる、優勝できるという、フィーリングがあった」

さらに、

「思いを、声にあらわし、動作(プレー)につなげていく」シンプルではあるが、練習や、試合で、心がけるポイントについて、話した。

「例えば、9回裏ツーアウト満塁、一打 逆転のチャンス。

凡打なら、ゲームセット。

この場面で、ワクワクした気持ちで、打席に立てるか、否かなんだ」

そして

「この最大のチャンスやピンチのときこそ、

How you think is everything 、全ては思いによって決まるのだ」

チーム一丸となって、思いを、声にあらわし、強気なプレー(動作)につなげていくんだ」

 コーチの高山哲の妹・陽子は、兄の話を、後方斜めの席で、じっと、優しい眼差しで、聞いていた。

コーチの高山哲は、さらに、自身の夏、甲子園大会の話を続けた。

「初戦は、センバツ大会の優勝高校の三田商業だった。エース平田は、その後プロ野球でも、エースになった。センバツ優勝高校との、エース同士の投げあいになる。

しかし、東京予選、準決勝の際に、捻挫した足首痛のため、開会式はでれなかった。

満身創痍で、センバツ優勝高校の、開会式の当日、三田商業との勝負となった。

だれしも、センバツ優勝高校の三田商業、平田投手の勝ちを疑わなかった。

しかし、

私たちは、センバツ優勝校、三田商業を、4対0で、完封勝利した。」

そして

「なぜ、激戦区東京、強豪聖橋三高、センバツ優勝高校の、三田商業を、連続完封できたのか。

それは・・・・」

と、コーチの高山哲は、選手ひとり、ひとりに、話をかけていった。

さらに、妹の陽子に手伝ってもらい、ジュースの試飲通じて、人間の感覚が

いかに、あてにならないものか、実験して見せた。

「How you think is everything 、全ては思いによって決まる」

聖橋二高の97名の部員たちは、コーチの高山哲の話を聞きながら、誰もが、心に生じた、たしかな変化を感じとった。

それは、28年、優勝から遠ざかっていた聖橋二高野球部員が

勝ちたい優勝したいから、勝てる、優勝できる」への、たしかな心の変化だった。

つづく

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小説『君だけの甲子園』(上)

「久しぶりだな、高山」
老監督の福田は、高山哲に声をかけた。

冬の寒いグランドの前で、二人きりの対面であった。
 高山は、聖橋ニ高のOBで、高三の夏に、甲子園も経験している。
甲子園では、春の覇者である三田商業に完封勝ちした。エースであった高山は、その後、大学に進み、東都大学野球でも活躍した。
ドラフトの指名を受けたが、プロには行かず、一人渡米した。チームメイトには、謎の渡米だった。そんな高山哲が、30年ぶりに、母校に英語科の講師として帰って来たのだ。
高山は、恩師の福田に、
「福田監督、また、おせわになります。」と短く挨拶した。

高山哲は、高校3年夏、甲子園にエースとし活躍した。東京大会と、春の覇者の三田商業のエース平田と投げ合い、連続完封する。 聖橋ニ高に高山あり、とマスコミが書き立てた。
しかし、高山は甲子園の勝利から、徐々に、野球への情熱がなくなっていく、自分を感じていた。大学野球でも、東都大学リーグで優勝にも貢献した。プロも注目する。しかし、高山の心のなかは、野球そのものを客観視して、醒めていた。 その後、高山の人生の新たな方向決定づける出来事が起こった。

高山は、大学野球生活を終えた年の出来事が一大転機となる。
知人の紹介で、百貨店の仕事のアルバイトをした。
短期のアルバイトだけれど、野球とは違った神経を使うようで、楽しく衣料品売り場のアシスタントをつとめる。
その時、外国人の夫妻に、高山は声をかけられた。
「エクスキューズミー・〜」と高山に、何か 尋ねてくる。
何度か、その外国人夫妻は、質問を繰り返した。しかし、高山は、英語の意味がわからない。
売り場を離れ、そして、すぐに、通訳をよんだ。

通訳はニッコリ笑みを浮かべ答えた。

「トイレは真っ直ぐいって右側の角です」と英語で伝えた。
外国人夫妻は、高山にトイレの場所がどこかを聞いていたのだ。
高山は、ショックだった。中高大学とすくなからずも、英語には,それなりに自信があった。それなのに、あの外国人夫妻の質問の意味がわからなかったこと。
野球で負けるより、高山には、ジーンとこたえた。

「トイレはどこですか?」海外夫妻の短いフレーズを高山は聞き取れなかった。
その瞬間、高山の心のそこにあったある価値感が噴出してきた。

「アメリカに行きたい」
日本だけの価値観、野球だけの価値観ではない何かを感じてみたい。

進路は、周囲も不可解なノンブロかプロかという選択肢ではない、第三の道を高山は選んだ。

高山は、ロサンゼルスに在住する東都大学リーグの先輩、正田秋雄に手紙を書いた。

お金は無かったが、一人て゛アメリカ・ロサンゼルスの飛行機に乗り飛び立った。

「空は 果てしないのか」
高山は、ロサンゼルスに向かう飛行機のなかでつぶやいた。
日本を初めて離れた。
今まで、甲子園、そして神宮球場と学生野球の聖地と呼ばれる場所でプレイしてきた。
このまま、プロかノンブロの道もあった。
ただ高山には、野球以外の世界を、今感じてみたい願望があった。
なぜ、それが、今でなくては、いけないのか。
贅沢すぎないか、周囲も困惑した。
「アメリカに行けば何かをつかめる」

高山には、根拠のない確信だけが頼りだった。

「高山、お前、野球やってること、凄いと思ってるんじゃない・・」
大学のクラスの親友古島博文が高山に声をかけた。
古島は、授業とアルバイトの両立、学校の休みの間は、世界を旅する学生だった。
「世界を旅してみて、高山が野球やることで変な優越感もつのって、おかしいと俺は感じる」

「へんな優越感?」

「そう、野球やってるて特別なことなんかあるわけないじゃん」

高山には、古島の真意を理解するのに、すこしだけ時間がかかった。

ロサンゼルス空港で、東都大学リーグの先輩である正田秋雄と待ち合わせた。

空港のロビーで、正田は、ひとりで迎えてくれた。

 正田だけが、今回の一見、無謀とも言える高山の挑戦を唯一認めてくれた。

「哲、 元気そうだな 」

「 ようやく、ロサンゼルスに来れました」

空港内のレストランで、モーニングを食べた。

時差ぼけは、気にならなかった。

 正田から、今後の生活のためのアドバイスを受けた。

「アメリカで、生きるには」

 高山の、新たな挑戦の一歩が始った。

    

「高山、今、アメリカで、何を、どうしたいんだ」

単刀直入に、正田は高山にたずねた。

高山は、深く呼吸をしながり、言葉を選ぶように語りだした。

「正田先輩、自分は日本にいて、そして、驚いたことがあります。。
アメリカという国には、履歴書に、生年月日を書く欄がない。
仕事に定年もない。

そんな
実力の年齢が問われ国で、自分は勝負したいと思ったんです。」

サウスポーの高山は、左手で髪をかきわけながら、先輩の正田に、本心を打ち明けた。

「高山、カージナルスの入団テストを受けてみないか?」
大リーグのカージナルス広報担当を務める正田が、高山に語りかけた。

「自分がですか?」

「そうだ。段取りは、俺がする。今まで、積み上げてきたものを、思いっきり試してごらん。」

高山の瞳をじっと見ながら、正田は ゆっくりと伝えた。

高山は、自分の左の握りこぶしを見ながら、自分の気持ちを確かめるのだった。(

高山は、正田の紹介で、カリフォルニア州立大学でトレーニングを開始した。

来るべき、カージナルスの入団テストを受けるためだ。

カリフォルニア州立大のベースボールククラブの練習に参加した。

日本と違い、ウォーミングアップも、バラバラにに行う。

いちばん驚いたのは、練習時間の短さだった。

 高山は、日本で、やらされている練習がしみついているのを感じた。

アメリカで真っ先に感じたのは、自ら主体的に行う野球だった。

アメリカとベースボールの狭間で、高山はもういちど、野球への情熱が蘇ってきた。

カリフォルニア州立大学のベースボールクラブの学生は、練習の合間に本を読んでいた。

一人の学生は、スポーツ心理学の本を読んでいた。

「スポーツ心理学?」

「なに、それっ!?」

高山哲は、いままで、日本で根性主義の野球をやったことしかなかった。

 グランドで実践する以上に、このキャンバスでスポーツ心理学を学んでみたいという

衝動に駆られた。

「痛いっ」

カージナルスの入団テストの、最終テストで高山は燃え尽きた。

大学野球の秋のリーグ戦で痛めた、左肘が痛んだ。

大リーグに入団できなかったものの、高山には悔いはなかった。

ここまで取り計らってくれた カージナルスの広報担当の正田に

「正田先輩、ありがとうございました」

と一言伝えた。

「これから、どうする?」

と正田は、高山の目を見ながら 声をかけた。

「アメリカに残って、学びたいものを見つけたんです」

「 学びたいもの?」

「そうです!」

高山の目は、敗者の目ではなかった。

アメリカの地で、生き残るための高山の新たな戦いが始まった。

 仕事を探すにも、英語が出来ない高山を、採用してくれる会社は見つからなかった。

アメリカ全土も、不景気の波のおそわれていた。

そんな時、< 皿洗い募集 >

小さなレストランの入り口に張ってあった、小さなポスターを、高山は見つけた。

マスターに頼み、高山は、レストランの皿洗いとして、採用された。

「 皿洗いができる」

アメリカの地で、高山の皿洗いの仕事が始まった。

アメリカの社会では、最底辺の仕事かもしれない。

しかし、高山は、皿洗いの仕事を通じて、自分に自信をつけていった。

どうやったら、効率よく、きれいに洗えるか、ふき取れるか、考えながら仕事をしていった。

レストランのマスターに気に入ってもらい、様々な配慮をしてもらった。

2年後、高山は ロサンゼルス州立大学に編入した。

そこで、スポーツ心理学を専攻し、学んだ。

高山は、皿洗いの仕事と、スポーツ心理学の授業の両立に挑戦しぬいた。

研究論文 「スピリットと気について」は、全米に大学で、とても高い評価を受けた。

 欧米の科学に基づいたメンタルのトレーニングと、東洋の気を融合させたメソッドを、高山は

論文で書き上げた。

 皿洗いをしながら、高山は論文を書き上げた。

高山にとって、この出来事は、日本で経験した野球、なかんずく甲子園の体験に劣らない、

いやそれ以上の原点になる出来事だった。

その高山が、24年ぶりに、日本に帰国する。

そして、母校 聖橋二高の 英語の講師として戻ってきた。

さらに、臨時野球部のコーチ就任する。

内野の涌井には、

「なぜ、好プレーができたのか、その成功要因を、常に深く考えるクセが大事だぞ。

失敗エラーの反省よりも、負け試合の反省会よりも、成功の反省会、なぜ成功したかを考えるんだ。

負け試合の中にでも、これからに繋がるブラスの要因が必ずある。

成功イメージだけの成功の反省日誌は 、成功を一過性の成功でなく、再現性のある成功へと進化させることが出来るんだ」

高山は、選手ひとり、ひとりに、『成功事例だけを書く〜成功の反省会日誌』を全員にすすめたが、強制はしなかった。あくまで選手の自発的行動を大切にした。

「なぜ右利きなんだ?」

高山は、控え捕手の相田に声をかけた。

「小さいころから、右腕使っているんで・・・」

「そうだ、相田君が右利きなのは、小さなころからの習慣、クセなんだ。

ところで、考え方にもクセがでてくる 」

「 考え方も、クセでえすか?」

「そうなんだ。自分の考え方も、クセになっている。

物事の事実はひとつであっても、解釈は2つある。

プラスにとるか、マイナスにみるか。

自然とクセになって、マイナスのトレーニング、考え方をしてしまっているケースがあるんだよ。

それを、プラスに変える習慣を、クセをあせらずにつけていくんだ」

相田は、高山の目を見てうなづいた。

「 高山コーチ、すいません・・・」

3月の紅白戦の最中、トンネルのエラーをしたショートの中村が、ベンチに戻ってくるや否や

高山に帽子をとって謝った。

「中村君、俺に謝ることなんかないよ。

コーチにやらせれている野球じゃないぞ。

試合中にエラーの反省は、しなくていい。

試合中にエラーの反省会をするのは、おかしいぞ。

「反省は しなくていい?」

ショートの中村は、エラーからの心の中で切り替えができ、大きな声で返事をした。

高山の話は、聖橋二高野球部員に、スポンジの水をすうがごとく

吸収されていった。

聖橋二高の選手の気持ちが、昨年の夏や秋より、徐々に逞しいものになりつつあった。

 いよいよ、東京の春季大会の組み合わせが決まった。

春の球春とともに、聖橋二高野球部のあらたな挑戦がはじまっていた。

選手の心は、熱く燃えていた。

<つづく>

雨の円陣

試合シーン 【写真高校野球.com】

「この円陣の中から、必ず夏大会のヒーローがでてくる」

雨の立川グランドで、ベンチ入り以外の選手と円陣を組んだ。

急に、雨足が強くなってきた。

選手は、ユニフォーム、僕は、スーツ姿だった。 雨に濡れながら、

「俺たちは、ただ単に、応援のためにスタンドに行くんじゃないんだ。

自分以外の人のために、尽くす経験が、自分の器をおおきくするんだ。

夏に向けて、大きくなった人間の器、土台の上に、新たな技術、自分の野球を創り上げるんだ。

夏に向けて、進化していくんだ。」

 「東京一、いや 全国一の応援をしてみよう!

自分以外の人を、本氣で、どれだけ応援できるか、やってみようじゃないか!」

 春大会、結果は、西東京ベスト5、東京ベスト8だった。

しかし、スタンドの応援の熱さは、どこの誰が見ても、東京一だった。

一球同心。

異常な集中力を発揮する、スタンドにいる70名の選手たち。

これほど、熱くて、冷静な軍団は、他のチームにはない。

誰もが信頼をよせる、熱くて、冷静な応援リーダーの3年生の下、応援の力で、勝ち取ったシード、ベスト5だった

この夏大会、ここいちばんでのヒーローは、あの円陣の中から、必ずでてくる。

燃やせ、二高魂!

 立川の空から

     神宮の空へ

 神宮の空から

   甲子園の空へ

君へ(怪我を乗り越えて)

君へ

怪我は、上手くなるための試練なんだ。

試練の試は、「試合で試す」

試練の練は、「鍛練、練習の練」

君は、怪我を乗り越えて、確かに、上手くなった。

ここまできたら、いい意味で開き直れよ。

 ワクワク89(WakuWakuベースボール)で行こうぜ。

よく顔晴っているよ。

 あと一分張り、 ラストファイト!!

本氣で、楽しめよ!。

(※ 本氣とは、ワクワク・わくわくすることだよ)

修学旅行

「蒼島さんは、修学旅行に、行かなかったんですよね」

と、母校野球部のコーチに、ふと、声をかけられた。

彼は、母校野球部の現役コーチだ。

「そうだったね。でも、よく覚えていたね・・・・」

僕は、高校2年の夏の修学旅行(九州・長崎など)に、行かなかった。

中学で痛めた怪我の箇所が、再発していた。

「また、中学と同じで、野球ができなくなる」

そう思うと、まだ2年の夏なのに、3年生のような気持ちになり、現役が終わるような

追い込まれた気持ちになっていた。

誰にも、相談せず、自分で出した結論は

(修学旅行には行かず)、東京に残り、信頼するトレーナーの治療を受ける(東京・中目黒にある、元巨人軍の小守トレーナー)と決めた。

 前日、監督に 、修学旅行に行かないことを告げると、

(こっぴどく、)叱られた。

「修学旅行に、行って、気分を変えてみるという、考えにならないのか」

「お前だけ、東京に残って、どうする」と、

 叱られた。

練習には、出てはならない、ということだった。(が、しかし、毎日、お呼びがかかり、遠征の準備含めを、1年生のまとめ役として、チームに、同行していた。)

同級生が、修学旅行に行く、前日のこと。

明日の試合前の準備を、同期の野球部員と、していた。

試合球の用意担当は、同級生のファーストの左のTだ。

しかし、なんと、Tが、ボールを積み忘れて、修学旅行に旅立った。

しかし、カンのよかった僕は、夜中フトンの中で、ファーストの左のTが、「試合球を、遠征の車に、積み忘れているのではないか」と思ったのだ。

遠征先に、早く行って確認すると、案の定 積み忘れていた。

「おい、おい・・・・!」

 昨夜中に、遠征先の スポーツ店(無理がきく)所を、調べておき、あらかじめお金を、もってきていて、開店まえに、試合球を購入させていただいた。

しかし、試合開始、先頭打者に、危険球になるくらい、の母校の先発・先輩投手が、ヘルメット直撃のデットボールを投げる。

どうやら、いつもと試合球のメーカーがちがくて、指先から、すべるのだという。

早朝 用意した 試合球はミズノのボール。

若干、皮が、いつもの他のメーカより、皮の表面が、たしかに硬い。

「ファーストの左のTは、九州で今頃・・・・・、おい、おい!」

と思いながら、遠征に同行したことを思い出した。

何から、何まで、青春の無茶な選択、決断と実行の日々だった。

君へ(一人、ひとつ)

ひとり

 一人 が大事

 ひとつ

  一つ が大切

          by 蒼島 俊男

君へ(本氣とは)

君よ
強氣で行け!

本当の強氣とは

ワクワクすることだ

by 蒼島 俊男

大学生OB集合

「若手の大学生OBは、立川グランドへ 、ユニフォームを持って、集合!」

夏の西東京大会の開幕まで、あとわずか。

夏大会前は、僕も、大学時代は、野球部の同級生選手や、後輩の選手をつれて、立川グランドに、練習の手伝いをさせていただきました。

 後輩の投手は、静岡出身。

ノックは、神奈川の横浜出身。

各県の出身の選手が、母校野球部を応援してくれました。

「夏大会前は、学生OBは、ユニフォームを持って、立川グランドへ」

これが、母校野球部の伝統でした。

さて、その伝統を継承する若手大学生OBのみなさん、すこしの勇気をもって、立川グランドへ行こう!

 とくに、左利きの大学生OBは、貴重です。

(この夏は、左腕の好投手がが多いので)

他校出身の 左腕もつれて来てください。

どうか、よろしくお願いいたします。

                    蒼島 俊男

伝令

 「先輩 大丈夫ですよ 」

高校時代は、1年の夏の新チームから、試合中の伝令係りは、任されていた。

普通は、上級生が、伝令にいくのだけれど、

当時の監督は、ぼくに伝令を伝えさせていた。

審判にタイムを、お願いする。

伝令を伝えに、走る。

当時のバッテリはー、上級生だ。

先に、、先輩の聞役に徹する、それから、監督から指示をつたえる。

 伝令は、伝えるだけでなく、まず、聴いてくる。

「先輩大丈夫ですよ」 

「いってますよ」

「 ・・・・・・・・・」

神宮でも、甲子園でも、そのスタイルだった。

伝令は、聴いてくることと、伝えてくること。

この夏も、伝令(間)は、勝負の流れを変える.

円陣の中で、何感じ、何を聴き、何を伝えるか。

 この夏は、最上級生の3年生が、監督の勝利の伝令に走る。

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みんな空の下

勝負の 夏が来る

今年の、西東京の大会の開会式は、7月3日と、例年より早く行われる。

立川の空から

 神宮の空へ、

 そして・・・・・・・・・

 

 今の3年生は、

1年の夏ときは、準決勝

 2年生の夏は、決勝

 3年生の夏は ・・・・・・・。

今の3年生は心剣(真剣)勝負のベスト4以上の、

夏大会の戦いを、2度も経験している。

夏大会の、連続してベスト4以上戦いを、経験しているのが、最大の強みだ。

このような経験をしている3年生は、西東京では、2高校しかいない。

勝つ雰囲気と、勝負の厳しさをしっている、3年生が挑む夏。

「この夏大会、全員で、楽しんでこいや!」

この一言だけだ。

 

立川の空から、

 神宮の空へ

   そして・・・・・。

  準決勝 ベスト4

  決勝  ベスト2

   そして ・・・・・。

 

この夏大会、すべての焦点は、ひとつしかない。

   ただ、唯一の頂点だけだ。

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ラッキーナンバー(君だけの背番号)

後輩たちに、そして、高校野球の選手たちに、どうしても 伝えたいこと。

それは、グランドの場で 試されることでもある。

◆ ひとつは、競技的成功をめざすこと

 母校野球部は、90名の部員がいて、レギュラーになれるのは、そのうちの9名

 81名は、外される。

熾烈なレギュラー獲得への戦いに、真っ向から挑む。

 西東京の大会では、100校を超えるチームが参加し、優勝の栄冠は、1校のみだ。

100校以上は、振り分けられ 1校だけが、栄冠をつかむ戦い。

その、厳しき競技的戦いの中で、全選手は、競技的成功をつかむことに、真っ向から挑戦すること。

「高校野球の3年生部員に、6月 7月の引退など、あるわけがない。

絶対に、あってはならない。心まで、気持ちまで、きれてはならない。

 高校野球の3年生の引退は、昔も今も、これからも、8月と決まっている.

たとえ、予選でベンチ入りしていなくても、甲子園大会でベンチ入りしたり、スタメンで活躍している選手だって、全国にはいる。

甲子園大会からの、ベンチ入りを最後まで、諦めてはならない。

最後まで、キセキをおこし、諦めない、粘りの野球を学ぶのが、高校野球の心剣(真剣)勝負で学ぶ、真骨頂なんだ。

このことは、母校野球部員、そして全国の高校球児のためにも、後世のためにも言い残しておきたい。

◆ もうひとつは、人間的成功をめざす、ということ。

 例えば、今年の、学生の就職活動でも、採用は、とても厳しくなってきている。

少なくとも、あと 5年は、就職活動の超氷河期は、つづくことだろう。

選手は、大会を終え、受験をしたら、すぐ 就職活動がある。

その際に、もっとも 武器になる体験が、今の高校野球で鍛錬の事実、つかんだことなんだ。

まさしく 『野球と思うな、人生と思え』 『部活と思うな、生きると思え』だ!

僕の中では、仮に選手が、進学しなかったり、思わぬ都合で、すぐに、社会人になったとしても、社会で通用する人間を育てていきたい。

 そのためにも、今の社会の入り口で、就職戦線で、絶対に必要な、勝利のための3つの動作、と2つのαを、伝授している。

 『3つの勝利のための動作と2つの強みを伝授する。 それを、在学中に磨きあげ、社会の入り口へ打って出よ』と。

これからも、心剣勝負で、魂をこめて、また、声を嗄らして、全選手に伝えていくつもりだ。

 そんな中で、 この春大会も、背番号はついていなくても、君だけのラッキーナンバーをつけた3年生の3人が、大活躍してくれた。

 彼らは、(明治大学野球部流で言えば、)『新人監督』のような、3年生たちだ。

頼もしいし、何より 人間力がある。

下級生のモデル的、見本的存在だ。

監督からの、信頼感もバツグンだ。

 彼らには、大会で、ユニフォームには、背番号はついていない。

しかし、強烈なラッキーナンバーを、心に、つけている。

 この春大会は、彼ら3人の、『勝負運』があったから、勝ちあがれたように思えた。

監督も、その存在を認めていたし、感謝していた。

 彼らは、競技的成功からは、現時点で、一歩、二歩、遅れているかもしれない。

しかし、人間的成功に関しては、1歩も2歩も、リードしている

この夏、さらに、さらに 人間力を磨き上げ、そして勝て。

今の自分を超えろ、自分に勝て!

 「大会の背番号は、他の人が、外から つけたもの。

俺たちには、全員、ラッキーナンバー(君だけの背番号)を、

つけているんだ」と、本氣の円陣を組み、春大会のスタンドにいる選手全員に伝えた。

そして

「この円陣の中から、夏大会のヒーローが必ずでてくる。」と、声を嗄らして伝えた。

                  ☆

「厳しき競技的成功の戦いを突き抜けて、人間的成功の礎をつくれ!」

「君なら、俺たちなら、できる」

これが、母校野球部員、そして、全国の球児に伝えたい、この夏のメッセージだ。

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連覇

「連覇」

大学1年生と2年生の時に、母校明治大学野球部は、全日本大学選手権で、激戦を勝ち上がり、連覇を成し遂げる。

 1年生の時は、決勝は、東都リーグの王者駒澤大学野球部。

 2年生のときは、関西リーグの近畿大学野球部。

ともに、鍛え抜かれた強豪だった。

母校明治大学野球部は、島岡監督が現場復帰された一年目の大会だった。

島岡監督の最後の黄金期に、集まった明治の選手たち。

アメリカ遠征から、帰ってきて、グレーのユニフォームで、リーグ戦に挑む。

当時の明治は、監督の思いで、現在のアイボリー色のユニフォームと、グレーのユニフォームを使い分けて、大会に挑んでいた、

ユニフォームの袖には、島岡監督の干支である、【猪の絵柄の金マーク】が入る。

(ちなみに、制服のブレザーにも、スタジアムジャンバーにも、すべて猪の金マークがはいっていた)

 『全日本選手権2連覇達成!』

ではその原動力となった、ある儀式は?

        

 それは、島岡監督は、ピンチやチャンスになると、選手たちを集め、『本氣の円陣』を、自ら輪の中に入って、行っていた。

 島岡監督の雄姿が、瞼に映る。

 僕も、やはり、島岡門下生のはしくれの一人、末弟だと、思う、

なぜなら、20世紀、島岡監督が、神宮球場で、勝負どころで、行っていた、『本氣の円陣』を、同じく神宮球場で、チームの勝利のために、21世紀に、同じ思いで、自然と行っている自分があるからだ。

『かえるの子は、やはり、かえる』だ。

いま、原点に帰るとき。

 島岡監督は、小学校までしか、野球選手の経験はなかった。

しかし、あの情熱で、『連続日本一を勝ち取った』。

日米大学野球選手権にも勝ち、世界制覇もした。

そして、日本の野球の殿堂入りをした。

島岡監督は、練習でも、1年の夏を迎えると、最高の試合帽子(紺帽と呼ばれていた)をかぶらせた。(紺帽をかぶると、明治の野球部員の一員になったような気分だった)

そして、全選手は、紫のストッキングを、はかせていただいた。

さらに、、制服は、学ランから、全員ブレザーに変えさせた。

当時で、大学野球部で、制服にブレザー(金の猪マークだが、夏は、Tシャツ、冬などは、スタジアムジャンパーなどを着せる)着用させたは、明治大学野球部以外は、皆無だった。

連続日本一の、明治大学野球部の最強世代だった 門前の小僧だったの一人として、今、監督の思いを、次世代の選手にも、ぼくらしく、伝えていこうと思う。

勝つ雰囲気(チームの勢い)と、勝負の厳しさは、五体に染み込んでいる。

  『練習や試合を観ている人々が、「夢を感じ、そして、有難う』と言ってくださる、野球をすること。

 人々に、夢と感動、希望と勇気をあたえる練習と試合を、日々実践する。

激戦を勝ち上がるに、原動力は、これしかない。

 い

              

島岡吉郎監督

  門下生   

       監督室のベンチ前、掃除係

          門前の小僧だった、蒼島 俊男

基準

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西東京ベスト 5

東京ベスト 8

これがこの春、母校野球部の春大会での、位置づけだ。

 春大会に敗れた相手、東東京の関東一高には、確かな「基準」があった。それは「帝京高校越え」という「基準」だ。

「帝京高校に、打ち勝たなければ、栄光はない」

「帝京高校の打線を、封じなければ、勝利はない」

「帝京高校を、上回る機動力がなければ、頂点はない」

母校野球部と戦っていると言うより、選手も、ベンチもその「基準」と戦っている。

そんな、印象を強く持った。

この夏の、母校野球部の「基準」も、単純で、明確だ。

その基準は 「左腕」の2字だ。

 春大会には、残念ながら 調整が 間に合わなかった。

夏へ 「基準」をあわせる。

『左腕を制するものは、西東京を制す。』

寝ても、醒めても

『左腕』攻略の「基準」あるのみ。

この「基準」を、明確に、鮮明に、根気強く、取り組んだ高校が、この夏の西東京大会を制覇することは、まず間違いないであろう。 

本氣の円陣

 

雨の立川グランド。

春大会初戦の前日、母校立川グランドに立つ。

 雨が降る中、若き青年助監督のノックが、内外野の選手に放たれる。

この春大会には、彼らには、目に見える背番号はついていない。

母校野球部のグランドは、東京一、グランドの水はけがいい。

いや、全国一かもしれない。

母校のグランドの土が、懸命に僕たちを応援してくれている。

母校のグランドの土も、僕たち野球部の復活の時をじっと待っていた。

いや、いちばん母校野球部の復活を待っていたのは、立川グランドの土かもしれない。

二度の甲子園大会を経験させていただいた僕は、甲子園の土を、母校グランドの

内野のポジションに、そっとかえした。

21世紀も後輩たちが、続々、甲子園にもどってくるために。

雨が降る中、室内練習場ではなく、雨のグランドのなかで、投手を含めた内外野選手の熱気が伝わってくる。

3年生のファイターであり、キャッチャーの大きな声、気持ちの入った、コントロールされた正確な2塁へのスローイングが、グランドの選手に、さらに元気を与える。

僕は、一塁側ベンチの中に立ち、彼ら、一人ひとりを見つめている。

実は、見つめているだけでなく、一緒にノックを受けているように

体を動かし、選手と一緒に、『一球同心』で、一球に集中している。

ノック終了後、選手たちが、一塁側ベンチ前に、走ってくる。

選手たちを、手を上げ、ガッツポーズで、迎え入れる。

「そうだ!!

明日の、大会初戦は、俺たちの熱い思いにかかっている。

春大会に、ベンチ入り出来ず、不本意で、悔しい気持ちを迎え切れない選手も、いるかもしれない。だけど、ここが勝負どころだ。

そんな中でも、自分以外の他の選手をために、つくす経験が、人間の土台をつくる。

人間力をつける。

その力が、夏への原動力になる。

明日は、俺たちの力で、勝つ。

この春大会は、俺たちの、思い、人間力をぶつける。

俺たちの心には一人ひとりに、黄金のレギュラーの背番号が輝いている。

俺には、輝いて、はっきりと観える!

だから、明日は、胸を張って、球場に行こう!」

と選手に、呼びかける。

控えの選手と、心とこころで握手をする。

合宿所に入り、二人の3年生と、ミーティングをする。

「そうだ!

俺たちが、どんだけ、熱くなれるか、それで、この春大会は、決まるといっても過言ではない。」

応援リーダーでもある、1人の3年生の眼が鋭く光る。

「90人の部員が、一丸となって、春大会に挑んでいく。

君たち、二人が、本氣の応援の指揮をするなら、グランドの選手、スタンドの選手に

必ず伝わる」

お互いに、眼と眼で伝え合う。

本気の眼をしている。

合宿所内の、ミーティングルームで、3人で、円陣を組む。

現役とOB,選手とアドバイザーなど、そんな区別を超え、

一体となり、熱い思いを確認しあい、人間力をぶつけ合う

本氣の円陣だ。

二人の3年生現役選手と一人のOBアドバイザーが3人で、肩を組みあう

本氣の円陣だ。

「絶対俺たちの力で、チームをひとつにする。

目指すは、頂点!

立川の空から、神宮の空へ。

神宮の空から、甲子園の空へ!

 行くぞ!ノンストップ甲子園!

   勝つぞ!二高 甲子園!!

Go! Fight! Win !!」

3人で、本氣の円陣を組み、熱い思いを一つにした。

その本気の円陣を、監督も笑顔で見つめてくれていた。

本氣の円陣から、

いよいよ

立川の空から

神宮の空へ!

神宮の空から

 甲子園の空へ!!

 俺たちの熱い戦いが 始まった。

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【写真 東京高校野球.com】

よみがえれ! 二中魂

「 キャプテンから、はずした」

二中野球部の新チーム結成、新潟合宿の2日目、新チームのキャプテンを決める日。

ひと学年上の、先輩から、長時間の話し合いがあった後に、一人伝えられた。

新チーム結成は、先輩たちも、「新キャプテンは、蒼島でいく、ということだったけれど、怪我(肩痛)のことを、考えると、負担がかかりすぎるので、最後の段階で、キャプテンから、はずした」とのことだった。

今まで、三倍の元気(声)、三倍の勇気、三倍のスピリットで、チームを引っ張って来たつもりだった。

先輩たちの新チーム結成の初試合は、真夏の二中グランド、終盤まで、劣勢の中を、6回途中代打で出場、2アウト満塁から、ライトへ、逆転のエンタイトル2塁打を放ち、新チーム初勝利に貢献することができた。

その結果、秋の新人戦、1年生30人近くいる部員の中から、4人だけ、正規のベンチ入りし、背番号をいたた゛くことができた。

内野手用グラブには、春夏甲子園出場の、日大一高野球部でショートでキャプテンだった吉原選手にサインしていただいたものを使っていた。(日大一高の主将の吉原遊撃手は、その後、明治大学野球部でも、ショートで、キャプテンとして活躍することになる)

僕は、小学校の時から、ショートでキャプテンだった。

そして、中学の最終学年のイメージは、ショートで、キャプテンで優勝する。

高校野球・大学野球も・・・・・ショートで、キャプテンで優勝する。

しかし、今まで野球で、築き上げたものが、一挙に崩れてしまった。

はじめての、野球での挫折だった。

 新チームの秋だけ、ポジションも、初めて、ライトを、守るようになった。

送球のことを、考えると、今から考えると、無謀のようなポジション変更だったけれど、

小学校、中学校、高校、大学の野球人生の中で、はじめて経験した外野手は、今思うと

よい経験になった。

上級生になり、はじめて背負う2ケタの背番号。

2ケタの背番号が、こんなに重いものとは、思わなかった。

背番号発表のあった日の、帰りのバスの中、人ごみの中、涙が止まらなかった。

東京・練馬で一緒に野球試合をしていた仲間は、リトルリーグで、日本一になった。

そちらには、合流せずに 自分で選び、自分で挑んだ道で、はじめての挫折を味わった。

今もふくめて、今までの人生で、いちばん悔しい、涙だった。

ただ、人目をはばからず、流した涙の数の分だけ、心は、たしかに強靭になれた。

リトル日本一のメンバーから、「一日も早く、肩が治ることを、祈っている」と手紙が来た。

彼は、その後、早稲田実業高校野球部に進んだ。

 中学の野球部時代は、屈辱の3年間で、終わってしまった。

一番、プレー、技術も伸び盛りのチャンスの時期に、実戦練習ができなかった。

しかし、怪我も、実力だ。

 1年夏の、華々しい、代打で逆転ライトオーバーの2塁打デビューが、遠く感じた。

中学3年の秋に、「(高校では硬式野球をやらないで)、中学の後輩たちの・・・・・・」という話を、中学の監督から聞いた。

ただ、僕には夢があった。

どんなに、怪我をしていようと、夢の力がある。

体の痛みも、心の痛みも、外からは見えない。

夢の力も、外から見えない。

 「高校の3年間で、中学3年間の屈辱を晴らしてみせる」

「男の意地にかけて、硬式野球部で、逆転してみせる。」

周囲の反対を振り切って、ニコウ野球部に入部する。

振り返ってみると、後に、当時の二中野球部の先輩・同期・後輩メンバーのなかで、夏の甲子園大会に出場できたのは、二中野球部の1年の秋に、背番号をもらった3人だけだ。(4人のうち一人は、高1年の冬に、野球部を退部したため)

二中野球部の1年の秋の3人メンバーが、そのまま、夏の甲子園球場の土を踏んだ。

練馬のリトル日本一のメンバーも含めて、中学の野球部の同期も含め、大学野球の最高峰、東京六大学リーグまで、野球を続けたのは、自分一人だけだった。

ほんのすこしだけれど、、10年間の青春の意地だった。

今では、二中野球部時代に、味わった試練に、ほんとうに感謝できる。

二中野球部のみんなへ

夢があるから、顔晴(がんば)れる

明日に、輝け!

めざせ!君だけの甲子園!

     君だけの頂点!

     君だけの大優勝旗!!

     by 蒼島俊男

君へ

これから、あとから振り返って、大人になって、野球の悔いだけは、残してもらいたくない。

野球が好きなら、挑戦してみるがいいよ。

夢の力だけは、だれにもさえぎることなんでできないよ。

夢への挑戦の先には、君の青春、今まで味わったことがない、今までと違う、満足した景色が、必ず見えるから、・・・・・・。 俊男

http://www.youtube.com/watch?v=-xi79cL7FRU